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1967/07/18 第55回国会 参議院 参議院会議録情報 第055回国会 逓信委員会 第19号
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1967/07/18 第55回国会 参議院

参議院会議録情報 第055回国会 逓信委員会 第19号

#1
第055回国会 逓信委員会 第19号
昭和四十二年七月十八日(火曜日)
   午前十時四十五分開会
    ―――――――――――――
   委員の異動
 七月十四日
    辞任         補欠選任
     鬼丸 勝之君     迫水 久常君
     久保  等君     鈴木  強君
 七月十五日
    辞任         補欠選任
     二宮 文造君     和泉  覚君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         森中 守義君
    理 事
                植竹 春彦君
                寺尾  豊君
                西村 尚治君
                森  勝治君
    委 員
                古池 信三君
                郡  祐一君
                白井  勇君
                新谷寅三郎君
                谷村 貞治君
                安井  謙君
                鈴木  強君
                横川 正市君
                和泉  覚君
                石本  茂君
                鈴木 市藏君
   国務大臣
       郵 政 大 臣  小林 武治君
   政府委員
       郵政政務次官   田澤 吉郎君
       郵政大臣官房長  竹下 一記君
       郵政省電波監理
       局長       浅野 賢澄君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        倉沢 岩雄君
   参考人
       放送番組向上委
       員会委員
       総理府中央青少
       年問題審議会委
       員        石井幾久子君
       教育放送番組モ
       ニター
       三鷹市教育委員
       会社会教育委員  小川 一郎君
       作家・評論家   曾野 綾子君
       日本放送協会会
       長        前田 義徳君
       日本放送協会副
       会長       小野 吉郎君
       日本放送協会技
       師長・専務理事  三熊 文雄君
       日本放送協会専
       務理事      赤城 正武君
       日本放送協会専
       務理事      浅沼  博君
       日本放送協会理
       事        志賀 正信君
       日本放送協会理
       事        佐野 弘吉君
       日本放送協会総
       合企画室総務   野村 忠夫君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○放送法の一部を改正する法律案(内閣提出、衆
 議院送付)
    ―――――――――――――
#2
○委員長(森中守義君) ただいまから逓信委員会を開会いたします。
 初めに、理事打合会の結果について御報告いたします。
 本日の委員会においては、まず、参考人の出席要求について御決定願ったあと、放送法の一部を改正する法律案について質疑を行なうことになりましたので、御了承願います。
    ―――――――――――――
#3
○委員長(森中守義君) 次に、委員の異動について報告いたします。
 去る十四日、久保等君及び鬼丸勝之君が委員を辞任され、その補欠として鈴木強君及び迫水久常君が選任され、十五日、二宮文造君が委員を辞任され、その補欠として和泉覚君が選任されました。
    ―――――――――――――
#4
○委員長(森中守義君) これより議事に入ります。
 放送法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 まず、参考人の出席要求に関する件についておはかりいたします。
 放送法の一部を改正する法律案の審査に資するため、参考人から意見を聴取することとし、放送番組向上委員会委員・総理府中央青少年問題審議会委員石井幾久子君、教育放送番組モニター・三鷹市教育委員会社会教育委員小川一郎君、作家・評論家曽野綾子君、以上三名の方を参考人に決定いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#5
○委員長(森中守義君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
#6
○委員長(森中守義君) 初めに、政府から提案理由の説明を聴取いたします。小林郵政大臣。
#7
○国務大臣(小林武治君) ただいま議題となりました放送法の一部を改正する法律案につきまして、提案の理由を御説明申し上げます。
 放送法第三十二条第一項におきましては、日本放送協会の放送を受信することのできる受信設備を設置している者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならないと定めております。
 この契約は、協力がその使命を達成する上に必要な経費の財源として徴収する受信料の基礎となるものであります。
 現在、この契約に関し、協会におきましては、すべての種類の放送の受信について契約と、ラジオ放送のみの受信についての契約とに分けて締結しているところでありますが、最近における放送の普及発展の現況にかんがみまして、この際、ラジオ放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については受信契約の締結を要しないことといたしますことが適当であると考えられますので、このたびの改正を行なおうとするものであります。なお、この措置は昭和四十三年四月一日から実施するようにいたしております。
 以上がこの法律案の提案の理由でございますが、何とぞ、慎重御審議の上、すみやかに御可決くださるようにお願い申し上げます。以上。
#8
○委員長(森中守義君) 参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は御多用のところ、本委員会のために御出席くだざいまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚く御礼申し上げます。
 当委員会におきましては、ただいま放送法の一部を改正する法律案の審査中でございますが、参考人の方々から、放送番組のあり方等に対する忌悼のない御意見を承りたいと存じまして、御出席をお願い申した次第でございます。よろしく御協力をお願いいたします。
 御質疑のある方は、順次御発言を願います。
#9
○鈴木強君 本日三人の先生方、たいへんお忙しいところをおいでいただきまして、ありがとうございました。私からも厚く御札申し上げます。
 実は私は、かねてテレビ、ラジオ等の番組が国民に与える影響はどんなものであろうかという非常に強い関心を持っておったのでございます。特に、昭和四十年に放送番組向上委員会という組織がつくられました当時一番問題になりましたのは、三十八年から三十九年にかけて、全国的にテレビ番組に対する批判が出てまいりまして、番組水準の向上をはかるという、そういう趣旨からして、NHK、民放が協力してこの放送番組向上委員会がつくられたものと見られます。そこで私は、特に、今月の二十日ごろないし今週くらいから、小学校の生徒あるいは中高校、大学生、こういうふうに青少年の諸君も夏休みに入りますし、家庭におってテレビやラジオの番組を見る機会も多くなろうと思いますから、この際、先生方に、これらの問題を中心にして、ぜひ御意見を承りたい、こう思っておるのでございます。
 御承知のように、昭和二十八年の二月にNHKがテレビ放送を開始いたしましてちょうど十四年、また、同年の八月に日本テレビが商業放送テレビとして開局されましてからちょうど十四年になると思いますが、受像機の数をちょっと調べてみますと、放送開始当時はわずかに八百六十六台でございました。しかし、現在は千九百二十万台。わが国の総世帯が二千四百十万世帯ありますから、ラジオの受信者を含めますと、普及率は九
〇・一%、これは四月三十日現在でございますが、このように驚くべき発達を遂げておるのであります。いまでは、もうテレビとラジオというものは家庭の中では欠くことのならないものになっていると思います。ですから、それだけに、非常にテレビ、ラジオというものが国民に与える影響は大きいと思います。
 私は最初に先生方にお尋ねいたしたいのは、いま申し上げましたように、ラジオ、テレビというのが一体、特に青少年にどういう影響を与えておるだろうか、こういう点を最初に承りたいのでございますが、ちょっと私、ある新聞の論説を読まさしていただきますと、こんなふうなことも書いてあるのであります。「青少年の情操教育上、テレビの子供向け番組がいつも問題になり、あるものは指弾をうけているが、放送番組向上委員会でも”ちびっこのどじまん”や”ちびっこNO1”などを好ましくない番組として取り上げ、制作局に対して改善を要求、また局側もこれを了承するという事件が、つい先日あった。番組向上委が指摘した点は、学童を、あたかもサル芝居のようにあつかい、子供らしからぬ演技をやらせ、これを売りものにしている制作態度、子供に歌わせる歌曲の不適当とジェスチュアーのゆき過ぎ、これらを是認するだけでなく、むしろ賞揚する審査員の態度などの数項にわたっているが、たしかにこれらの番組を視聴したあとの感じは「低劣」の一語につきる。」、こういうふうに論説しておるのでありますが、後ほど私はさらに具体的に、子供向けの番組としての漫画とか、あるいは、よろめきドラマ一般の、そういうものがどう影響をするかということを具体的にお尋ねしたいのでありますが、総括的にどういう影響を与えていっているかということは非常にこれはむずかしゅうございます。私もいろいろ書物や何かを勉強させていただきましたが、ある者はこれはいいと言うし、ある者はまあまあだと言うし、いやこれはだめだというふうに、その人の主観も入るだろうし、むずかしいと思います。総括的に論ずるとしても、むずかしいと思いますが、どうか、その辺は一般的な問題として、それぞれのお立場で、たとえば石井先生の場合ですと、番組向上委員として当初からずっと参画いただいているわけでありますから、そういう立場と、また一面、主婦という立場もあるでございましょうし、小川先生の場合には、児童心理学的な問題として、特に青少年にどういうような影響を与えているのか、曽野先生の場合には、こういうような作家あるいは評論家というふうになっておりますが、私はそういうことにこだわらずに、どうぞ、家庭の主婦としての立場でもけっこうでございますから、忌憚のない意見を最初にお尋ねして、それから具体的な問題について、さらに突っ込んでお尋ねしたいと思いますが、たとえば、CMなんかの問題もどういうふうに子供に態響しているのか、あるいはNHKと民放との教育放送についての考え方もあったら、その点でもけっこうでございますし、漫画等についても、最初は抽象論でもけっこうですから、どういう影響があるか、そういうことをひとつ最初にお三人からお聞かせいただきたいと思います。
#10
○参考人(石井幾久子君) ただいま鈴木委員からのお話によりまして、私どもの申し上げたいことをだいぶもう御研究になっていらっしゃいまして、相当話が出ていると思いますので、私どもの番組向上委員会が最初に児童向けのテレビ番組について取り上げようとしましたということにつきましては、そのテレビが子供たちに対する影響力のはかり知れない大きさということ、それを考えたわけでございますけれども、いまお話しのように、その影響力がどういうふうにあらわれるかということは、抽象的に申しまして、長期にわたって累積的の生活の中に溶け込むその影響というのは、なかなか、日本及びあるいは他の諸外国でも調べておりますけれども、つかみにくいところがございます。で、個々の番組がどういうふうな影響を与えたかということについては、わりあいわかりやすいという点がございますので、個々の影響力ということから申し上げたいと思うわけでございますが、よく非行少年が出た場合に調べますと、テレビを見て、それでそういうことを行なったというふうな発言があるわけでございます。しかし、それは一部分のそういう青少年の場合でございますけれども、確かに、テレビの画面の中で、暴力の場面とか、あるいは犯罪の手口を教えるような場面、そういうような、このごろたいへんはやります刑事もの、あるいは事件もの、「ザ・ガードマン」というふうな、そういうふうないろいろな、たいへん興味の多い番組があるわけでございますけれども、その中でやはりそういう問題が起こるということが一つございます。まだ自己の精神の確立していない年齢の子供たちには、そういうふうなものは見せたくないというふうな考え方、それは時間帯で区別できると思うわけなんでございますけれども、一方に、子供の時間にどういうふうなものが放送されているかといいますと、御承知かと思いますけれども、大体五時から六時、七時、八時までの時間というのは、かえって七時、八時はおとなと一緒に見る時間でございまして、家族とともに楽しむ番組というふうに放送局でも考えているわけでございますが、五時から七時まではちょうど母親の夕食のしたくなんかに忙しいときで、子供たちが独自でチャンネルを回して好きなのを見ているという、わりあい野放しになっておる状態の時間なんでございます。そういうときに多いのが漫画及び怪獣、それから忍者ものというふうなことで、その中でどういう影響を受けるかといいますと、結局、遊びにそれはあらわれるということが一つの大きい点であると思うわけです。で、お昼間の遊びにまたその時間にある西部劇なんかをまねしているということは始終私どもの目撃するところでございますし、あるときはその忍者ものの手裏剣を投げたり、はしを投げたりという、そういう危険なこともやはりまねをしてするという、そういう点。それからまた一方、もう少し低年齢の幼児がやはりその時間はとても好んで見る時間なんでございまするけれども、怪獣ものに対してたいへん恐怖心を抱いて夜漏らすとか、一人で手洗いに行けないとか、いろいろなそういう恐怖心を起こさせるというふうな、そういうものもございます。
 まあそういうふうな悪いほうの影響からいいますと、いろいろございますけれども、また一方において、その時間にたいへん美しい、あるいは情操教育に役立つようなものが放送された場合には、それは大きなプラスになるということもございます。で、NHKの教育放送なんかでは、ちょうどあいにくと、その五時から六時ごろ打ち切っている時間があるわけです。私どもはむしろ、そういう時間に情操教育に役立ち、あるいは文学的なものがあれば、子供たちにはもっといいんじゃないかということも考えているわけでございますが、いまの問題で、母親のほうの立場でいいまして、テレビに対してもっと自信を持って倫理の抵抗と申しますか、そういうことをするのには、スイッチを切って子供に見せないということもあるわけでございますけれども、やはりそこは親の権威を持ってそこまでしていいかどうかという問題になりますと、やはり親の行き過ぎということも考えなければならないわけで、テレビ局のほうで、そういう子供の見る番組については大いに考慮しなければならないという考え方があるわけです。
