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1967/08/10 第56回国会 参議院 参議院会議録情報 第056回国会 本会議 第4号
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1967/08/10 第56回国会 参議院

参議院会議録情報 第056回国会 本会議 第4号

#1
第056回国会 本会議 第4号
昭和四十二年八月十日(木曜日)
   午前十時三十八分開議
    ━━━━━━━━━━━━━
#2
○議事日程 第六号
  昭和四十二年八月十日
   午前十時開議
 第一 国家公務員等の任命に関する件
    ━━━━━━━━━━━━━
○本日の会議に付した案件
 一、故議員中上川アキ君に対する追悼の辞
 一、故議員中上川アキ君に対し弔詞贈呈の件
    ―――――――――――――
#3
○議長(重宗雄三君) 諸般の報告は、朗読を省略いたします。
     ―――――・―――――
#4
○議長(重宗雄三君) これより本日の会議を開きます。
 議員中上川アキ君は、一昨八日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。
 加藤シヅエ君から発言を求められております。この際、発言を許します。加藤シヅエ君。
   〔加藤シヅエ君登壇、拍手〕
#5
○加藤シヅエ君 参議院議員中上川アキさんは、一昨八日午後六時三十七分、文京区湯島の東京医科歯科大学病院でリンパ肉腫のため逝去せられました。私は、故人とは学習院女学部において十一年間机を並べて学んだ間柄として、同僚議員の皆さまのお許しをいただき、本院を代表して追悼のことばを述べさせていただきます。
 中上川アキさんは、明治三十年八月東京に生まれ、大正三年三月学習院女学部卒業後、直ちに宮下医学博士と結婚され、二人の令嬢の母となられました。その後、宮下家を去られて、当時、音楽界に名をはせた藤原義江さんと結婚され、令息をもうけられました。その後、藤原氏とも別れられ、著書「ひとり生きる」に表現された御生活が始まったと仄聞しております。
 昭和二十九年には、株式会社資生堂に入社され、同社美容部長、後に資生堂美容学校長に就任されました。それに前後して、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、南米諸国に外遊されて、服飾、美容について世界的な権威者となられました。
 そのころ、NHKテレビは、娯楽番組として「私の秘密」を始めました。アキさんは、レギュラー・メンバーとして、七年の長きにわたって出演されましたが、頭がよくて、勘もすぐれているタレントとして、また、センスのよい衣装を着こなして出演されたことは、が然、大衆的な人気を一身に集められました。そのころ、私は、アキさんにクラス会でお会いしたとき、この番組の会場が移動するために、日本国じゅうをはせめぐり、毎日の新聞はすみからすみまで読んで、何でも知っていなければならないという、番組充実のために、このようなとうとい陰の努力があったことを、私は知らされました。
 昭和三十七年、参議院議員選挙にあたって、アキさんのいとこに当たられる自由民主党の藤山愛一郎先生は、このテレビ番組を通じてアキさんが得られた人気と、高い知名度をさらに生かしたいと考えられ、全国区からの出馬をすすめられたと伺っております。政治経歴もない女性候補の選挙戦における首尾はいかにと、報道関係はいろいろと取りざたしておりましたが、アキさんは参議院選挙史上、記録破りの百十六万余の票を集めて、最高点で当選されました。私は、アキさんに続いて二位当選をいたしましたが、同級生が二人そろって一、二位を占めたことは、偶然と申しますか、不思議な現象と申しますか、アキさんも私も、深く喜び合ったことを忘れることができません。
 ところが、たまたま、私たちの女学校時代の担任の女の先生が当時存命せられていましたので、ある新聞社の方が、この老先生をたずねて、「教え子が二人までそろって高点で当選した喜びの御感想は」と質問いたしました。老先生は、たちどころに、「女子は出しゃばらぬほうがよろしいと教えておきましたのに」と言われたと、その訪問記は報道いたしました。
 この老先生のことばは、アキさんや私が娘時代に受けた教育をずばり表現しております。思えば、アキさんの生涯は、明治、大正の日本女性が置かれた封建的な家族制度の厳格なワクの中にあって、自己の人間性に目ざめた女が、どのように苦しみ、どのように生き抜いてきたか、アキさんは、このイバラの道を歩み、冷たい世間の批判に耐え抜いて、みずからを欺かない、一つの女性像を残された方と思います。アキさんは恋愛の自由を信じられました。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、」云々の憲法第二十四条は、今日、私ども日本女性を家族制度のからから解放して、結婚生活の幸福を自分の責任において築き上げることを、高らかにうたっておりますが、顧みれば、つい先ごろまで、家という観念は女に服従をしいました。アキさんの生涯は、この服従とそして人間性への自覚の過渡期を体験され、勇気を持って戦われた姿と申さなければなりません。
 アキさんが参議院に来られてからの五年余は、文教委員会に所属されました。三人の子女を育てられた母として、子供たちの前に立ちはだかる入学試験の厚い壁の解決など、血の通った発言をされ、特に与野党の同僚議員から、アキさんが健康を害されるまで、委員会における出席率まことによろしく、終始端然として議席にあって、委員会の審議状況に深い関心を持ち続けられたと聞いております。このことは、はでな活躍ではありませんが、議員としての職責に忠実であられた故人の良心的なお人柄を物語っておるのではないでしょうか。
 麗人藤原あきの名をもってうたわれた中上川アキさんの姿を、私たちは再びこの議場に見ることができません。このことは、同僚議員一同心から悲しく思います。しかし、アキさんは、明治、大正、昭和と、激しく変転していった時代を生き抜いたすぐれた存在であり、この意味で、アキさんの御生涯は、日本女性史の一ページにいつまでも残る方なのです。
 私は、御遺族の皆さまにつつしんでお慰めのことばを贈り、故中上川アキさんの御霊の安らかな眠りに入られんことを祈り、追悼のことばとさせていただきます。(拍手)
     ―――――・―――――
#6
○議長(重宗雄三君) おはかりいたします。
 中上川アキ君に対し、院議をもって弔詞を贈呈することとし、その弔詞は議長に一任せられたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○議長(重宗雄三君) 御異議ないと認めます。
 議長において起草いたしました弔詞を朗読いたします。
   〔総員起立〕
 参議院は議員正五位勲三等中上川アキ君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます
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 弔詞の贈呈方は、議長において取り計らいます。
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#8
○議長(重宗雄三君) これにて休憩いたします。
   午前十時四十九分休憩
   〔休憩後開議に至らなかった〕
ソース: 国立国会図書館
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