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1968/12/10 第60回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第060回国会 本会議 第1号
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1968/12/10 第60回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第060回国会 本会議 第1号

#1
第060回国会 本会議 第1号
昭和四十三年十二月十日(火曜日)
    ―――――――――――――
 議事日程 第一号
  昭和四十三年十二月十日
   午前十時開議
 第一 議席の指定
 第二 会期の件
 第三 懲罰委員長の選挙
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 日程第一 議席の指定
 日程第二 会期の件
 日程第三 懲罰委員長の選挙
 災害対策を樹立するため委員四十人よりなる特
  別委員会、公職選挙法改正に関する調査をな
  すため委員二十五人よりなる特別委員会、科
  学技術振興の対策を樹立するため委員二十五
  人よりなる特別委員会、石炭に関する対策を
  樹立するため委員二十五人よりなる特別委員
  会、産業公害の対策を樹立するため委員二十
  五人よりなる特別委員会、物価問題等に関す
  る対策を樹立するため委員二十五人よりなる
  特別委員会、交通安全に関する総合対策樹立
  のため委員二十五人よりなる特別委員会及び
  沖繩及び北方問題に関する対策樹立のため委
  員二十五人よりなる特別委員会を設置するの
  件(議長発議)
 検査官任命につき事後承認を求めるの件
 公正取引委員会委員任命につき事後承認を求め
  るの件
 行政監理委員会委員任命につき事後承認を求め
  るの件
 公安審査委員会委員長及び同委員任命につき事
  後承認を求めるの件
 運輸審議会委員任命につき事後承認を求めるの
  件
 日本放送協会経営委員会委員任命につき事後同
  意を求めるの件
 日本電信電話公社経営委員会委員任命につき事
  後承認を求めるの件
 労働保険審査会委員任命につき事後承認を求め
  るの件
 中山マサ君の故議員川上貫一君に対する追悼演
  説
   午後一時五十九分開議
#2
○議長(石井光次郎君) 諸君、第六十回国会は
本日をもって召集せられました。
 これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
 日程第一 議席の指定
#3
○議長(石井光次郎君) 衆議院規則第十四条によりまして、諸君の議席は、議長において、ただいまの仮議席のとおりに指定いたします。
     ――――◇―――――
 日程第二 会期の件
#4
○議長(石井光次郎君) 日程第二、会期の件につきおはかりいたします。
 今回の臨時会の会期は、召集日から十二月二十一日まで十二日間といたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#5
○議長(石井光次郎君) 御異議なしと認めます。よって、会期は十二日間とするに決しました。
     ――――◇―――――
 日程第三 懲罰委員長の選挙
#6
○議長(石井光次郎君) 日程第三、懲罰委員長の選挙を行ないます。
#7
○山村新治郎君 懲罰委員長の選挙は、その手続を省略して、議長において指名されんことを望みます。
#8
○議長(石井光次郎君) 山村新治郎君の動議に御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#9
○議長(石井光次郎君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。
 議長は、懲罰委員長に堀川恭平君を指名いたします。
    〔拍手〕
     ――――◇―――――
 特別委員会設置の件
#10
○議長(石井光次郎君) 特別委員会の設置につきおはかりいたします。
 災害対策を樹立するため委員四十名よりなる特別委員会、公職選挙法改正に関する調査をなすため委員二十五名よりなる特別委員会、科学技術振興の対策を樹立するため委員二十五名よりなる特別委員会、石炭に関する対策を樹立するため委員二十五名よりなる特別委員会、産業公害の対策を樹立するため委員二十五名よりなる特別委員会、物価問題等に関する対策を樹立するため委員二十五名よりなる特別委員会、交通安全に関する総合対策樹立のため委員二十五名よりなる特別委員会及び沖繩及び北方問題に関する対策樹立のため委員二十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#11
○議長(石井光次郎君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。
 ただいま議決せられました八特別委員会の委員は追って指名いたします。
     ――――◇―――――
 検査官任命につき事後承認を求めるの件
 公正取引委員会委員任命につき事後承認を求めるの件
 行政監理委員会委員任命につき事後承認を求めるの件
 公安審査委員会委員長及び同委員任命につき事後承認を求めるの件
 運輸審議会委員任命につき事後承認を求めるの件