 で、直接の影響力がどの程度というのは、先ほど申し上げましたように、個々の番組を見てのときには言えましても、累積的な効果ということについては、たいへんむずかしいのでございますけれども、やはりそのときにやられます漫画があるのです。「おそ松くん」とか「丸出だめ夫」とか「忍者ハットリくん」とかという名前からして、たいへんおそまつであり、また、「丸出だめ夫」というふうな人間軽視のような名前がついているわけですけれども、それは出版社で出しております漫画からの影響で、それをテレビで取り上げているということなんですが、その中に出てまいります人物で「イヤミ」という歯が三本前へ出たたいへんグロテスクな頭をした人がいるわけです。それを見ますときに、私ども、いやな感じの人だなと言って、私の娘の子供で幼稚園に行っておりますのと一緒に見まして、あんな感じの悪いものは見ないでやめたらどうだと言いますと、いやわりあいおもしろいのだと言って喜んでそれを見ているわけなんです。私も、そう言いますものですから、あと二度ほどその後見ましたけれども、その「イヤミ」の変なグロテスクな顔が何ともなくなって、自分自身いやさが感じられなくなってくるわけです。それを思いますと、やはり子供の純真な、何でも白紙に赤インクをすっと吸い込むように受け入れるときにおいて、そういういやなあまり好ましくないものが何ともなく感じられるような考え方を養っていくということを、おとなの考えからして類推していくわけなんでございます。そういう意味において、情操を高めるようなものに接していないと、美しいものが美しいとし、あるいは、よくないものがよくないものとされるような情操が養われないという、そういうふうな影響も考えられますので、そういう点、大いに私どもの向上委員会としては、放送局側へ警告しているわけでございます。
 しかし、一方、私の考えを申し上げたいのは、母親とか、あるいは学校の先生たちも、そういう場合に自分たちも見て、それはいけないんだからチャンネルを切るとか、それだけの自信を持ってやっていっていただけるならば、放送局側としましても、これは視聴率が下がるものだったら考えなきゃならない、みんなから好まれないということによって、また送り手の側の考え方も変わってくると思うわけです。私どもは、大体送り手の側の自主規制の機関としております向上委員会にいるものでございますから、あくまでよいものを流すということに考えて、受け手の側のことまでとやかく言うのは僭越であるかもしれませんけれども、受け手の側がやはり自覚を持ち、認識を高めていくようにどこまで指導していただくかということは、この子供の番組については、やはり成人でない、一人前でない子供たちを指導する立場の両親とか学校の先生とか、そういうふうな面へ何とか働きかけることも一面必要じゃないかと思っております。先ほどお話の出ました視聴者参加番組の中で、「ちびっこのどじまん」とか「ちびっ子NO1」とか、あるいは、その前ごろに、もういまはやめになりましたけれども、「踊って歌って大合戦」とか、あるいはもう一つは、いまも続けられておりますトニー谷の「アベック歌合戦」とかというふうなものがございまして、その中では、最初のころは、子供に扮装させたり、それから、おとなの「あんこ椿は恋の花」とかというふうな、あるいは「網走番外地」というふうな極端なものまで歌わせたことがございまして、それは警告しましたことによって、放送局でも自粛されたと思うわけでございます。大体、放送局、民放あるいはNHKがつくっております自主機関としてのこの放送番組向上委員会の勧告ということについては、それを放送局側として受け入れてもらわない限り、今後、自縄自縛ということで、第三者がとかく介在するような面が出るのじゃないかということを各局には私ども申して、その子供番組についての向上ということに大いに力を入れてほしいと申しておるわけでございます。
 まだございますけれども、時間いかがでございましょうか、この辺で……。
#11
○参考人(小川一郎君) いまの御質問は、子供にどういう影響があるかという点だったと思います。しかし、私はその前に、放送の問題は子供の問題であると同時におとなの問題である。広くいえば国民全体の問題なんです。だから、よく放送局では、娯楽番組とか教育番組とか教養番組とか報道番組とかという分け方をしています。しかし、その基本になるのは、私は国民文化の問題だと思うのですね。教育の問題であり、文化の問題だと思うのです。いわば国民的課題だと思います。そういうことを基本に踏まえて番組編成をしていただくことが大事なんじゃないか。だから、その中から取り出して、子供だけの問題じゃなくて、そういうふうな基盤に、国民的課題なんだ、今後の日本の将来をしょって立つところの国民の、いや青少年の文化的な教養というものが高まらなければいけないのだということを基本に置かない限り、この辺を基盤にしない限り、番組の内容向上という問題は考えられないのじゃないか、こういうふうに思われます。
 先ほど影響という問題がございましたが、考えてみますと、先ほど鈴木委員からお話もございましたように、確かに、各国がこれに対して子供の影響の問題を調査している。日本ではNHKの有名な静岡調査、世界的に名高い静岡調査というのが、五年にわたってたんねんに子供への影響を調査した資料が、日本の資料としてございます。また、文部省のがございます。しかし、それらの結論を見ますと、必ずしも一致した結論を出しておりません。それはなぜかといえば、子供に与える影響が、そのまま一体成長の暁にどういう影響をしているかということまでがわからぬくらい、まだ歴史が新しゅうございます。私はそういう結果だと思うのですが、で、考えてみますと、固定した時間層というのが子供にはございます。それはたとえば学校に行っている時間、睡眠時間、食事の時間、その他、固定したところの時間が十六時間、これは二十四時間の三分の二でございます。それからもう一つは、流動した時間層がございます。それはどういうのかというと、夕食の前後の時間と、就寝前後の時間でございます。この時間におけるテレビというものが一番私は子供に与える影響が問題じゃないか、こういうふうに考えます。学校の中の問題は、別に学校放送番組が出ておりますから、教師がついておりますけれども、そうでない時間の中で一体どうしたらよいかというところに問題があるのじゃないかというふうに考えます。
 それを調べてまいりますと、どうも子供の状態を調べてまいりますと、テレビから受ける影響には、知性が一つございます。知識の内容を与える番組、それから知性をどう育てていくかという問題、知性への影響、それから感情、特殊な感情を伝えるようなものですから、感情への影響がございます。もう一つは、繰り返し見て習慣となって、そういう意味での人格が形成されるという、こういう問題がございます。
 で、子供のテレビとの関係の生活を見てまいりますと、みずから進んでテレビを見る場合があります。おもしろいから、ためになるとかという。それからもう一つは、みずから進んでテレビを見る場合には、知らないと仲間はずれにされるから、つまり、共通の話題が必要なんだという場合が一つございます。それからもう一つは、ほかにテレビ以上のものが求められないからしかたなしにテレビを見る場合がございます。どっちが大事かといえば、私はあとのほうがたいへん重要じゃないかというふうにも考えられます。
 こういうふうに考えてまいりますと、その中で、第一の、子供の仲間はずれにされる、共通の話題になっている、だからテレビを見ていなければならないのだ。そのときに子供の話題がたいへん重要なのは、その話題が教育性を持った話題なのかどうか、そういう話題でもって進められているようなテレビの内容であるのか、それとも、とんでもない話、話題になるような、中学生にはそういう傾向が見られないんですが、主として小学生の中学年から高学年に関する問題です。したがって、そういうふうな子供の話題というのは、テレビ仲間、要するに、友だちの話題に参加する、参加できなくなると困るという、そういうことがたいへん大きいことだ。
 それからもう一つの大きい影響を申し上げると、テレビをかこんでいるところの家族的な団らんの中ではぐくまれる。そこで親の問題になってまいります。そこで私が国民的課題だというのは、また、テレビの子供の問題は、実はおとなの問題だというのは、そこのところなんですが、で、そういう中において一体どういう影響があるかと申しますと、これはいろんな人がいろいろなことを調べておりますけれども、一番大きいのは、やっぱり青少年の価値観の変化だと思います。子供の欲求の変化だと思います。テレビにあらわれた人物、テレビにあらわれるところの行動、そういうものによって、その人間が生きていく上の、人生に処していく上の価値観というもの、そういうものが一体高められていくのか高められないのか、そこのところにたいへん重要な問題があるんじゃないかというふうに思います。
 いま、番組の一つ一つの具体的な例については、しょっちゅう番組を見ていらっしゃる石井さんからお話がございましたから省きますし、正直申しまして、私も毎日毎日全部のテレビを見ているわけではございませんので、一般的な問題として申し上げて、ひとまずこれで御質問の答えを打ち切りたいと思います。
#12
○参考人(曾野綾子君) 小説書きというのは、ものごとを個人的なものとするのはわりとできるんでございますけれども、一般化するという操作になれておりませんので、私がここでお話申し上げるのは、たいへん片寄ったものの考え方ではないかと思うのでございますけれども、ラジオ、テレビが子供に与える影響について考えますときに、一口に子供と申しましても、年齢によって分けなければいけない。それからまず、いまラジオ、テレビというものがもうこの世であるものだという規定、そういうものがあるんだという規定した考え方の上に立ってのお話でございましたけれども、その点から一応テレビ、ラジオというものはどのように、ほんとうに要るものなのかどうかというところ、この二点をからみ合わせて考えたいと思うんでございます。
 子供の年齢によってと申しますのは、学齢前から小学校の三、四年ぐらい――低学年から中学年ぐらいまでというのは、まだいわゆるたとえば本を読むという場合にいたしましても、知識を吸収するための語彙とか活字とか、そういうものが豊富でございません。ですから、活字による知識よりも、視聴覚的なものから知識を得ていくほうが有効でございます。それでまた、実際に母親たちが直面しております問題というのは、木を読んでやるったって忙しいし、遊びに連れていくには遊び場がない、それから道で遊ばせれば親は付き添っていなければならないけれども、そんなひまがない。とすれば、交通事故の多い今日、テレビの前へすわっていてくれたら、これが一番楽で安心だというのが偽らざる本音じゃないかと思うんでございます。ですから、私は、学齢前から小学校三、四年ぐらいまでというものが、これはテレビがかなり積極的な知識であり、娯楽であり、もちろん、運動や何かとの配分が適当にできたと仮定されたとしてのことでございますが、それはいいものだと思います。しかし、小学校五年生ぐらいからそれ以上に、いわゆる勉学、勉強というものをしなければならない年になりますと、教育というものは、あらゆる意味で積極的でなければならないものでございます。ですから、あとから御説明いたしますけれども、テレビの伝達の方法そのものが、これは積極的なものとは言いがたいところがある。ですから、小学校五年生から上の子供たちにとって、テレビというものは非常に多くの部面において娯楽的であるか、あるいは、ないよりましという状態になると思います。
 その第一はテレビの伝達方法でございますが、テレビというものは、あくまで受動的文化でございます。これはすわっていて降ってくるようにして、何も木を読まないで、本を買わなくても、借りに行かなくても、せいぜいできることは、新聞のテレビ番組のいわゆる書いてあるものを見て、そして、この番組を見たいといってチャンネルをひねるだけのことである。それでチャンネルを切りかえるだけがその人間の意思ということになります。ですけれども、学習というものは、どうしても能動的な形でなければならない。つまり、人から与えられるものだけ受け取っていて、それで何かしら教育になるという、そういうふうなイージーなものの考え方で勉学ができるものではございません。その当時、その年代においてしつけなければいけないのは、自分が愛する道を自分で見つけて、そして死にもの狂いになってそれに突入して、それに必要なものを得ていくという態度でございます。ですから、遊びにおいてすらも能動でなければならない。それが、テレビ文化というものは、全部たなぼたのように上から降ってまいります。どなたか知りませんけれども、もちろん、企画者というのは非常に子供たちのために考えておりますけれども、それによって上から与えられるものを受け取っていく、それが教育的なものであるというふうな形になる。この態度になれることのおそろしさを私は思うんでございます。受け身のものでも、もちろん、たとえば音楽のように、非常に精神の高度の緊張を要して、その中でもって自分がまたそれを刺激にいたしまして自分の世界をつくるというものがありますけれども、その場合に、たとえばバッハの秦鳴曲を聞くか、あるいは舟木一夫の流行歌を聞くか、これは自分でやはりそこで選択をしなければならない。それが、何となく流れているから聞くというのではなくて、そこで問題になってくるのは、万人向きであり、それは視聴率も結びついてきますけれども、そのようなものにささえられているテレビ、ラジオというものが、本来のやはり学習あるいは教養を身につける態度と根本的に相反するものがあるということであります。
 それから、これは次の第二番目の危険な点でございますけれども、子供たちの注意力の集中というものを妨げる。これは常にいわれていることですが、ながら族というのが出てきている。御飯を食べるのにも、勉強をするのにも、何かなければならない。私が数年前に見ましたアメリカの漫画で、いまでも記憶に残っているのは、ある殺人犯がつかまりまして自白するところがある。そして取り調べの刑事室の中で、ただじゃ自白できない、だんな、あっしゃギターがあれば何でも言うんだと言って、ギターをかき鳴らしながらひき語りで全部殺人を自白するという、たいへん印象的な場面があったのでありますが、それに近いような、ながら族が出てくる。もちろん、ながら族でもけっこうなんでございますが、テレビ、ラジオというものが、一つのものが自分の思考にかかわらず、ある一定の時間まで動いてまいります。ですから、それにつれて自分の心理も流されてまいります。ストップをかけられない。ところが、われわれの生活で非常に大切なのは、なぜだろうといって立ちどまって考えることでございます。これができないような状態になっております。
 それから三番目に、これはたいしたことではございませんが、家族や職場での会話をテレビというものが非常に奪っております。もちろん、先ほど控え室の小川先生から伺っておりましたが、テレビ番組について語り合うということもできるのでございますけれども、テレビ番組の内容を借りてしか自分の心のほんとうのものを言えないというのは、私はどこかに間違ったものを感じる。やはり会話というものは、どんな助けがなくても、自分の心にあったものを語るのがほんとうの会話じゃないかと思うのであります。そういう人間の、ヒューマンリレーションの根本的なものを、テレビやラジオがゆがめているのじゃないか。私は、しかし、後にいい点も申し上げようと思っているのですけれども、悪い点ばかり申し上げましたけれども、テレビというものはもうあるのが当然だと思っているところに、私たちの少し考え方の違いがあるんじゃないかと思います。
 それだけでございます。
#13
○鈴木強君 それぞれのお立場から伺いましたが、とうしても話が抽象論に――私の質問が抽象的ですから抽象論になると思いますが、そこで、いろいろのお立場でたいへん貴重な御意見を承りましたが、そもそも、ほんとうは私は、全般的なテレビ、ラジオの影響ということを聞いて、その中で青少年のことにいけばいいのですが、時間がありませんから、青少年に限ったような形でやっておるのですが、これは各国とも子供向けの番組に対する放送コード的なものがありまして、オーストラリアにしても、イギリスにしても、あるいはアメリカの場合にしても、日本の場合ですと、NHKと民放と二本建てになっておりますが、放送法に基づく番組基準というものを完全に守っていただくならば、いま御指摘のような、子供に与える情操、あるいは教養を向上するという、そういうことになると思うのでございます。小川先生もおっしゃるように、番組というものは根本的に、子供向けの問題だとか、おとな向けの問題だとかということじゃなくて、国民のやはり文化的な、あるいは国民的な課題であると、こうおっしゃる、そのことは全くそうだと思いますね。ですから、そういう思想に立って、それぞれ番組を編集してもらいたいという一応のものさしはあるわけです。たとえば民放の児童向けの放送基準を拝見しますと、「児童向け番組は、児童に与える影響を考慮して健全な常識と豊かな情操を養うことを目的とする。」「制作に当っては、特に良い習慣。責任感。正しい勇気などの精神を尊重し、これを傷つけないように配慮する。」「暴力や悪徳行為などの場面を取り扱うときは、特に慎重にする。」「児童にふさわしくない好奇心や、冒険心を起こさせないように注意する。」「すぐれた作品でも、残忍・陰惨・恐怖・悲哀などの表現は児童の心理を過度に刺戟したり傷つけたりしないよう慎重に取り扱う。」とか、「児童の品性をそこなうような言葉や下品な表現は避ける。」「歌謡等で児童に不適当なものはそのメロディーも使用しない。」、こういうふうな一応の基準がございます。NHKの場合も大体同じようでございまして、そういうふうな四つの条項が、NHKの場合にも国内番組基準としてあるわけなんです。ですから、こういうものをほんとうに、つくるほうも、あるいは民放におけるスポンサーですね、そういう方々も正しく理解をし、正しく運営してもらえば問題はないと思うのですが、そこにはやはり、たとえば、さっきの「ちびっこのどじまん」とか「ちびっ子NO1」のように、子供に小学校の歌を歌わしたのじゃ――歌唱というのですか、ああいうものを歌わせては視聴率も落ちる。ですから、やはり歌謡曲を歌わせると視聴率も上がるからこれをやっておるということを、向上委員の皆さんから聞くわけです。ですから、そういうふうな、ただ見せればいいのだというような、視聴率を上げればいいのだという、そういう考え方でもしおったとすると、内容的に問題が出てくると思うのです。ですから、それは民放側の問題であって、放送するほうはしていないのだということは言えるかもしれないが、そこを要するに、一体になって、いいものをコードに基づいてできるだけやっていくという、そういう姿勢がやはり一番必要だと思うのです。
 そこで、具体的にお伺いしたいのは、日本の場合には、子供番組といいましても、ほとんどが漫画ですね。私がちょっと調べてみましても、大体午後の五時、六時、七時、八時近いものを見ますと、去年の夏休み番組を見ますと、ほとんど漫画でつぶされていますね。昭和三十八年の二月には四十二本で、東京七局が放送時間合計で四百二十一分、それが三十九年二月には四十四本、六百二十五分、四十年の二月には四十九本、七百七十分、四十年八月には六十一本、九百三十五分ということで、ほとんどテレビは子供向けのものが漫画でつぶされている。私は漫画家の久里洋二さんがある新聞に書いてあるものを見ましたが、その中にも、「日本のテレビ漫画を見ていると、すべて戦争ものが多い。SFの中に宇宙戦争、怪獣との戦い、そして破壊的な作品ばかりである。いまの日本の子どもたちの考えとぴったりなのかも知れない。しかし、アメリカは別として、ヨーロッパのテレビ漫画には、このような戦争ものや、破壊的なテレビ漫画は見当たらない。とてもロマンチックで甘くて楽しい美しい漫画映画ばかりである。テンポも日本のテレビ漫画のように早くはなく、のんびりしている。」「アメリカの子どもと日本の子どものテンポはほとんど同じではないかと私は思う。その原因は、テレビの出現と同時に大量のアメリカ漫画映画がはいってきたことによる。」、要するに、日本のテレビというものは完全にアメリカナイズされている。私は世界一周してきましたが、ヨーロッパあたりのテレビなんかを見ましても、たとえば、曽野先生おっしゃったように、ダイヤルを切ればいいじゃないか、あるいは切ったらどうかという、そういう親の気持ちですね。これはどなたかのお話の中にありましたが、こういったものとも関連して、ヨーロッパの放送時間も非常に少ないのです。たとえば七時ごろ、夕食時になるとスイッチを切るというのです。そうして子供を含めて、きょうは子供がどういうことをした、おとうさんはどうした、おかあさんはどうしたと、団らんの時間にしているということを私聞いたのです。日本の場合はそうじゃないのです。子供は学校から帰ってくると、どこかで一生懸命遊んでいますけれども、六時になると必ず帰ってきて、親が何を言おうと、七時のニュースになったって、ダイヤルは絶対に親にやらない。せんだっても、私の群馬県の友だちが来まして、非常に困ったことだ、六時になると家に帰ってきて、テレビの前にすわり込んでしまって、絶対ダイヤルを貸してくれないというのです。七時になってニュースを見たいから何とかしてくれと言うと、金よこせと言う。最初は十円だった、このごろは五十円になって、五十円やるとニュースのときだけ貸してくれるのだそうです。そうして二十分たつと、かちっとダイヤルを回して漫画を見ている、こういうようなところまでいっているわけです。ですから、この漫画というものが、一体、非常に子供に見られておるし、もちろん、内容等によって、怪獣ものでも、最近は人間が中に入ってやっているから、もう五、六年生になると、そんなものおもしろくない、一つもこわくないということもあるし、いろいろ見る年齢によって、曽野先生おっしゃるように、違いはあると思いますが、しかし、そのことが一体どう影響するかということ。私は十六日の朝日新聞を拝見しましたが、この中に、「漫画のマネ水へ飛込む」、こういうのがありまして、これは熊本県ですけれども、「十四日夕、熊本県下益城郡城南町赤見の農業、伊津野功さん(三二)の次男、学ちゃん(三つ)がテレビ漫画の空飛ぶ主人公「パーマン」をまねて近くの用水路にかかった橋から水面に向って飛び、水死した。松橋署の調べでは、付近に人家はなく、いっしょに遊んでいた幼児の知らせで約四百メートル離れた自宅から両親らがかけつけたが、」学ちゃんは羽根のかわりにふろしきを使って飛び込んだのですね。ですから、ふろしきで首を巻かれてしまったもんですから、深さ二メートルの水底へ沈んで死んでしまった。ですから、こういう「パーマン」の遊びというものは最近児童の間にたいへん流行しているということがあるのです。ですから、こういう子供たちが、三つくらいですから、テレビ見て、これはおもしろいというので実際にやったんでしょうね、これは。しかし、これは七つか八つ、小学校へ行くころになると、水の中に飛び込めば死ぬんだということがわかるからやらないんですね。ですから、見る年齢層によっても違うんでしょうが、こういうことが現実に日本の社会の中に起こっているわけですね。ここいら、漫画というものが一体子供にどういう影響を与えているかということはなかなか判断むずかしいと思います。いい面もあるし、悪い面もある。しかし、具体的にこういう問題も出ているのですから、そこいらのとらえ方が非常にむずかしいので、私は、さっきの放送コードといいますか、基準というものに基づいて配意をしていただくことが根本的になると思うんですが、そこいら、漫画というものがあまり多過ぎるという感じしませんでしょうかね、子供向けの番組。そこいら、ちょっと伺いたい。
#14
○参考人(石井幾久子君) いまおっしゃった漫画は、あまりよくない例のほうの御指摘があったと思いますけれども、
  〔委員長退席、理事森勝治君着席〕
いままでに漫画といいますか、動画というので「ジャングル大帝」とか「鉄腕アトム」とか、そういう個々の例をあげて申しますと、たいへん子供の夢を育てるよい面もあったわけでございます。ですから、漫画必ずしも私は攻撃しないでも、それがいいほうにいけば、子供の情操教育あるいは感情の陶冶にも役に立つ面はあると思うわけでございます。ただ、いま御指摘のように、放送局がとかく興味本位のほうにいくということにおいて、それはやはり放送局自体へも要望しなければならないことでありますと同時に、子供を指導する親とか先生とか、そういうふうな面もやはりそれにもっと関心を持って、これでは困るというふうな世論の形式ということが、漫画ブームに相当影響が多いんじゃないかと思うわけです。私申し上げたいのは、確かに、漫画というものが多いということは、先ほどの数字から伺いましても、実質上ございますけれども、いまのように漫画をよくするという、いいつくり手を持つということ、その点で申し上げたいことは、とかく放送局で、子供向けのものはおとな向けのものよりもギャラも安く、あるいは作家も落とし、ディレクターあるいはプロデューサーでも、子供のほうで修業してからおとなのほうに回す、子供が二の次になっているというところに問題があると思うわけでございます。むしろ、いまのお話のオーストラリア、イギリス、そういうところでは、子供向けのもの、そういうものを大いに一流の人を使って相当高い制作費及び出演費等を使ってやっているという、そこを日本でも考えてほしいと思うんです。
  〔理事森勝治君退席、委員長着席〕
そうすれば、子供ものがじゃりものとかというふうに一蹴されないで、もっと高度なものになっていき、もし漫画が出ても、ひんしゅくされるような漫画は出ないと、そういうふうな面を私どもの委員会でも、やはり局側へも要望したいし、世論を喚起したいと思うわけでございます。
 ついでに申し上げさしていただきたいのでございますけれども、この世論の調査機関というものが、NHKはじめ民放各局で、ある程度持ってはいらっしゃると思いますけれども、それはそれぞれのねらいがあって、その局独自のものであり、先ほど、静岡調査はたいへん権威のあるものという小川先生からもお話ございましたけれども、それはそれなりでいいかもしれませんけれども、私は、各局共通の高い立場にあって全般的に世論を調査し、いろいろ視聴者の言をも聞く、そういう機関をぜひ今後向上委員会はつくりたいということは、向上委員会一同の念願であるわけでございます。そういうところでいろいろな世論の動向によって、ものを言い、放送局にも要望できる、その権威づけるものが、やはり基礎になるものが必要なんじゃないか、そういうふうに考えるわけでございます。
 以上でございます。
#15
○参考人(小川一郎君) 視聴率の高い低いによって経営が左右されているというような問題があるんじゃないか。だから、経営のあり方も問題じゃないかと、そう思うのです。これは、いまの子供と漫画の問題と離れるかもしれませんけれども、そこのところが非常に大事な問題、大事な要素を持っているのじゃないかというふうに思われます。
 それからもう一つは、これはぜひお聞き願いたいと思うのは、子供がいろいろなことから影響を受けていることに対して、立ち上がっている母親の数というものはたいへんなものです、いま。たとえば例を申しますと、青梅市は婦人会が全部各支部が一緒になって、そうして、放送にまずどう自分たちは対処するかというような組織的な活動を青梅市役所を中心に始めています。そういうところが方々に出てくる。ついこの間私が参りました新潟の十日町市でも、そういう運動が始まっております。そういう運動はもっともっと盛んになっていくと思います。ですから、たいへん事情が変わってきています。三十代、四十代のおかあさん方が、子供のためにまず自分たちの放送に対する姿勢を正すのだというところから始まっている運動ですから、私は率直にいえば、きょう逓信委員会がこういう会を開いてくださったことはたいへんありがたいのですが、文教委員会がやはり一緒になって、そういうような受け手の側の、そういう一種のテレビに対処するところの姿勢の教育活動というものが行なわれなければいけないじゃないか。放送局というものをどう責めてみたところで、やっぱり視聴率の高さ低さが経営に関係してくるという現状では、非常にその処置は一方的になっていくのじゃないか、こういうふうに考えるわけですね。ですから、いつでも問題になるのは、NHK側の放送内容に対しては問題は出てこない、いつでも出てくるのは民放の問題です。この点にやっぱりたいへん大きな問題があると同時に、もう一つ、私は初めて実は知ったんですが、番組向上委員会があるということをあまり詳しく知らなかったのです。これはもっと広く国民に知らすべきじゃないか。そして、そのグループをつくっているおかあさん方がそこで討議をした結果は、みな放送局に手紙を出しています。しかし、それはそれなりです。それが番組向上委員会のほうにどんどんはね返ってきて、そして番組向上委員会は放送局と密接な関係があるでしょうから、そういう母親――父親より母親ですよ、そういうふうなことに真剣になり始めているのは。三十代、四十代の母親はたいへんな変わり方をしています、四十歳を境にして。ですから、私はもう一つのお願いは、やはりここで石井さんにきょう初めてお目にかかったんですけれども、番組向上委員会というものをもっと広く国民に知らせる、そして、それがいわば受け手の側の代表機関として活動していただくということをもっと強力に進めることが大事なんじゃないかと、よけいなことになったかもしれませんけれども、そういう基本のところから変えていかなければ、ただ漫画がよくないからどうするこうすると言うだけでは、解決がつかないのじゃないか。いわば私は、週刊誌的放送局が多過ぎるのじゃないかと思うのですね。それで、教養、文化を高めるような雑誌社というものがそれに関係していません。ちっともスポンサーとして関係していないのです。「ちびっこのどじまん」を見ると、あそこへ子供の雑誌の名前が出てきて、そして、「のどじまん」に出てくる歌詞は全部この雑誌に載っていますという広告が出てくるのですね。そうすると、子供たちは、その歌詞を知りたいから、その雑誌を見るようになる。そういうふうに、コマーシャルとの関係という問題がかなり大きな問題になっているのじゃないか。あのポッカレモンの問題だって、これは大きな問題ですけれども、そういう食べものの問題よりも、子供の精神生活に与える影響のほうが、コマーシャルとの関係でどのくらい大きいか、わからないと思います。
 以上です。
#16
○参考人(曾野綾子君) いまお話を伺っていまして、私はいよいよ、きょうここに来たのは間違いだったという気がするのでございますけれども、私は番組にしろ何にしろ、いいものと悪いものと、そんなに簡単にわかるとは思われません。たとえば、もちろん殺人とか、人をだますとか、これは悪いことにきまっていますけれども、それじゃ、そのような、私たちの心理の中にそういうものが全然ないかといえば、これは明瞭にあるということが、最近の二十世紀の心理学では、完全に意識下にあるということが証明されているわけでございます。そういうものを出さなければ  もちろん出し方というのはあると思いますけれども、それでは、そういうものをやらなければこれはいい番組だと言えるかと申しますと、私はやはり、ある場合には人間の下品さとか、ひきょうさとか、ずるさとか、破壊欲とか、相手を殺したい気持ちとか、そういうようなものを表向きに出して、そして、それをもって人間の心、あるいは人生観の解釈のかてとする方法があると思うのでございます。
 私はこの間、あるダムをつくっている若い技師の方にお会いしましたけれども、非常にまじめな、りっぱな技師です。その方が、そのダムができ上がったときにそこを去っていくときに、自分はそのダムをぶちこわしたいと思う、いつも。あまりにきれいにりっぱにできているために、ダムをこわして行きたい気がすると言う。こういうふうな気持ちというものは、ほんとうに、彼のいままでやってきたことと全然相反するものでございますけれども、人間の心の複雑さというのは、それほどに深いものだと思います。ですから、いいものと悪いものとをここできめなければならないということになりますと、私は発言する何のデータも持ち合わせておりません。それを野放しにしろというわけではございませんけれども、それを扱う唯一の方法というのは、テレビを見せなければ、子供の生活を親が理解していないと思わせる、さっき鈴木さんからお話も出ましたような、五十円くれればニュースを見せてやるという、そういうふうな弱い親でございます。私どもでは――私どもがいい親というわけではこざいませんけれども、テレビは子供に一時間も見せておりませんけれども、子供は何もそれによって社会的におくれているということはございません。
 それだけでございます。
#17