 日本放送協会経営委員会委員任命につき事後同意を求めるの件
 日本電信電話公社経営委員会委員任命につき事後承認を求めるの件
 労働保険審査会委員任命につき事後承認を求めるの件
#12
○議長(石井光次郎君) おはかりいたします。
 内閣から、検査官に白石正雄君を、公正取引委員会委員に菊池淳一君を、行政監理委員会委員に安西正夫君、犬丸實君、太田薫君、佐藤功君、寺尾一郎君、吉武信君を、公安審査委員会委員長に大山菊治君を、同委員会委員に櫻田武君、富田喜作君、平林タイ君を、運輸審議会委員に荒舩清一君、佐野廣君を、日本放送協会経営委員会委員に木村四郎七君、藤田たき君を、日本電信電話公社経営委員会委員に谷口孟君、土井正治君を、労働保険審査会委員に猿渡信一君を任命したので、その事後の承認または同意を得たいとの申し出があります。
 まず、検査官、公正取引委員会委員、行政監理委員会委員及び労働保険審査会委員の任命について申し出のとおり事後の承認を与えるに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#13
○議長(石井光次郎君) 御異議なしと認めます。よって、いずれも承認を与えるに決しました。
 次に、公安審査委員会委員長、同委員会委員、運輸審議会委員、日本放送協会経営委員会委員及び日本電信電話公社経営委員会委員の任命について申し出のとおり事後の承認または同意を与えるに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
#14
○議長(石井光次郎君) 起立多数。よって、いずれも承認または同意を与えるに決しました。
     ――――◇―――――
#15
○議長(石井光次郎君) 御報告をいたすことがあります。
 議員川上貫一君は、去る九月十二日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 同君に対する弔詞は、議長において九月十六日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は多年憲政のために尽力された議員川上貫一君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
     ――――◇―――――
 故議員川上貫一君に対する追悼演説
#16
○議長(石井光次郎君) この際、弔意を表するため、中山マサ君から発言を求められております。これを許します。中山マサ君。
    〔中山マサ君登壇〕
#17
○中山マサ君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員川上貫一先生は、去る九月十二日逝去されました。
 川上先生は、過般行なわれた大阪府和泉市における市議会議員の補欠選挙の応援に連日奮闘中、八月二十八日、自宅において突如病に襲われました。以来、病床にあって治療に専念され、一時小康を得られましたが、病にわかにあらたまり、ついに永遠の眠りにつかれたのであります。
 私と川上先生とは所属する党派を異にし、いわば政敵として長い間選挙戦を相争ってまいりましたが、先生がかたい信念とあたたかい人間性をもってひたすら大衆のために献身された政治姿勢に対して、私は主義主張を越えて畏敬の念を抱いておりました。(拍手)いま川上先生を失い、哀惜の情ひとしお深いものを感じるのであります。
 ここに、皆さまの御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで追悼のことばを申し述べたいと存じます。
 川上先生は、明治二十一年一月、岡山県阿哲郡哲西町にお生まれになりました。中国山脈の奥深い山村の零細な農家の長男であった先生は、働き手として家を継ぐ境遇にありましたが、ひそかに海外雄飛を志して、高等小学校卒業後、進んで岡山県立農学校に学ばれました。しかし、在学中におとうさまをなくされた先生は、志を捨てて帰郷のやむなきに至り、明治四十年同校を卒業した後、僻地ともいうべき郷里の小学校で児童教育に当たられることになりました。
 大正三年、望まれて阿哲郡の郡書記に迎えられ、その後、岡山県、北海道、長野県の各庁を経て大阪府庁に移られました。この間、主として社会福祉事業を担当された先生は、当時顧みられることの少なかった仕事に懸命に取り組み、恵まれない多くの人々にあたたかい救済の手を差し伸べられたのであります。
 しかし、勤務に励む一方、先生は、早くから社会主義思想に強い関心を寄せ、共産主義に関する書物を次々に読破し、ことに「資本論」の全訳がわが国で初めて出版されると、直ちにこれを求めて、文字どおり読書百ぺん資本論の虫となられました。このようにして研さんを積み重ねるに従い、マルクス主義に寄せる関心は、やがて絶対的な信念にまで高められ、ついにすべてをなげうって共産主義運動に挺身しようとの決意を固められたのであります。そして、当時のきびしい弾圧のもとで、危険をも顧みず、実践運動に没頭されましたが、昭和八年これが発覚して検挙され、同時に、二十有余年にわたるところの官界生活にも終止符が打たれました。翌九年出獄して活躍中、昭和十一年再び逮捕され、以後数年間獄中生活の辛酸をなめられましたが、みずからの信条に生きんとしてあえて苦難の道を選ばれた先生は、この大きな試練に直面してもいささかも動ずることなく、き然として節を貫き通されました。