○鈴木強君 曽野先生、受け取り方が、ここで私が聞くのが、何か悪いものといいものとの判定をしようというのじゃないのです。要するに、さっきも申し上げたように、根本的にはやはり、あなたのおっしゃるように、スポンサーの方もそうでしょうし、放送局の方もそうでしょうし、制作する人たちの心がけですね、それから、これを取り巻く親御さんたちの気持ち、周囲の人たちですね、そういう人たちが全体としてテレビ、ラジオというものをどう受けとめているかということを考えませんといけないと思うのです。その点は全く同感です。特に放送番組というのは非常にむずかしいのです。たとえば放送、番組向上委員会というのが、NHKと民放が自主的にこれはおつくりになったと思いますが、それは経過はいろいろありますけれども、とにかく自主的につくっているものである。各放送局に番組審議会というものがありまして、そこでいろいろ審議をなさるわけですね。そこをパスしたものが放送になってくるわけですから、かなり内容等についても慎重を期していただいていると思うのですね。ところが、やはり見るほうから見ると、これはいいとか悪いとかいう、それはやはり見る人によって違うと思います。だけれども、それじゃ、それは悪いのだという判定をするか、あるいは、いいのだという判定をするか、それは非常にむずかしいのです。だから、見る人の判断によって、これは悪いと言う人も、いいと言う人もあるわけですから、これを国家権力によって、いい悪いをきめつけることは絶対許されないわけですね、これは。憲法とか、放送法とか、放送の中立性といいますか、これは侵すことはできないのです、表現の自由ですから。ですから、そういう意味においては、われわれとしても番組に対する発言というものは非常に慎重を期しているわけでして、ただ、私が特にきょう言わしていただいたのは、さっき最初に申し上げましたように、いろいろな見方がありますが、これから夏休みに入って、子供たちが比較的テレビを見る機会が多くなるのじゃないだろうか。そういう場合に、これを見る側のほうも、放送する側のほうも、一体どういうふうな心がまえで見ることが、より、この放送あるいはテレビというものが、国民に与える教養とか情操とか、そういった面から見て有効に利用されるのだろうか、実はこういう気持ちでいるわけです。私は漫画なんかについても具体的に述べたのですけれども、確かに事実は事実としてあるわけですから、また、いい面もあるでしょう、これは。ですから、そういう点を皆さんから率直に意見として出していただきたいというのが私のねらいであるわけなんです。
 それで、小川さんもおっしゃっているように、子供と、こう言っても、一体どこまでが子供で、どういうものが子供番組であるかということも、非常にむずかしいと思います。そこで中学も一年生、二年生、三年生、あるいは高校生になりますと、むしろ、テレビとかなんとか、そういう子供向けの番組よりも、一般のおとなが見ているような映画を見たり、番組を見ているような傾向も非常にあるということを、東京学芸大学の斎藤助教授が指摘されています。私もそう思うのです。ですから、それだけに、子供に向けて放送するといっても、それが一体、おとなで見ている人もあるでしょうしするのですから、どういうふうに、それを一般的にとらえた場合に、したらいいのか、あるいは一般的なおとな向けの放送でも、その中では子供が見ているのだということを考えながらやっておかないと、問題が起こるような気がするのです。ですから、そういうことのけじめというものがなかなかむずかしいのです。そういうところから、よろめきドラマなんていうものが盛んにいわれてきているのですけれども、これだって見方によったら、いいと言う人もあるでしょうし、特に日本の場合は、われわれの年代と、十歳、二十歳の年代の人とは、教育そのものが違いますから、ちょっと感覚が違いますね。たとえば、われわれは、手を組んで町を歩いているのを、最初はいやな気持ちで見ていましたけれども、何度も見ていると、最近はあまりそう思いません。しょっちゅうやっているから、手を組んで歩いていても、そう気にしなくなりました。むしろ、ときには二人を祝福してやろうといったような気にもなりますけれども、初めは、あんなの見ると軽蔑して、何たることかと私たちは思ったものですが、これはやはり習慣と教育と、いろいろな問題が変化させてきますね、人間の気持ちというものを。ですから、そういうものを、適宜ラジオ、テレビというものがいろいろな番組の中で一人一人にいろいろな影響を与えていると思いますが、その影響を与えられた人たちも、それぞれの道でそれぞれいけばいいのだと思います。ただし、さっき言ったように、一つの基準というものをつくり、なお、それがあっても番組委員会をつくっていこうという放送界のやはり気持があるわけですから、ですから、番組向上委員会ではかなり辛らつな批判もするでしょうし、意見も出しておりますから、そのことが全体としてよくなればいいのじゃないでしょうか。それがまた、第三者が極端に批判するということはやはり許されてないのですから、国家権力がそれに介入して放送コードをつくるなんていうことは、これはいけないと思います。言論統制をやるということは絶対いけないのですから、そういうことがないようにするためには、お互いに良心的な立場に立って番組をつくっていく、そういう気持ちを私たちは願うわけです、特に気持ちの中では願うわけです。
 そこで、私が言っているのは、何かいい悪いを言ってくれということじゃなくて、要するに、一体、いまからお尋ねする、たとえば、よろめきドラマというものが盛んに問題になっているわけですが、はたして、そういうものがそんなに影響を子供たちに与えているのかどうかということも、私たちもはっきりつかめないわけです、率直にいって。それから、たとえばCMなんかで、パンティー一つで水着の広告なんか出てきますね。ああいったものが、どうも子供に見せちゃまずいと言う人もいるでしょうし、いやそれは事実、裸になればそうなるのだから、何もふしぎはないのだと言う人もいるでしょうが、そこらに対して、皆さんは皆さんの立場でお考えでしょうから、どういうお考えでしょうかということを聞きたかったわけです。こういう点、少しざっくばらんに私はとらわれずに伺いたかったわけですから。どうでしょうか、よろめきドラマというものが一体、昼なんかにかなり放送されているようですが、こういったものが子供たちにどんな影響を与えているのでしょうか。与えていないと言う人もあるし、与えていると言う人もあるのですが、そこら辺の、見る側に立っての感じ方を聞きたかったわけです、CMを含めて。
#18
○参考人(石井幾久子君) いまのよろめきドラマとかCMの問題の前に、私、小川先生もおっしゃいましたけれども、番組向上委員会がせっかくやったことがあまり知られていないということで、鈴木委員はたいへん御承知のようなんでございますけれども、「夏休み中のこども向けテレビ番組の編成に関しお願いの件」というのを、四月と七月に二回、冬放送局あて、NHK及び民放あてに出したわけでございます。で、それを簡単に申し上げさしていただきますと、「夏休み期間中は、こどものテレビ視聴期間がふえることが予想されるが、この期間中のこども向け番組の編成に当たっては、こどもがテレビ視聴のみに偏ることがなく、学習や屋外の遊びとバランスがとれるよう考慮して欲しい。過去にみられたような早朝のマンガや映画偏重の娯楽番組編成はできるだけ避けるよう配慮されたい。」ということ。それからお昼の帯番組のメロドラマは、ちょうど夏休みであると子供が見やすいので、「刺激的なシーンは避けて欲しい。」ということ。これに関しまして二度出したわけでございます。それをこちらでも一応御承知いただきたいのでございますけれども、私どものこれは行き届かなかった点かもしれませんけれども、文部省あるいは厚生省あるいは総理府の青少年局というふうな行政機関へ、やはりこういうことを出したからしかるべく教育委員会なり青少協なりそれぞれへ通達して配慮してほしいというところまで私どもがやるべきであったか、あるいは、出しっぱなしにしておいてよかったかという面で、いままだ結論を出してはおりませんけれども、考えますところでは、そういうふうな面を通してでも、あるいはマスコミの、テレビ、新聞を通してでも、一般の、先ほど母親の視聴グループがふえておるというお話ですけれども、そこら辺へも承知してもらうような方法を私はとりたかったと思っておるわけでございます。その中で、特にメロドラマ、いま御指摘のメロドラマが問題になりましたのは、やはりおとなが見てはあまり影響は私はそれほどないと思っているわけでございますが、やはり子供の年齢層によりましては、それが刺激的になる場合、幼児よりもむしろローティーン、ハイティーンの辺のほうが刺激を受けるのではないかというような、これは調査をしてこういうデータがあったという確実な点はとっておりませんけれども、やはり非行少年なんかの場合には、そういうところのセクシーな影響があるということを警察あたりでときどき言われているところでございます。一人の迷える羊のために、やはりそういう全般的な配慮は必要であろうということなんでございますが、この中で、「学習や屋外の遊びとバランスがとれるよう考慮して欲しい。」というこれは、受け手の側の責任であって、出す側もそれだけの考慮は必要としましても、受け手の側がそれを見ないで外で遊ばせるように、あるいは、それぞれの学習をさせるような方法をとればいいということは、先ほどからお話も出ているところなんでございますが、いま、よろめきについて余分なことまでも申し上げましたけれども、確かに、NHK以外の各局でお昼の番組を見ますと、中には教育的な面も三十分とか十五分とかまじっているのでございますが、そのほかは、メロドラマがずっと流れて、それを団地あたりでは、一人で見るとどうも刺激が強いので五、六人で見て、そして、わっと、わあたいへんだとかいうふうに話し合っているというふうな、これは母親の娯楽のほうになるだろうと思いますけれども、そういうふうに放送されているわけでございます。そういう意味におきまして、私は、子供が見るとか見ないとかという点の配慮は母親がすべきであり、また、その番組がよくないとは一口に言えないと思っております。
 それからコマーシャルというものにつきましては、一番子供が興味を持っている、テレビ番組の中でも。生後六カ月ぐらいから一歳、二歳、そういう子供たちでさえ、一番おもしろいのはコマーシャルであるということなんです。それは毎日繰り返し、また、同じ時間にでも五、六回繰り返される場合がありますので、CMソングにしてもすぐ覚えられますし、また、おもしろいコマーシャルが相当このごろは出ておりますので、そういう点で影響が大きいのですが、さっきおっしゃったあまり露骨な下着の売り方というふうな、あるいは海水着の売り方というのは、直接放送局へ言うのはほんとうは当を得ないので、スポンサーに対して、私どもは話し合って、自粛してほしいということを考えているわけでございます。ですから、やはり公共の機関であり、いまもたびたび出ておりますように、ちょうどテレビは、水道の蛇口をひねれば水が出るように、いつでもほとんどの時間にチャンネルを回せば何かが出てくるような状態にあるテレビであります。テレビを置いてないうちのほうが少なく、また、曽野先生のようにはっきりとした信念を持ってテレビを見せないというふうなうちはなかなか少ないいまの状態からいいますと、やはりテレビの送り手のほうがそういう点の考慮は十二分にしてもちっともし過ぎではないということを考えなければならないと思っております。
 いまのCMについての誇大広告とか、事実よりも以上の表示とかというふうなことについては、どこでこれをチェックするかという問題は、やっぱり私はまだむずかしい問題じゃないかという考え方を持っております。公正取引委員会が今回はポッカレモンなんかいたしましたけれども、民放としては、それがNHKの受信料と同じような財源になっているという、先ほどの話に出た経営の面に大いに影響するコマーシャルであるだけに、そこの民放に対する救い方というものも、やはり考慮しなければ、一がいに民放だけの放送局側だけを責めるわけにはいかない問題だと私は思います。
#19
○参考人(小川一郎君) さっきのよろめきドラマ云々の問題ですが、これは何年か前からはかなり変わってきていると思うのです。 つまり、よくなっていると私は思います。これはあるいは番組向上委員会のたいへんな御努力であるかもしれません。どんどん悪くなっているとは考えられません。それから、それを見る国民の良識というものはやっぱりそれをささえている、私はそう信じたいのです。で、それが青少年に与える影響はどうかというのは、先ほど鈴木委員のほうからも御説明がございました、たとえばアメリカのシュラムの調査だとか、あるいはイギリスのヒンメルバイトの調査だとか、それから日本ではすぐれたNHKの静岡調査などを見ましても、こういう結果が出ております。子供がおとなのための通俗ドラマを見る事実は、やがて彼らが参加するおとなの世界に対する不安を形成する。おとなのみにくい争いや三角関係、不誠実な行動は、精神の未成熟な子供、特に女の子にとっては脅威である、おとなになりたくないという思いを深めていくというのが、ヒンメルバイトの調査で出ている。それから探偵ものや冒険ものをいつも見る女の子は、社会を不安の目で見る傾向があるということが、静岡調査で出ている。したがって、影響がないとは言い切れないというふうに思います。ただし、その際に、いろいろな意味での番組の影響は、その青少年がそういう生活の状態にあったり、そういう性格を持った子供たちほど大きく響くのであって、普通の子供にはただそれはフィクション、できごととして見過ごしてそのままになっているんだ。しかし、そう言うけれども、それが累積されれば、絶えずそういうものを見ていれば、やはり人格なり精神の上に影響を及ぼしていくんだということが、いままでの調査の結果ではいわれております。しかし、そういうことは人間のいわば生活の中にある事実なんだという見方から立っていけば、これはまた話は別になると思うのです。テレビだけの問題じゃないと思うのです。文学の問題とも関係の出てくる問題だと思うのですね。ただし、文学と違うところは、文学の場合には、意識の変革に対するある種の精神革命を及ぼすものだと私は思うのです。しかし、テレビや映画というものでは、生活のしかたがそのまままねされるんじゃないか、こういうふうに考えるのですね。つまり、考え方やものの見方、意識の上で変革を及ぼすには、そういう精神的な革命を文学というものはやはり私は起こせる力を持っていると思うのですね。テレビはそのまま映像が映るんですから、そういう生活のしかたなり進め方そのものが影響してくるから、実はかなり大きな影響力を持っているのじゃないか、こういうふうに考えます。
 私がそこで特に申し上げたいのは、やはりそういう生活なり、違った生活、曲がった生活なり考え方を持っている青少年に実は大きな影響があるんだということだと思うのですね。ただし、だからといって、すべてに影響があるんじゃなくて、そういうものを長く見ていれば、やはりいつの間にかそういう影響を受けてくる、だから、それは子供だけの問題じゃない、教師の問題であり両親の問題であるというふうに考えたいと思います。
 で、こういうふうに考えてまいりますと、子供がいつでも見ている番組と、子供が好んで見る番組と、二つに分けて考えますと、好んで見る番組というもの、それから、いつも何となしに家族と一緒になって見ている番組と、この二つの問題をどう考えたらいいか、そこら辺の影響を、どういうふうに教育的に教師も両親も一体これを処置していったらいいかというところに問題があろうと思います。こうなると、ますますもって、これは番組内容の問題だけじゃなくして、教育の問題じゃないかというふうに考えざるを得ない、おとなの問題じゃないかというふうに考えざるを得ないわけですね。
#20
○参考人(曾野綾子君) よろめきと申しますと、私は、自分があるとき、やや社会的な事件を含むと思う、自分ではそう思っている小説を書きましたところ、それはたいへんつまらない小説ということになりまして、それを民間テレビ局がよろめきドラマにお仕立てになりました。これはばか当たりということじゃありませんけれども、たいへんもてはやされました。私の政治的なものなんというのは全然なくなってしまって、よろめきの部分だけなんです。ところが、その結果、私の知り合いでございますけれども、非常に不幸な夫婦生活をおくっている人たちのほんとうの心の救いになったことに、私はがく然といたしました。私の小説では絶対できなかったことを、よろめきドラマがやってくれたということに、私は非常に無力感というか、楽しさ、いろいろ複雑な思いを味わったのでございますけれども、私は、いまこの場合には青少年問題でございますけれども、テレビというのはおとなに非常に大きくそれを使っている、特に私は、娯楽としてたいへん懇切な、世の中の人たちの心を救済する面があると思うのです。ですから、よろめきドラマというものはやはり非常に大切なものである。もし私でしたら、おかあさんはこれからよろめきドラマを見るから、外へ行くか、あるいは一緒によろめきドラマを見ないか、というふうな誘い方を子供にすると思います。そして、よろめきドラマというのはどのような人間の心の弱さから来るかということを一緒に話し合ってお笑いにしてしまうんではないか、そういうふうにして見たら、あまりすてきでなくなるかもしれませんけれども、そのようにしたいと思うのでございます。