 昭和二十年、暗く重い時代が去って、わが国に平和がよみがえりました。疎開先の山形県西村山郡大井沢村で終戦を迎えた先生は、そのころのことを振り返って、御自分の著書の中で、「私たちはこの深い谷あいの大井沢村を去ることにした。私は晴々とした希望を抱いて東京へ帰った。東京には、日本共産党の公然たる赤旗が、立ち上がった人民の息吹きの前に、へんぽんとひるがえっていた。」と述べておられますが、当時の先生のお気持ちがよくしのばれるのであります。先生は、再建なった日本共産党に率先して入党し、こんとんたる世情の中で労働大衆の先頭に立って奮闘し、戦後の労働運動のいしずえを築く上に大いに貢献されました。
 昭和二十四年一月、第二十四回衆議院議員総選挙が行なわれるや、大阪府第二区から立候補し、選挙民の熱烈な信望を集め、みごと最高点で当選の栄を獲得し、本院に議席を占められたのであります。
 本院議員として川上先生は、日本共産党を代表し、本会議において、はたまた委員会において、しばしば質疑あるいは討論に立って政府を鋭く追及し、党の政策と主張を鮮明に打ち出されたのであります。君が満身に烈々たる闘志を込め、白髪をふるっての舌鋒は、まさに獅子吼のごとく、しかも、明快にして真摯な論議の展開は、問題の本質を徹底的に究明せずにはやまないきびしさがあったのであります。昭和二十六年、講和条約の交渉を前にして開かれた第十回国会の代表質問において、先生は、占領政策を痛烈に批判しましたが、身を挺しての言動は、当時の世論に大きな反響を巻き起こしたのであります。その後も事あるごとに問題を国民に提起し、その論点を明らかにしてこられたのでありまして、先生の数々の提言は、世論を呼び起こし、国民が問題を的確にとらえていく上に独自の役割りを果たしたのであります。川上先生こそ、まことにすぐれた論客の一人であったと申せましょう。
 党にあっては、昭和三十三年以来中央委員として大衆的革新政党の建設と発展のために奮闘し、さらに、昭和三十九年からは国会議員団長として国会議員団を率い、力強い議会活動を推し進められました。日本共産党が今日あるのは、議会活動と院外活動とを一体化して、献身的に活躍された先生の力によるところがきわめて大きかったと存じます。
 かくて、川上先生は、本院議員に当選すること前後六回、在職十五年三カ月に及び、その間、国家、国民のために残された業績はまことに偉大なるものがあります。
 思うに、川上先生は、旺盛な正義感と不撓不屈の信念をもって、共産主義の理想のために、生命の灯を燃やし続けられたのであります。そして、文字どおり東奔西走、粉骨砕身、ひたすら労働大衆への献身と奉仕に尽くされました。
 また、先生は、りっぱな活動家であるとともに、まれに見る勉強家であり、すぐれた理論家でありました。若くしてよく学び、年老いてもなお学び続けられ、常に知識の吸収につとめるとともに、この間、「資本論読本」をはじめ多数の著書をもあらわしておられます。病に倒れたその日も深夜まで読書しておられたとのことでありますが、川上先生が革命家として高く評価されていたのも、この不断の努力によって築き上げられた理論の裏づけがあったからにほかなりません。
 みずからに強くきびしく、その反面、先生は、自然をこよなく愛し、古美術に親しみ、漢詩をよくし、墨絵の筆をとられるという方でもありました。先生は、この豊かな心情をもって大衆に接し、大衆とともに語り、大衆とともに苦楽を分かたれたのであります。
 忘れもいたしません。昨年一月の総選挙では、あの高齢にもかかわらず、車のフロントガラスをはずして、きびしい寒風をまともに受けながらがんばり続けておられました。私は、その真剣な姿に接し、大衆を思い、大衆とともにありたいと願う先生の決意のなみなみならぬものをあらためて痛感し、同じく政治の道を歩む者といたしまして、身も心も引き締まる思いがいたしましたのであります。
 大阪の地元の人たちが、先生を大阪の誇りとし、惜しみなく支援をしていたのは、その政治信条もさることながら、先生の人間愛に対して限りない愛着と敬意を抱き、大きな信頼を寄せていたからにほかならないと存じます。
 川上先生は、よわい八十を数えながら、その情熱と気魄はいささかも衰えず、なくなられる前日にも、病床にあって一編の詩をつくり、若人の奮起を促し、また、みずからも再び立ち上がって働き抜く決意を示されました。
 命脈まさに尽きんとしてなお抱くこの激しい気概に、永遠の青年というべき先生の面目躍如たるものがありますが、その意気盛んな先生も、これを辞世のことばとしてついに波乱に富んだ生涯を閉じてゆかれました。まことに悲痛のきわみであります。
 内外の情勢が激動するときにあたり、川上先生のごときすぐれた指導者を失ったことは、日本共産党にとって大きな損失でありましょう。また、先生逝去の報が伝わるや、各地にわき上がった哀悼痛惜の声は、国家、国民にとってもいかに大きな損失であるかをまざまざと物語っていると申せましょう。
 ここに、川上先生の生前の事績を回顧し、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼のことばといたします。(拍手)
     ――――◇―――――
#18
○議長(石井光次郎君) 本日は、これにて散会いたします。
    午後二時二十分散会
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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