 で、ヒンメルバイトという方の調査について私いま勉強したんでございますけれども、たとえば、そういうふうな探偵小説ではございませんけれども、何かそういうものを見ていると、世の中を不安に見るという、そういう面もあると思いますけれども、同時に、探偵小説というのは戦争中には絶対はびこらないものでございまして、これが読まれるということは、平和な時代における一つの平和の証拠のようなところがございます。ですから、もちろん、りっぱな学者の御意見に反対するものではございませんけれども、必ずしもそうではない、そしてまた、その逆に、私の場合は、清く正しい明るいドラマというのは見ていられません。そこにたいへん虚偽的なものがございまして、人生というのは、あんなに清く正しい明るいところはあるかもしれませんが、私の周囲には、そんな人間は一人もいないのでございます。もっともっとどろくさい、つらい気がいたしているわけでございます。そういうようなものを出さないで、清く正しい明るいドラマというのを見せられますと、私など裏切られた感じがするわけでございます。子供にもそのような虚偽的な人生を教えたくない気がいたします。
 コマーシャルについては、私は、コマーシャルは低級なものでも楽しんで見ているほうなんでございますけれども、もちろん、誇大広告というのはいけませんけれども、広告というものは、誇大でない広告というのは一つもないので、そのようなことを子供にも認識させて見せる。そしてまた、たとえばセックスの問題もございますけれども、私は、水着ぐらいは男の子にどんどん見せてやりたいと思います。そして、美しい女の人の裸というものはどういうふうな、人間本性にかかわるものかということを、できるだけ早いうちから、小学生のうちからそれを明るみに出して一家のうちに入れたいと思います。
#21
○鈴木強君 私もそうなんです。私はそういう点を実は率直に出していただいたほうがいいと思います。われわれも年代によって、教育によって、さっき申し上げたように、ものの見方が何か固定化しておりますから、いろいろの見方があると思いますので、非常に参考になりましたが、結局、夏休みを控えて、とにかく心配しておりますようなメロドラマは、それは子供に悪い影響をせぬ、要するに、曽野先生のおっしゃっているような、そこには、一緒に見ないかと言って子供たちと一緒に見まして、こういうところはこうなんだということをやっぱり解説してやるわけですね、そういうふうなことをすれば、夏休みの七月二十一日から八月三十一日くらいの間、そういう放送がどんどん流れてもたいした影響はない、こういうふうにおっしゃるのでしょうか。
#22
○参考人(曾野綾子君) 私は、よろめきのほうに頭がいってしまって忘れましたが、私は、よろめきだけが問題ではなくて、どういう番組が子供にとって望ましいかということをひとつお願いしたいのでございますけれども、それは純粋に子供であるがために入っていけない、参加できないおとなの世界がある、たとえば、ヒマラヤの山頂に登るとか、それから僻地を探検するとか、それから、ごく普通のことでも、トンネルの切羽に入れないとか、しかも、この世の中にれっきとしてあって知るべきもの、そういうものの間接体験を広げるためには、動きのあるものとしてテレビは非常にいいと思うのでございます。これはよろめき以外に、おとなもおもしろい番組、そういうようにおとなもおもしろい、子供もおもしろい番組は必ずあると思います。そのような、いま申し上げたようなものが、言語的のイメージではなくて、それを視覚的イメージとして、全社会の中のつながりにおいて立体的にとらえるということができるのですから、テレビの機能を非常にフルに発揮したものだと思います。ですから、そのようなものをつくっていただきたいと同時に、これはNHKにことにお願いしたいのでございますけれども、NHKがなぜそのように視聴率を気になさるかわからないのでございます。放送料を払っている者として、奇々怪々に感ずるのでございまして、NHKとして、どんなわずかの人間に対してでも、かまわないですから、本格的にいい、たとえば、これは思いつきでございますけれども、一年間、生活を豊かにするために建築講座をやるとか、園芸講座をやるとか、時間帯の切り方からいたしましても、十五分、三十分、一時間という機械的な切り方で人間の心を切れるわけではないのでございますから、おもしろかったら五時間でも続ける座談会、そのようなことを私はNHKにお願いしたいと思っております。
#23
○参考人(小川一郎君) 番組には、私は二種類あると思います。一つは、一般市民が好む番組というものがあると思うのですね。もう一つは、好むべき番組を出すべきだと思うのですね。つまり、好む番組ばっかりねらうのじゃなくて、この番組は少数かもしれない、しかし、見る者がある、しかし、その少数をだんだんに広げていきたいのだという、いわば未来に対する期待ですよ。だから、それを好むべき番組と、私はこう思うんですが、そういうものの番組編成があっていいのじゃないか。それを受けとめるだけの良識、受けとめるだけの成長というものは、もうおかあさん方の中にあるんですよ。だから、いつでも番組の中身が問題になっているけれども、それの受け手の側がどんどん進歩している、変化している、向上しているというこの事実を、私はもう声を大きくして言いたいんです。きょうは、御婦人がお二人で、私は男一人なんですけれども、その男一人が、御婦人のたいへんな進歩向上の事実を述べるということは、そういう機会に最近行くことがたいへん多いんです。だから、好むべき番組の中に、さっき曽野さんがおっしゃった、具体例として一つお出しになったわけですけれども、その好むべき番組とは一体何かということを考えるところは、NHKだけの問題ではないと思います。やっぱり民放も一緒になって、ただ何を好むか、これは視聴率が高い、これはこれでいいのだろうという追っかけ方ではなくて、今度は変わったものを出せばまた上がってくるだろうというのではなくて、やっぱりそこには経営者自体の一つの文化の問題、国民的課題なんだということを、そのことを押えながら、そういう中でそういう高いものを持ちながら、それをどう楽しく見るかということが基本じゃないかというふうに私は考えます。
#24
○参考人(石井幾久子君) テレビがNHKで始まってから十四年になりますので、まだ歴史は浅いといえば浅いわけですけれども、いまお話も出ましたように、おとながテレビを見る見方というのは相当成長しておりますと同時に、子供のほうがむしろ、テレビの見方というのは成長してきていると思うわけです。初めのころは、テレビに振り回されて、テレビの時間に合わせて生活態度をつくっていったという時代がございましたけれども、ことしくらいになりますと、夏休みの計画も自分に合わせてテレビを見るという、そういうふうな現象があちらこちらで私が問い合わせました結果では、起こっている、好ましい状態になってきているというわけだと思います。これはたいへん甘い見方かもしれませんけれども、私はやはり、先ほどもお話がある、家庭及び学校というものが、子供のテレビに対する感覚に大いに影響がございますので、学校がどういう指導をしているかということをちょっと当たってみましたけれども、その中では、具体的に申し上げますと、どれかいい音楽を聞いて、それはどういう作者で、どういう演奏で、いつ行なわれたか、それに対しての感想を書けとか、あるいは、テレビを見た場合の感想というふうなことを夏休みの宿題として出している学校がございます。それは結局、先ほど私どもの要望しましたとおり、生活感情を乱されないようにというのは、決してそうではなくて、積極的に子供たちの側からもう解決していっている。それがこの夏休みじゆうにどういう結果になるかに、たいへん興味があるわけでございますけれども、一方において、NHK及び各民放の放送局側では、たいへん今度は自粛してくださったという番組編成の結果があらわれておるわけでございます。二十一日からなので、これから見ないとわかりませんけれども、NHKは毎年のことでございますけれども、やっぱり夏休みじゅうの生活指導、学習指導の計画が、小中学校分けて綿密にある。そして、その上に、おかあさんのための手引き書までつくられて指導するという、そういうふうな教育的効果のほうに動いていると同時に、もう一つ、教育局であるNETとしては、やはり日本を考えるというふうな社会科のドキュメンタリー番組を毎月曜日に立てて、これはたいへんその局で自慢しているので、学校教育に並行して力を入れて編成しているのだということで、質なり内容を吟味し充実しているという、私の聞いた範囲ではそういうことなんでございますけれども、そういうふうな態度に放送局側が変わってきたということは、やはり視聴者の成長と同時に、まず、私どもが始終放送局側と懇談し要望しておる番組の向上という面で放送局も考えなきゃならないような社会的要請になってきたんじゃないかと、そういうふうに希望を持って考えたいわけでございます。幸い、この委員会でこういうことを取り上げていただきましたことは、きっといろんな方面にたいへんいい影響を与えるであろうということで、先ほど文教委員会のお話もございましたけれども、このマスメディアの取り上げ方というのに対して、国会側もでございますけれども、行政機関が一体どういう手を打っているかということについては、決して官僚統制とか、そういうことは私も絶対に排除する面で、そういうほうへ伸ばしてほしいという意味では決してございませんで、消費者行政について、業界ばかり保護しないで、消費者の立場を考えるようにというのと同様に、放送関係の行政においても、受け手の側に立っての行政機関の手の伸ばし方というもの、それによって放送というものが、今後、御承知のように、世界的な宇宙中継というふうな面にまで立ち至っている現状におきましては、行政も相当力を入れて放送界を進めるという点、決して圧力をかけるとか、それから言論統制とか、そういうことにおいては絶対に手をお出しにならないで、視聴者の意識を高めていく、放送界の倫理姿勢を高めていく、そういう意味において、行政も、あるいは国会でも、何かの打てる手があれば打っていただきたいという、そういう考え方を持っておるものでございます。
#25
○参考人(小川一郎君) いまのと関連しまして、先ほど青梅市のことを申し上げました。これは一番近い例として申し上げたんですが、青梅市が放送を見て話し合う運動というのを市議会できめて、そうして、しかも、婦人会が一緒になって運動を起こしております。この間行った十日町、松山、それから仙台、それぞれの各県の教育委員会がそういう運動をいま展開し始めております。それから文部省自身が広くそれを社会教育といっておりますが、社会教育の中で放送をどうするかという問題は、受け手の側の意識を高めるための連動、そして、その運動のバックアップをNHKがしているようです。これは大きな私は運動として、また成果をあげているように思われます。で、これはもっともっと盛んにすべきじゃないかと思います。その際、やっぱり教育委員会側がこうしろああしろというようなことは一つも言っておりません。尾西市に参りますと、工場が四十ぐらいございます。織物の町ですが、ここには寮生が寮に住んで暮らしております。集団就職したその寮生は、寮の教育に、寮生の人間形成の上にテレビを利用しているのです。テレビを利用して、そして経営者が全部テレビを材料にして、そして高まりを深めていこうと、その場合に、教育番組だけを取り上げていないのです。普通の娯楽番組から入っている。昨年参りました新潟の佐渡では、「おはなはん」という番組を中心としながら、みんなが話し合って、おはなはんの生活なり考え方というものと自分たちの生活行動とひき比べながら、女の生き方というテーマでもって勉強しておる。その勉強が大体済んだところで、日本女性史の勉強に入るのだと、こう言っておりました。テレビがきっかけになって、それを材料にしながら、勉強しながら今度は書物に入って、じっくり一人一人が考えていくんだという、そういう運動がいま方々で行なわれております。したがって、私は、先ほどから文教委員会でもぜひ取り上げていただきたいというのは、そういう各地に自然発生的に起こってきた運動に対して、やはりこれを育てていくことが大事なんじゃないかというふうに思います。
 先ほど曽野さんの番組への希望がございました。私も希望がいろいろございますけれども、何とか実現してほしいと思うのは、この間、放送衛星によって、世界の四十億人の人たちが、一斉にその時間に、いろんな風俗や景色を見ることができました。ああいうふうに、今後は世界のあらゆる国の情勢が一瞬にして、いながらにしてうちで見られる状態がどんどんこれから来ると思うのです。そういう中で、世界の青少年の生活実態がいながらにして見られるような、そうなったときに、日本の青少年の考え方や生活行動がずいぶん変わってくるのじゃないか。いま、ともすると、私どもの調査では、子供がマイホーム主義になっています。豊かな明るい家庭生活ということを標榜として、そして子供が希望を持っているようですけれども、大事なことは、これから五年、十年、二十年将来の日本を考えたときに、ただ自分の家庭だけを豊かにしていくのではなくて、やはり社会を絶えず改善していく、そして社会全体をよくしていくといったような、そういう気がまえ、そういう広大な気がまえをやはり青少年の心の中に持つような、そういうような番組というものは、読みものに比しても、テレビというのは一番大きな影響を持っていますから、そういうものが出てくるような番組編成というものがなければ、私は、みんながマイホーム主義になって、自分の家庭だけを豊かにしようとするというようなことになっていくのじゃないか、それはもうどうしてもこれからは一人でテレビを見てどうするかじゃなくて、集団でテレビを見て、あるいは個々で見て集団で話し合う、そういう小集団の教育活動というものを盛んにしていくことがたいへん大事な問題じゃないか。ここに一つのおもしろい作文がございますから読んでよろしゅうございますか。これはたいへんおもしろいです。「ごはんよりテレビがうまい」というのです。
 「私たちの長屋で、テレビがあるのは、俊ちゃんのうちだけです。俊ちゃんはテレビがきてから、ケンカが一番強くなりました。」、私はどういうわけかと思って次を続けて読んでみました。「六年生のトモちゃんが俊ちゃんを泣かせると、テレビを見にいかれんから、わざと負けろと、きめたのです。わたしは時々、もりかわみせの、かんめうを半分やります。」、これは福岡の子供の作文なんですが、「もりかわ」の意味はわかるのですが、「かんめう」というのが私にはわかりません。方言だと思います。「なにかやると一番前にすわれ!と言います。毎日六時になるといきます。ごはんどきでも、半分たべていきます。ごはんの遅い時は、喰べずにいきます。俊ちゃんはライスカレーを喰べながら、テレビをみます。わたしは腹が泣き出すので、半分テレビをみて、半分ライスカレーを見ます。テレビを見ながらごはんを喰べると、五ばいぐらい、うまそうだから、うちにも、ほしいナと思います。おっちゃんが、しょうちゅうのんでいかれなかった時、」――毎日しょうちゅうを飲んで出るおっちゃん――おとうさんらしいです。ところが、病気で、病気のときは飲まない。それで、「「母ちゃん、うちにもテレビ買わんね」と、いったら「父ちゃんが、病気なおってから――」といいました。うちにテレビがきたら、せどやのばんこに乗せて、誰にでもはらいっぱい見せます」、最後の「はらいっぱい見せます」というのは、腹一ぱい食べるというのとかけたことばです。これは一年生の作文です。これは二、三年前の作文ですが、もうここのうちにはテレビが来たかもしれません。このごろの子供はみんなで一緒にテレビを見るという、そういう環境が多いわけです。曽野さんがおっしゃったような問題は、曽野さんのようなおかあさんがいらっしゃるから、子供の上に影響がないのですけれども、日本国民全体の上から見ると、やはりそれは野放しになっていると思います。こういうふうに子供がいつも集団でテレビを見ちゃ話題になっているのですから、私は、子供の話題の中に教育性を持った話題が生まれてくるような番組、そういう番組をやはりおとなも考えておこうということが基本になければいけないのじゃないかというふうに考えます。
 そうなりますと、きょうのほんとうの議題であるかどうかわかりませんが、夏休みのこれからの問題をどうするかということは非常に重要です。教師から離れ、それから親たちから離れ、子供は夏休みの中で子供同士の遊び、子供同士の中で野放しの生活が始まります。そういう中の番組編成というものはたいへん重要だと思うのです。先ほどNHKの夏のテレビクラブ、夏のラジオクラブのお話がございます。私も昨年の夏それを見る問題を与えられて、そうして、それを見ましたけれども、そこにはいろいろな問題、いろいろな材料を中に入れながら、必ずしも固い番組ではなくて、子供のいろいろな意味での楽しみと教養が高まるような番組編成をしております。こういうことがあらゆる放送局で行なわれたときに、野放しになっている子供についての問題は自然に解決されてくるのではないか、こういうふうに考えます。
#26
○鈴木強君 曽野先生、十二時半までの御都合がありますから、時間の関係もあると思いますけれども、石井先生からお話がございましたが、われわれは、憲法の第二十一条には、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」、こういう憲法がありますし、それから放送法の第四十四条にも一つの規定が明確に定められておりまして、それを見ますと、「豊かで、かつ、よい放送番組を放送することによって公衆の要望を満たすとともに文化水準の向上に寄与するように、最大の努力を払うこと。」、これが国内放送番組の編成の基準なんです、基本なんです。その中に「公安及び善良な風俗を害しないこと。」「政治的に公平であること。」「報道は事実をまげないですること。」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」、こういう憲章がありますから、私たちは、こういう一応憲章の中で日本の放送はやっていただきたいということを常に念願をしておるわけです。ですから、それ以上いろいろな個々の番組についての意見はあると思います。見ている人は、これがおかしいぞと言うことは自由ですから、そういうことは言っていただいてけっこうですし、そういうことを言っていただいて初めて憲法なり憲章に基づくりっぱな放送が行なわれると聞いているのです。私たちが、きょう来ていただいたのも、なかなかわれわれがこう思っていても、皆さんが、あるいは国民がどう思うかという点について、つかみにくい点があると思います。ですから、ひとつ、夏休みを控えて特に子供に与える影響ということはどうなるかということについて、貴直な意見なり希望があったら承りたいと思ったわけです。ですから、私は、教育放送なんかについても、曽野先生にもちょっとお伺いしたかったのですけれども、もう時間がないですから、たいへん残念に思います。もし時間が許しましたら、一つだけ、子供向けの夏休み番組で昨年の例を見ますと、NHK、日本テレビ、フジテレビ、NET、大体教育放送をやっているのは、NET、NHK、12チャンネルもありますが、日本テレビあるいはフジテレビも子供の夏休み番組をつくっていただいたのですけれども、大体朝七時二十五分から十二時近くまでは、ほとんどどっかでテレビ漫画をやっているのです。夏休みですから宿題なんかもありますと、夏の朝涼しいうちにやらせたらいいかというようなことも思うのですけれども、どうも曽野先生のように子供をぴちっとリードできるといいんですけれども、先ほどのおやじのように、五十円ずつやると見せてもらえるというようなおやじもおるわけですから、こういう子供のことを考えると、何かそこに勉強の時間を、テレビを離れてやるような配慮があってもいいんじゃないかというような気がするのです。しかし、これは番組の審議会できめたことですから、そういうことは十分承知しながらも、なおそういうようなことが感じられるものですから、ことしは向上委員会のほうでも御努力いただいて、いま私がわかっているのを見ましても、かなりそういう点を考慮をしてくれているようです。非常に感謝しておるわけですが、そこらの点についてはどうですか。
#27
○参考人(曾野綾子君) 先ほど申し上げました低学年の場合と高学年の場合と違うのでございますね。ただこれは、低学年生だけが見て高学年生が見ないというのはないのですから、もちろん、テレビが鳴っていると一象が見てしまう、おとうさんが見るから子供が見る、弟が見るから兄さんが見る、これがテレビの基本的な悪さだと思うのです。こういう点というのはほかにあり得ないのでございますけれども、やはり私は、夏休みといえども低学年向けのための漫画が放送されるのはやむを得ない、ただ、そこで、あくまで親が、これは高学年の者が見るべきではないというくらいな規律がどうしてできないかということだと思うのです。私は先ほど御説明しそびれましたけれども、私は、子供を退屈にさせておくということが非常に大切だと思います。退屈にすることによって人間はものを考えますし、本を読みます。しかし、退屈でない限り絶対本を読まないのでございます。ですから、私は、テレビを見せないということは、子供を退屈にさしてどうにもさせなくする、そのときに初めて子供は与えられた新聞紙でもって遊ぶ方法、あるいは木の葉一枚を何かに空想してクリエイティブな創造力を養う、こういういろいろなものが出てくる。その点もちろん、見せれば退屈しなくなりますので、あれでございますけれども、それは親がコントロールする以外に方法はないように思います。お答えになりますか……。
#28
○参考人(石井幾久子君) お時間がないので恐縮でございますけれども、いまの曽野先生のようなおかあさんというのは、百人に一人も千人に一人もない。なかなかありがたいのでございまして、やはり小川先生がおっしゃったような母親の視聴グループといいますか、そういうふうなのをPTAあたりで大いに運動して、あるいは母の会とか、婦人会とか、いろんな団体がございます。放送関係以外の団体、そういうととろで養って子供をリードするということをしてほしいということで、いま、ことしの番組におきましては、先ほど教育の面だけ申し上げましたけれども、朝の時間ではNTVの「木馬座アワー」というのが十一時からあるくらいで、ほかはニュースショーにこのごろ押されまして、案外私どもの心配するようなテレビドラマとか漫画が少なくなったということを一応御報告申し上げますとともに、実は私どもの仕事についてもう一度逓信委員会で御輿解いただきたいと思いますのは、いろいろな世論の収集という面で、いまようやくやっておりますことは、都内の有力紙、相当数の五大新聞とかいろいろございます。また、東京都内の新聞あるいは地方紙三十紙ぐらいが、掲載及び未掲載の分の放送に関する投書――テレビ版の投書だけでなくて、一般の声欄とか、いろんなところの投書で未掲載の分まで提供してくださいまして、一月に三千件ぐらい集まりますので、その中から世論の動向を知る役に立てておるわけでございます。そういうふうなこととか、あるいは日本視聴者会議とか、批評懇談会とか、いろいろございますので、そういうところの意見あるいは厚生省の中央児童福祉審議会その他の意見を徴しておりますけれども、私は、世論をもっともっと喚起するという方法を、どうぞ、こちらでも何らかの適当な方法があればお考えいただきたいということを、せっかくここへお呼びいただきましたので、私どもの世論調査機関ができませんのも財源の問題でございまして、NHK及び民放からの会費制では、とても全国的な大きな世論調査機関はできないわけでございます。そこを、制約を受けない自由な立場の世論調査機関というものをつくって、その基礎的なデータに基づいて、放送界を世界に高めていくような日本の放送界につくっていくという、そういう努力にどうぞお力をおかしいただきますように、最後にお願いを申し上げます。
#29
○参考人(小川一郎君) 私、ここへ来てわかりましたことは、放送番組向上委員会がいろんな努力をしているということです。ところが、それは全部の国民とちっともつながっていないと思います、はっきりいったら。しかし、いろいろなグループつくって、そして意見を述べようとして、それを放送局側に伝えるにすぎません。しかし、番組向上委員会のほうへみんなが伝えることができるといったようなことになったら、どんなにいいんじゃないか、それはどっかへはね返ってくるんじゃないかという気がいたします。そうなると、番組向上委員会というものをもっと国民の全部に知らせるような方法もあるいは番組向上委員会が中心になって、番組の改善と自己規制と、二つしかないと思います。自己規制というのは受け手の側の問題。
 それからもう一つの問題は、夏休みにせっかくいい番組内容を各局が編成しているということがいまわかりましたけれども、そのことが家庭や子供にどうやって周知させているか、新聞の番組欄だけではわかりません。その周知の方法を一体どうしているのか。それがちゃんとわかるについては、学校や何かに周知されなければ、ただ放送局が番組編成しただけでは何にもならないわけですね。それに対してほんとうに周知できるような予算と事業とが行なわれているのかどうか、それを私はぜひ積極的に進めるようにお願いしたいと思います。つまり、こういう役に立つ番組ができているのだということを知らしめることが、新聞だけではわからないのです。新聞のテレビ欄だけではわからないのです。だから、それに対しては、もう少し新聞社も協力するとか、あるいは放送局自身も、それを一般の村のすみずみにまで知らせることがことに大事だと思うのですよ、僻地においては、そういうことが知らされなければ。そういう配慮をぜひお願いしたいと思います。
#30
○参考人(石井幾久子君) 実は第一回、第二回推奨番組というのを出しましたけれども、それさえ周知徹底していないので、いまのお話のように、いろいろな方面の活動がやはりもっともっとどういうような面で全国的に行き渡るように知らせるかということ、それは私どもの課題でございますけれども、まだ力が足りないと申しますか、できないところに、せっかくのいい自主規制の機関というものを半分しか生かしていないというふうなことで、苦情の受け入れ口は、放送一一〇番というようなものを私どもに置いたら、各放送局へ出す苦情は、放送局側では無視する場合もございますけれども、私どもでは、一応それはみな調査して取り入れるだけの大きな立場にあると思いますので、そういう点も、何かの点で配慮いただければたいへんありがたいと思います。
 ありがとうございました。
#31
○委員長(森中守義君) この際、参考人の方々に一言御礼を申し上げます。
 皆さま方には、御多忙のところ、わざわざ御出席をいただき、長時間にわたり貴重な御意見を賜わり、まことにありがとうございました。委員一同にかわりまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
 ちょっと速記をとめて。
  〔速記中止〕
#32
○委員長(森中守義君) 速記起こして。
#33
○新谷寅三郎君 放送法の一部改正案について、郵政大臣とNHKの前田会長に二、三の点についてお尋ねをしたいと思います。
 結論からいいますと、放送法の一部改正案については私も賛成でございます。ただ、問題が、放送法三十二条にあります受信料の問題についての改正でありまして、この放送法三十二条は、終戦直後に放送法案が提案されまして以来、何回となく国会においても問題になった非常に重要な条文でありますので、結論においては賛成でありますが、将来のために、この際に御意見を確かめておいたほうがいいと思う二、三の点がありますから、それを簡単にお尋ねしておきたいと思います。
 第一の問題は、提案理由にも書いてありますが、ラジオ受信料については、これから取らない、契約をしなくてもいいという規定になるわけであります。その理由として、提案理由によれば、「最近における放送の普及発展の現況にかんがみまして、この際、」、このように書いてあります。これはどういう状態を考えておられるのでしょうか。ラジオ受信料を取らなくてもいいというように現在の放送事業が普及発展しているということは、ちょっと私にはよく意味がわからない。これはどのような理解を頭に置いて書いておられるのでしょうか。郵政大臣からお答えを願いたいと思います。
#34
○国務大臣(小林武治君) これは衆議院でも同じようなお尋ねがあったのでありますが、これの提案理由の中には、テレビ等の普及状況にかんがみ、と、どういうようなことが言われておるが、それだけかと、こういうふうなお話があったのでありますが、私ども率直に申しまして、前から、ラジオ受信料の免除というものは一つの懸案としてあったのでありまして、その当時におきましても、何かの席で、テレビが九五%くらいの普及率が達成されたならば考慮してもよかろう、こういうふうな話があったようにも聞いております。
 それで、一体、この聴視料あるいは受信料は何かという問題になりますれば、もともとNHKの経営を維持するために必要な料金を取る、こういうことでありますからして、テレビの普及だけではなくて、NHKの経営状態、すなわち、収支状況というものが頭に入ってこなければならぬ、こういうふうに思うのであります。それで、いまではもう九百億円にもなる収入の中で、ラジオの受信料というものはわずかに一%にも満たない、こういう状態になっておる。したがって、これを廃止してもNHKの経営そのものに大なる支障がいま及ぶとは思われない、こういうことなのでありまして、経営上も、これを廃止することは大きな支障を来たさないであろうということが一つある。と同時に、ラジオの受信料の徴収については非常な困難が伴っておると、こういうことでありまして、協会の説明によっても、約半分近くのものが徴収費である。こういうことになると、きわめてこれは能率の悪い受信料、こういうことを言わざるを得ないのでございまして、しかも、カーラジオの問題もありますが、自動車というのはすでに三百万台もあるのに、いま徴収しておるのはまだ五十万、六十万にも満たない。こういうことは徴収上非常な困難があるのだ、取れないいろいろな事情があるのだということになると、こういう非能率なラジオだけの受信料などは、むしろこの際廃止をしたらどうか。廃止をすることによって経営にもそう大きな支障がないであろう。こういうふうな二つの理由、すなわち、ラジオの受信料の徴収というものは非常に非能率である。しかも、その金額は全収入の一%に満たない。こういうことであるからして、この際、捕捉のきわめて明瞭なテレビ、こういうものに限定することが、NHKの受信料徴収においても非常にはっきりし、能率的になる、こういうふうなことであるのでございます。したがって、いまのようなことであって、ただ放送が普及したからと、こういうだけではなくて、さようなことも一つの理由になっておると、かようにお答え申し上げます。
#35
○新谷寅三郎君 その問題については、またあとでもう一ぺん繰り返して言いたいと思いますが、郵政大臣は、いまの三十二条に書いてあります受信料の法的な性格ですね、それはどういうふうに考えておられるのか。この問題は、これはこの国会でも何十回となく論議された問題です。関係の学者、先生方も、それについてはいろいろな意見を出しておられます、御承知のとおり。で、いままでに、私が知っている範囲で出た意見としましては、これは大体において公用負担のような性格のものだというのが通説のように私は思います。つまり、特定の公益事業の目的に供するために国民全体に課せられる経済的な負担であるというのが通説であると私は思っております。しかし、外国の例を見ましても、これは使用料だ、あるいは手数料だというような制度をとっているのもないことはありません。中には、これは内容は同じでありますが、税金、何とか税という税金という形で取っているのもあります。それから許可料、免許料とかいうふうな取り方をしているのもあります。それから学者の方々によると、それは受信をする者の対価だ、対価を払っているのだというような学説を述べている先生もあるわけであります。郵政大臣は、やはりこれは公用負担的な性格を持ったものだということについては、御異存はないでしょうか。
 それからもう一つ、引き続いて聞きますが、その公用負担的な性格を持ったそのものを、今回のように改正されました場合には、その性格が変わってくるのですか、こないのですか。これは私は将来の受信料、聴視料をどうするかという問題に当面した場合に、非常にわれわれとしては考らなければならぬ法律的な問題だと思いますので、あえて聞いておきたいと思うのです。
#36
○国務大臣(小林武治君) これは、お話のように、NHKの経営に必要な財源を得るために、一つの受信者からいただく公用負担ということにはもう変わりないと思います。法律の改正があっても、そういう性格が変わるものとは思っておりません。要するに、これは一つのきめ方の問題でありまして、一体、放送事業を経営するのに、何を財源とするかということは、いま言うように、商業局もありまするし、あるいは場合によったら国営で税金だけでやる方法もありますが、日本のNHKというものは、いま言うように、初めから一つの公用負担を聴視者からいただくということでNHKの経営をしよう、こういうふうなきめ方をしただけの問題である。これらについては、何もこれは原則があるとは思いません。しかし、いまのやり方は、お話のようなやり方で、そういうきめ方をした、こういうことでございます。
  〔委員長退席、理事森勝治君着席〕
#37
○新谷寅三郎君 それで、初めにお答えになったものとあわせて考えてみますと、どうも私は、公用負担的な性格を持っている受信料だということが、今度は少し性格が変わってくるのじゃないかという気がしてならないのです。つまり、ここには、放送の普及発展の状況にかんがみてとあって、それに対して補角的に郵政大臣から、NHKの経営状態なり、あるいはラジオ聴取料が、少額であって、しかも、集金に非常に金がかかるというような実際的な問題を加味してこういうことにしたのだという、補足的な説明がありましたが、それはしかし、別に法律的な性格を左右するものにはならない。法律的な性格としては、一言でいうと、やはりテレビの聴視をしている者がすべてを負担するのだという原則を立てられたということでしょうね。
  〔理事森勝治君退席、委員長着席〕
ということは、ごく少数であってもラジオだけを聞いている人、これは都会にだってあるのです。テレビは非常に弊害がある――アメリカなんか非常に多いわけです。テレビは子供の教育上非常に弊害があるからといって、テレビを、見えるところへつけない人がたくさんあるわけです。そういったのは、これは番組のいかんによりますけれども、日本でも、やはりそういったのはこれからも出てくるでしょうし、現在もあると思いますがね。そういう状況ですが、テレビの聴視者に全部かけてしまうということになりますと、さっきお話しの公用負担的な原則からいいますとね、私は、いままでとはだいぶ法律的な性格が変わってくるのじゃないかという気がするのですよ。その点からいうと、立法論になるのですけれども、なぜ、それなら、そういうのを徹底して、公用負担的な理論の上に立って今後もやっていこうというならば、これはまあ一案にすぎませんけれども、免除規定をもっと大幅に拡大するようなことでは間に合わなかったんだろうかというような気がしてならないのですよ。私は、法律的な性格を変えることがあながち悪いとも思いません。しかし、法律的な性格は変わらないのだと、しかし、今度はこういうふうに変えたのだということになると、その間どうも法律論としては割り切れないものが残ってくるのじゃないかと思うので、その点について、これは少しこまかい法律論になりそうですけれどもね、それはきょうするつもりはないのですが、大臣の感触でももう一ぺん聞いておきたいと思うのです。
#38
○国務大臣(小林武治君) これは私が前に申し上げたように、どういうところからいただくかと、こういう問題でありますが、テレビでひとつ代表してもらうと。考え方は、要するに、テレビの普及率を大いに問題にした。ということは、大体においてもうテレビとラジオは重なっておると、こういうふうな考え方があったわけでございます。で、むろん、特におれはテレビは見ないのだと、こういううちもあるには違いありませんが、しかし、全般的に見て、大きく見て、テレビとラジオは重なっておる、大体重なっておる。したがって、最も捕捉のしやすいテレビをひとつ目標として受信料を出していただくと、こういうことであります。従来は、御承知のように、両方から取ったからして、甲乙なんという区別もつけざるを得なかったが、今度はそういう区別でなくて、私ども実は、できたらひとつ放送受信料と、こういうふうな一本にして、その対象者をテレビの聴視者に置くと、こういうふうな考え方にされたらいいのじゃないかと、かように考えるのでありますし、これによって、いま言われるように、えらい法律的の性格が変わってくると、また、変わらせるのだと、こういうふうな考え方はなくておるということであります。
#39
○新谷寅三郎君 また機会を見て、法律上の問題についてはゆっくりと考えてまた議論をしてもいいと思います。私は、従来の、公共負担である、公用負担であるというこの郵政省の伝統的な説明からいきますとね、今度は、この法律的な理論構成を変えていかないと説明できないと私は思っておるのですがね。その点はあなたと意見が違うようですから、意見の違うものをこれは幾らやったってしようがありませんから、これはこのままにしておきますが、そうあなたの言われるように、私は単純に、こう変えたのだけれどもこれは法律上の性格はちっとも変わっていないのだというようには、私はあまり法律よくわかりませんから――そういう結論になるのでしょうけれども、私にはよくわからない。まあこれはあなたもよく考えておいてください。しかし、実際問題として、法律論を離れての問題ですが、NHKの音声放送ですね、いまラジオ、ラジオといわれている音声放送の将来を見ますとね、私は、これは前田会長から御答弁願ってもいいのですが、今日でも、テレビとの共通費を除いて、少なくとも百億以上の、番組の制作その他に経費を出しておると思うのですよ、ラジオについてですね。ところが、現状でおそらくとどまらないのではないか。ということは、FMの放送がありますね。FMをこれをどういうふうに利用させるか、NHKのFMというのはどういう形で国民に提供するのがいいかというようなことについては、今日まだ政府も態度をきめていないのですから、結論を出すのは早いのですが、しかし、今日のように、実験放送局が非常にたくさんふえている。これは実験放送局だけでとどまろうとは考えられない。そうすると、そのFM放送の内容についても、いまやっているような、ただ全国的に何時間か音楽を流しているというだけでは、FM放送をこれを全国的にNHKにやらせるのだと、かりにそういう政策ができても、私はほとんど無意味だと思うのです。だから、これをもっと活用してもらわなければならぬと思いますが、それには、何よりも必要なことは、番組制作費でしょうね。非常に金がかかると思います。ことに世間で要望されておる教育放送の充実というふうな方面にこれを徹底的に活用していこうということになってくると、番組制作費というものが非常にこれはふえるだろうと思うのです。ともかく、何がしかわかりませんけれども、私は、まあ音声放送のほうでも、今後、NHKは番組の制作その他に相当の経費をつぎ込まなければならないというととは私は考えられるのですね。そこで、さっきの問題にも触れてくるのですが、そういう状態になっても、なおかつ、テレビの聴視者だけがその費用もこれから背負っていくのだということになるわけですね。これはもちろん、そういったことを予想しているのだとおっしゃればそれまでですけれども、私は、そこのところにやはり一つの近い将来における問題があるんじゃないかという気がするのです。そういった時代になればもう一ぺんこの受信料というものについて見直しますとでもおっしゃるのか、あるいは、やはりそういうふうな音声放送のほうで現在以上に非常に経費がかかるようになっても、いまのままでよろしいとおっしゃるのか、この点については、あまり衆議院なんかでも御議論がなかったようですが、これは郵政大臣はどう思っておられますか。
#40
○国務大臣(小林武治君) これはもう答弁をしろとおっしゃればお答え申し上げまするが、いまのこの計画では、音声だけの放送については将来にわたっても受信料を取らないでやれるのではないか、やれるであろうと、こういうふうな考え方を持っています。そのことは、たとえ音声放送のために番組等で非常な経費が要ると、こういうことであっても、NHKの経営の主体は一つであるから、このテレビの聴視料で間に合うと、こういうことになれば取らぬでもいけると。また、これはたとえば電信電話公社の電信料の問題にしても、同じような問題があります。現在では、電信というものは、いまの料金では全体の三分の一もまかなえないと、こういうことであるけれども、これがまかなえるだけの一体値上げが可能であるかどうかという問題も当然出てきますが、これらもやっぱり電話と電信は一つの形態でもって維持されているということになれば、それだけがひとつ採算のとれるようなかっこうまで持っていくということにもし考えれば、電信料もたいへんな問題になると同じような問題がありますし、また、NHKのテレビの始まった二十六、七年ごろは、テレビの収入なんかさっぱりなかった。しかし、ここまで来たのは、やっぱり当時はラジオの聴取者、ラジオの受信料でもって全体の維持経営ができた、こういうこともあります。また、現在では、カラー放送なんというものは、二千万世帯の中でまだ四、五十万もないということであるが、一体どれだけカラー放送のためにお金がかかっているかというと、たいへんなお金でありますが、しかし、あのカラー放送については、お金が幾らかかっても特別に聴視料を取るような意向はいまないというのがNHKのお考えのようでありますが、同じような問題がみな出てくるのでありまして、全体として経営ができるならばそれで差しつかえないのではないかと、こういうふうな考え方を私は持っているのでありまして、私がいまの見通しとしては、将来もテレビでやっていける、そういうふうな考え方をとっております。NHK自体に、いま直接のお答えはあるかどうか別としまして、私はいまそういうふうに考えております。
#41
○鈴木強君 関連。いまの大臣の新谷委員に対する御答弁でちょっと私は納得できないのは、もともとラジオを全免したらどうだろうかということもありましたね、ありましたが、それはわれわれの観念はこういう観念だったのですよ。要するに、テレビがどんどんどんどん普及して大体二千万世帯に達した場合に、テレビの見れないというのが、難視聴地域の電波の到達できないところか、あるいは、まだ生活が非常に困窮しておって受像機が買えないだろうと、そういう人たちに対して、従来からやってまいっておりますような学校だとか社会施設とか、そういうところに減免措置をとっておりましたから、そういうものの一環としてとらえておった、われわれの観念は。ところが、大臣のいまの御答弁ですと、基本的なやはり公共負担かどうかという問題もありますけれども、概念が違うんです、われわれと。あなたの言うのは、要するに、徴収が困難だというような考え方ですね。ですから、東京あたりの話に出ているように、商売にしてラジオでダンスを踊ったりなんかしておりますね、ああいうふうなところに使っておってもそれも免除していくかという考え方については、この委員会でもすでにあなたにわれわれが申し上げておったとおり。だから、その実態調査をしてごらんなさい――してみたら、これはたいへんわれわれの言ったような点が出てきたわけですよ。そこでもう少し検討しなければならぬという段階にあるのだが、要は、やはり総理の閣議における発言、どういういきさつが私はNHKと郵政大臣の間にあったか知りませんが、それを契機に、とにかくラジオはなくしていく、これは総理発言ですから、これを私は忠実に郵政大臣としてはとういう  とにかく考えてやっていこうという気持があったと思うのですよ。ですから、できれば年度の中途でもやるという総理の発言だったが、NHK予算を編成した後でそれはできないから来年からやろうということになってきたわけでしょう。そういう一連の経過を見たときに、あなたが言うように、徴収が三百万のうち五十万しかないから、ですから、そのほうに進んだという、そういう考え方でないと思うのです。従来からの考え方というのは、その辺の判断というものが非常に違う。それからもう一つは、電電公社の電話と電信の経営の問題を取り上げてこられましたけれども、それは一つの例としてわかります、大臣のおっしゃることは。それをただ即ラジオとテレビの問題に置きかえても、私はこれはちょっと問題があると思うんです。ただ、過去ラジオの金でテレビがいままで発達してきたとおっしゃるけれども、私はその辺はいささか見解が違うんです。最初は八百台くらいから始まりましたけれども、テレビ受信料というものを取り、しかも、放送債券という国家的資産も考えながら、第二次六カ年計画というものをことし完成する中で、私は、やはりテレビの視聴者というものとラジオの人たちが一緒になってきたので、必ずしもラジオの受信料によって今日のテレビが出てきたとするのは間違いだと思いますが、これはちょっと聞いておって、だいぶ違うから、われわれが従来やってきたのと違うから、一応私は意見だけ申し上げて、大臣の見解を伺っておきたい。
#42
○国務大臣(小林武治君) いまの徴収の費用が非常にかかるなんていうのは、一つのただそういうこともあるということを申し上げただけでございまして、最初考え方が違うということがあれば、これは私としても、従来のお考え方に従っても一向差しつかえないのでございます。
#43
○鈴木強君 いまの放送の料金の取り方に対する考え方、われわれが言ったようなことでいけば、ちょっといまの改正というものは早いのですよ、時期が。もう少し検討して、全体としてそれではテレビ、ラジオをもっと安くできないかという意見もあるのですよ、これは。ラジオだけもし免除するならば、三百三十円の甲契約の中でもう少し考えることができないかという意見もあるのです、これは。ですから、そうなれば、もうちょっと検討して、私が一番困るのは、第二次六カ年計画を終わりますけれども、これも、さっきも参考人が言っているように、FMあり、UHFの開発あり、さらにまた、宇宙通信がある、衛星本体まで打ち上げることを考えているから、NHKは。その場合、その計画がはたして完全に実現できるだけの自信があるのかないのか、そういう点も実はようわからぬのですね、考え方が出ておりませんから、われわれには。そういう考え方ですから、われわれもこれは賛成ですから、反対ということはないですが、ただ問題は、国会で論議する場合に、しからば、NHKの今後に対する経営というものは、それによっていささかも影響がないのかどうか、たとえば、一時間でもその対策がおくれたということになれば、私はせっかくの免除が意味がないと思います。そういうところまで、実際だいじょうぶという確信のある御答弁があればこれはまた別ですが、こういう点がまだわかりませんから、私はこの段階で、すなおにこれを受けるという気持ちになれないから、率直に……。あとで私は、関連ですからまた質問させていただきます。
#44
○新谷寅三郎君 NHKにちょっとお尋ねしておきたいのですが、この改正案に対しては、NHKももちろん同意でしょうね。
#45
○参考人(前田義徳君) 現状においては同意いたしております。
#46
○新谷寅三郎君 二年ほど前だったと私は思いますけれども、いま郵政大臣からも言われておりましたが、カーラジオ――私はカーラジオの取り方はむずかしいということはわかりますけれども、しかし、それを、その当時NHKのカーラジオの受信料の取り方というのが実に出たとこ勝負で、だから悪口をいえば、でたらめだったけれども、これじゃいかぬじゃないかということで、委員会でだいぶやかましく言ったことがあるのです。あなたも出ておられたから覚えておられるでしょう。それで、あなたのほうの関係の局長が非常に苦心をして、こういうふうにして今度は東京であれば鮫洲のほうと連絡をとってどうしますとかいう具体的な措置をして、それでカーラジオは目に見えて収入がふえてきたわけですね、ついこの間なんですよ。で、いまそれを言ってももうしょうがないですけれども、そういうふうな措置をとられて、私はNHKの、これは言いたいのは、集金のしかたが悪いと思うのです。これは一つの私の個人的見解です。カーラジオにしても、やろうと思えばやる方法があるのです。集金のしかたが悪いために、いまのような、大臣が言われたけれども、どうも相当部分、聴取料を取っても集金費に食われてしまうのだというふうなことになっているわけです。これは改正しようと思えばできるわけですね。私はそういうことのために、そういうことも一つの原因になってこういうことになるということについては、これはどうも私はNHKのやり方がまずかったのじゃないかと思うのですがね。いま私はここで、あなたのほうで朝令暮改のような態度をとろうとは思わない、こういうふうにきまってきた以上は、思わないですが、同じようなことがやはりテレビについても起こるのではないですか。初め、ラジオもアンテナを出して、そして聞いておったところには、みんな外から見てわかるわけですね、テレビはアンテナあるからわかるといっても、このごろはわからないですよ。もうみんな室内アンテナで、ポータブルでやっていますからね。テレビをはたして設置しているかどうかという判定は、家の中に行かなければわからないでしょうね。そういうものがたくさん出てくると思います。それから、車の中にこのごろテレビを備えつけたりしているの、たくさんありますね。そういった問題については、これは程度の差はありますけれども、ラジオと同じような問題が、やはりテレビについても起こり得ると思うのですよ。それに対しては、あなた方はどうしようとするのか、やはり非常に集金上困難であるということになれば、そういう部分を切っていくでしょう。テレビだけはどこまでも追求するという考えでいくのですか。その点、あまり、ものごとをそう簡単にお考えにならないで、実態に即していろいろ計画を、やり方を考えていかないと、いま郵政大臣から聞いたような説明でいくと、テレビについても同じようなことが起こりますよということを心配せざるを得ないのです。それが一つ。
 もう一つ、いまの郵政大臣のお答えがあり、あなたからもお答えがありましたので大体わかりましたが、意見の違うところはこれはやむを得ませんから、私はそれをここで時間をかけてやるつもりはないのです。しかし、少なくともこういうことだけは言えるのじゃないのでしょうか――このようにして相当、NHKの収入というものは、ラジオの収入とテレビの収入以外に何もないわけです。今度はテレビ一本にたよっていくということになったわけです。しかし、そうしてもまだNHKはこれからの計画を進めていく上に支障がないのだ。あげ足取りするわけじゃないけれども、提案理由によると、最近における放送の普及発展の現況にかんがみ――これは非常にテレビのほうが伸びたので、郵政大臣言われたように、経営的にも楽になってきた、こういうことを覆っているでしょう。そうなると、私は非常に逆に心配しておったのだけれども、今後近い将来において、また年次計画をあなた方提案されるだろうと思います。第何次でしたかね、三次ですか、今度は。この年次計画を提案される場合に、今度は相当に経費のかかる施設を、しかも、収入のあまり伴わない施設をしていかれる必要が生じるんじゃないかと私は思っていたんですがね。しかし、先ほど来お話しのように、そういう年次計画を御提案になる場合でも、テレビの聴視料の引き上げということはちょっとこれからはできにくいということになると思いますけれども、その点についてはどうお考えでございますか。
#47
○参考人(前田義徳君) 非常に御親切な御質問で、私どもといたしましては、まず第一に、聴視料の性格というものは、今日依然として公用負担的なものであるという立場を堅持いたしております。おそらく郵政大臣におかれても、同じような立場に立っておられるかと思います。当面、御質問の点は、このような形で法律によって収入が原則的に、あるいは技術的に削られていくというような形になった場合、特に聴視料の根本原則からいって、これからのNHKの事業――放送法の第九条その他で規定されているNHKの責任の遂行と関連して、将来値上げの必要が起きていくかどうかという点にも関連しておられる御質問だと理解いたしますが、私どもといたしましては、テレビを開始する当時におきましても、公用負担という原則に立って、ラジオ聴取者の犠牲においてテレビを発展させるという態度はとりませんでした。建設については、御承知のように、放送債券その他長期借り入れ金によって建設をまかない、また、放送番組の制作その他放送の運営についても、これは主として短期の借り入れ金によってこれをまかなったわけでございます。その後、再転いたしまして、人件費その他の、あるいはスタジオ使用というような共通経費の問題を考えながら、共通経費の部分を当委員会の御承認をいただいて、その年の年度予算の中で共通経費についての考え方を明らかにして御承認をいただき、それがこれまで十数年にわたって、そのようなたてまえでテレビの普及をはかってきたわけでございます。そういう意味から考えますと、私どもといたしましては、今回の改正法の精神も、ただ単なるテレビ放送料というものの中ではなくて、先ほど郵政大臣も述べられたように、第九条の一にきめられている各種放送のすべてを包含する意味での放送料金であるというように大臣もおっしゃいましたが、私はそのような解釈を持つわけであります。ただ、現状において、それでは現状のいわゆる乙料金、ラジオだけに規定しておる料金の徴収をやめるかどうかという問題につきましては、ここ数年来、当委員会においても論議された問題でございまして、私どもといたしましては、段階においても、少なくともテレビジョンの建設計画がラジオのカバレージに達するまでは、その原則を守る方法について、法律上、あるいは理論上の何と申しますか、はっきりした説明がときに困難になると、放送料金あるいは受信料の本質的な性格から申しましても、この点が実際処理する場合、非常に重大な問題であるという意味で、私どもとしては、いろいろな御要望がございましたが、当委員会でも御審議の上、御理解をいただきましたように、その本質に基づいて、今日に至って、まあ甲料金、乙料金という形ができてきたわけでございます。したがいまして、そういう意味では、私は、乙料金というものは一種の過渡的形態を持っているものというように実は理解してまいったのでありますが、しからば、現状においてどうかといいますと、御承知のように、標準放送の第一につきましては、すでにカバレージは九九・七%を上回り、第二放送につきましても、波の問題は非常に困難でございましたが、今日ではおおよそ九九%に近づいている。テレビジョンについては、御承知のように、九五%をやや上回る段階に来た。この段階で問題を理論的に解決するためにはどうしたらいいかということが、われわれ実際経営の責任を負うておる者から申しますと、率直にいって、一つの依然として問題点ではございますが、法律といえども、やはり法の擬制、あるいは法の立法上の根本原則があり得るわけで、そういう意味で、私は、テレビジョンについて九五%を上回る現状においては、標準放送といえども、第一、第二を勘案するときには多少の格差もあるわけで、この時点においては、私は、郵政大臣の方針に一〇〇%ではないとしても、おおよそ社会的常識でこの方針を理解する可能性があるというように実は考えたわけでございまして、したがいまして、先ほど新谷先生の第一の御質問、私に対してこの改正に賛成かという点については、現状においては賛成でございますと申し上げたわけであります。ただ、今後の問題として、私は、徴収の費用が高くかかるからこれを切り捨てるのだという考え方は、放送法に基づく日本放送協会の経営をになう執行機関の長としては、必ずしも同調できないと思います。これは受信料の根本的性格、日本放送協会の存在理由からいって、私どもとしましては、そう簡単には割り切れない立場にあるということを告白いたさなければならないと思います。ただ、現在におきまして、いわゆる年収七億、また、カーラジオの将来を考えて、ないし十二億の収入を切る場合に、この法律の改正によってその収入がなくなった場合に、NHKの経営は、近く明年度から私どもが予定しております第三次長期構想との関係で、そしてまた、放送法第九条の根本的責任の遂行のために、もしくは放送技術と関連するいわゆる科学的発展の要請にこたえて、やはり放送法が規定している国民文化の向上に対する責任を遂行するために、金が足りなくなるのではないか、それからまた、そういうことは必然的に値上げが必要となる、しかし、このような方法で現在ある収入も切られるというこの環境においては、値上げは絶対不可能になるという御意見については、私も根本的には大体そのようなおそれがあり得るという心配を持っております。ただ、執行機関として、あるいは簡単に世俗的に経営者としてこれをどう考えるかという場に立ちますと、御承知のように、従来おおよそ八年間にわたって第一次長期計画、第二次長期計画を通じて、八年間の単年度予算を御審議いただきました際に、すでに御理解をいただいているかと考えますが、私どもといたしましては、将来を考えながら、いわゆる経営の合理化というものに全力を注いで今日に至ったわけであります。単年度のNHKの収入ということをお考えになると、ことしも八百億には達しませんが、七百数十億の聴視料の収入があるという点では、金がダブついているのではないかという端的な一般的な印象をあるいはお持ちになるかと思いますが、その反面、少なくとも二百数十億に達する、その背後には借金を持っているということも考えざるを得ないわけでありますが、このような環境の中で、私どもといたしましては、第三次長期構想として少なくとも七年間を考えておりますが、過去八年間の経営の方針が、昭和四十三年の十月ごろまでには、一応のはっきりした成果をあげ得るという見通しがついておりますが、この段階で考えますのに、まだ最終数字は出ておりませんけれども、少なくとも昭和四十三年度ないし四十四年度までは、一切を克服して、一般経済情勢もしくは社会情勢の一つのブレーキとなりたいという考え方を持っており、この点は端的に申し上げるならば、値上げをしない方針で、少なくとも次の二年度間ぐらいの計画を土台として私どもとしては長期構想に入ってまいりたい、このように考えているわけでございます。
#48
○新谷寅三郎君 いろいろ基本的な問題についての御意見がございましたが、ごく端的にいうと、こういうふうな措置、このこと自体は私も賛成なんですけれども、NHKがこの次に、近いうちに立てられる年次計画、長期計画を遂行する上に必要とするようないろんな経費、そういったものを考えられた上でやられたのかどうかということについて私は疑問があったからお尋ねしたのです。しかし、私のこれは個人的な意見ですけれども、こういう経過をたどって、いまのような理由でこの措置をとられると、当分はそういう聴視料の値上げということは、これは考えられないという気がするので、その点はひとつ、長期計画を立てる上にも十分その点をお考えになってお立てになる必要があると思います。
 それからもう一つ、小さい問題ですが、さきにあなたに聞いた問題は、ラジオの聴取料が非常に徴収困難だと、こういうようなお話、これはさっき申し上げたように、だんだんテレビもそうなっていただろうと思います。その場合にどうするかということです。私は集金の方法が一言でいうと悪いと思うのです。それについて、もっとお考えになって――今度は集金に非常に金がかかるからテレビのほうもやめるのだということはできませんからね、実際は。ですから、集金方法について、いま集金人が請け負って回っているようですけれども、そういうやり方について基本的に考え直す必要があるのじゃないか。これは例がちょっと違いますけれども、市町村で取っている電気税、ガス税の例もあります。それと並行して市町村が請け負ったというような電灯料とか、そんなものも徴収してやっておるでしょう。いろいろな例がありますから、私は、これはほかの公共料金についても言えるのですけれども、いままでのやり方を金科玉条としてやっておられたのでは同じことになるのではないかという心配があるので、これは将来に対して十分に具体的な方針をお考えになる必要があると思うのです。集金方法。
 それから委員長、恐縮ですけれども、この法律案に直接は関係はないのだけれども、これは実はNHKにこの機会に一言確かめておきたいことがありますので、委員各位にお許しを願いたいと思いますが、これは四十年の五月に、これは三十八年度NHK決算のときに私は聞いたことなんですけれども、詳しくは言いませんが、どうもNHKの国会のいろいろな審議状況の報道につきまして、衆議院と参議院とでやり方が非常に違っておったのです。これは困るじゃないか、参議院と衆議院は二院制度のもとにおいてはそれは同じことだ、しかも、構成メンバーが違っているので、同じ問題についても、参議院で論議されるポイントと、衆議院のそれとは多少違う場合がある、違うのがあたりまえなので、その違ったところを十分に国民に知らせるのが、公共機関であるNHKの本来の仕事じゃないか、それを、第一院だけ非常に優先的に扱って、第二院であるからといって参議院の審議についてはあまり国民に詳しく知らせないという態度をとっておられるのは非常に残念だということをあなたに申し上げた。あなたは、それはよくわかりました、二院制度のもとにそういうことがあってはいけないと思うからこれは気をつけますと言われたのです。四十年度です。ところが、私は予算委員長をしているからこんなことを言うのではないのですから、誤解をしないでください。今度の予算委員会の審議において非常に痛感したことは、衆議院のほうは本予算と暫定予算と一緒にやったわけですけれども、参議院のほうは暫定予算と切り離してやったわけです。形はそうですよ。しかし、予算委員会の質問というものは、予算そのものについてやるわけじゃないのです。もっと広く一般的な内政、外交全般にわたっての政府の方針をただして論戦をするのが予算委員会なんです。それはあなた方よく知っておられるはずです。ところが、衆議院のほうは何日間か非常に長い間かけて予算審議の状況をなまで中継をして国民に伝えられた。参議院のほうは、私は気がついて話したのだけれども、暫定予算については一向にお取り上げにならなかった。私はひとつこれは議運でも問題にしようと思っておりましたら、どなたかのお耳に入って、あなたのほうから私のところに、これは報道局と書いてあります――国会の中継については下記の原則によって実施することとしたいと書きまして、一、中継を実施するもの、二、中継の実施についてということで、衆参両院の政府演説に対する代表質問、これは本会議、予算委員会ともに、各党の代表質問というものは中継をして国民全部に伝えるという方針をきめましたから御了承願いたいというメモが来たのです。私はこれについては、あなた方の番組の編成をどうしろこうしろということを干渉することは適当ではないかと思いますが、しかし、これは当然のことだと思うんですね。このぐらいのことはしてもらわなきゃ困る、公共機関ですからね。ここに書いてあるような、これはおそらくあなたのお耳にも入っているだろうと思います。何か幹部会ですか、理事会かで決定したということですから、あなたも知っておられるでしょう。それで、今後国会の重要な審議については、衆議院であると参議院であるとを問わず、同じように中継をして国民に知らせるという態度をおとりになるのかどうか。これはもうとるということを私には言っておられるのですけれども、そういう方針できまっていれば、この委員会であなたからその点を言明してもらいたい。そうしないと、いままでこれについて調べてみると、ずいぶん長い間お互いにこういった問題について話し合ったり、そのつど交渉したりしたんですけれども、今日までこの方針が確立されてなかったんですね。今度の機会に初めてこの方針が確立されたと、こういうんですから、実は非常におそかったと私は思っているんですけれども、おそくてもしようがありません。この機会に、この委員会で、今後こういたしますということをあなたから言明をしてください。
#49
○参考人(前田義徳君) お説のとおり、報道局長名になっているようでありますが、これはNHKの方針決定でございまして、私はここに、その方針に従って今後参議院との関連の放送も実施してまいるということをあらためて申し上げたいと思います。
#50
○新谷寅三郎君 私の質問はこの程度にしておきます。
#51
○委員長(森中守義君) 速記とめて。
  〔速記中止〕
#52
○委員長(森中守義君) 速記を起こして。
 他に御発言もなければ、本案に対する質疑は、本日はこの程度といたします。
 次回は七月二十日木曜日午前十時を予定し、本日はこれにて散会いたします。
   午後一時三十四分散会
     ―――――・―――――
ソース: 国立国会図書館
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