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#1
第004回国会 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第3号
昭和二十三年十二月八日(水曜日)
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した事件
○引揚問題に関する件(証人の証言あ
 り)
  ―――――――――――――
   午前十一時七分開会
#2
○委員長(草葉隆圓君) これより在外同胞引揚問題に関する特別委員会を開催いたします。
#3
○岡元義人君 議事進行について…。本日証人が喚問してあるのですが、正式の証人喚問になつていないようであります。これは將來いろいろその言質等において、この委員会の運営の上に大きな今後の方針を示唆されるところが多いと思いますから、できるだけこの機会に正式な証人喚問、正式に手續をば委員長の方にお取計らいを願いいと思います。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(草葉隆圓君) 本日の案件につきましてはお手許に差上げておりまする問題でございますが、先ず第一に前回の委員会におきまして、東京新聞の本月一日附「声」の欄に、大田区埴原一丞氏が投書をしておられまする「嚴冬の引揚」という問題について、その内容を埴原一丞氏から具さに承知をして、その後この投書の内容を審査をしたいというので、本日証人として埴原一丞氏の御出頭を願つておる次第であります。これより「嚴多の引揚」の内容について、証人の埴原一丞氏からその内容の御説明を伺うことに、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#5
○委員長(草葉隆圓君) それでは埴原……。
#6
○淺岡信夫君 今共産党の細川委員がおりませんが、細川委員がここに着席してから、一つお願いいたいしたいと思いますが、ちいつと細川委員の出席まで御猶予下さい。
#7
○委員長(草葉隆圓君) 淺岡委員の動議のように、暫く細川委員の着席まで発言をお待ちすることに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#8
○岡元義人君 その時間が多少でもありましたら、次の問題を先に審議して頂く方法をとつて頂きたい。
#9
○委員長(草葉隆圓君) それではお諮りしますが、順序を少し変更しまして、大藏省銀行局特殊金融課長磯田事務官が出席されておりまするので、第四の復金國有に関する経過について……この問題をいたしたいと存じましたが、只今細川委員が出席されましたので、第一の樺太引揚状況の審議につきまして証人の御発言を許したいと思います。証人の発言の前に申上げますが、証人はここで御発言になりますにつきましては予め御宣誓を願いたいと思います。
   〔総員起立、証人は次のように宣誓を行なつた〕
   宣誓書
 良心に從つて、眞実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 埴原 一丞
#10
○委員長(草葉隆圓君) それでは証人の御発言を許します。
#11
○証人(埴原一丞君) 私は九月十五日に樺太を引揚げ、二十日に函館へ参りました。その前に私は終戰約一ケ月前、一九四五年の七月に樺太に渡りまして、それは妻の里ですから、妻と子供三人で渡りましたのですが、ところが終戰になりましてそのまま抑留されました。ですから私の見方は常に軍と一般住民とに分れておりましたけれども、私は軍の方は知りませんけれども、一般住民の樣子を具さに見て参りましたし、又私の働いていた所が向うの日本字新聞「新生命」でありまして、「新生命」の文藝欄に働いておりました関係上、一般の住民からいろいろ投書を受け、又いろいろ訴えも受けて参りました。それを私が受けたままを正直にここで申上げます。確かに一九四六年頃の引揚でしたから、誰でも早く帰りたい、早く帰りたい、ただそれだけです。ただ引揚げたい。ところが去年ぐらいから非常に引揚の態度に落着きが見えまして、先ず一日も早く引揚げたい、だけれども内地の樣子はどうだろう。そういう内地の樣子を非常に知りたいというようになつて参りました。それで私はできるだけ日本からのラジオを通じて日本の状況を知らせました。それによつてか、又はラジオを直接聞いたゆえんかいろいろありまして、内地の樣子を知ると同時に、早く引揚げたいけれども、先ずそんなに困つているのだろうか。嘘じやないだろうか。そんなに日本が困つている筈はない。自分たちの渡つて來たのは戰爭前で日本がいいことを知つておりますから、そんなに日本が暗い筈はない。それはロシヤのデマだということを言つておりました。私共が日本の報道を載せますと、「新生命」に載つていることはあれは嘘だ、ロシヤが作つたデマだというので、殆んど信用しなかつた。ところが去年ぐらいから段々ラジオというものによつて、日本が敗戰によつて非常に困つているということを知ると同時に、引揚問題もやはりただ子供だけを向うにやつた人、妻と別れていた人、そういう人は先ず一番先に帰りたいと言つております。それから家族を持つておりました人でしたら、生活が非常に去年の十二月十五日の貨幣改革と同時に、自由販賣になつたと同時に、非常に生活が樂になつたために、別にここにいて差支えなければそんなに急いで帰る必要はないという者も出て参りました、それで、家族をここによこした人は、日本が困つているということを知つて、できるだけ多くの品物を買つて帰りたい。どのくらいまでいいのだというと、一人百キロ、約二十六貫までは子供でも誰でも持つていい。お金はいけないけれども品物は持つて行かはる。ところが内地から來る新聞社の手紙によりますと、できるだけ品物を持つて帰りたいというのが一般の望みです、一般の望みであると同時に、品物を持つて帰りたいと同時に、丈夫に身体で帰りたいということを望んでおりました。残つておる人は、收容所の生活は、品物は持つて帰つてよいけれども、お金は持つて帰ると叱られるのではないか。二十六貫までよいといふのは、あれはデマであつて、すべて持つて行つた品物はロシヤに持つて行かれるのではないかというデマが飛んでいて、收容所や内地に帰つた人に、收容所の樣子を知らせて呉れというのが残つていた人の皆切ない願いでした。そうしますと、收容所或いは内地から手紙が参りまして、收容所は何でもなく通して呉れる。品物は持つて帰れる。ロシヤのお金だけはいけないけれども……。内地では「ぼろ」一つに困つて困つてしまつた。おしめ一つない始末だから、金を持つて帰るより「ぼろ」を持つて來い。衣服は何でも持つて來い。そんなに困つているのか、自分たちはここにいれば自由販賣で品物が買えるから、品物を買つてそれで帰りたい。それと同時にもう一度申しますが、身体を丈夫にして帰りたい。又收容所の設備が非常に惡い。惡いと申しますと、昔の日本人時代の女学校をそのまま使つておりまして、女学校はガラスは破れ、非常に寒い。そこでそこにいた人で千九百四十六年の一番最初頃引揚げた人、第一回か第二回の人、その人からの手紙によつて、非常に收容所は寒いばかりでなく、收容所は岡の上にあつて、坂道を登つて行かなければならない。ところが駅から收容所までの二キロぐらいの間を非常に大きな荷物を背負つて行くのですが、荷物がとても重くて、道がしつかりしておればよいが、ぬかるみでぬかつて滑つてとても持つて行けない。
#12
○星野芳樹君 どつちの收容所ですか。
#13
○証人(埴原一丞君) 收容所は眞岡に一つしかありません。私のは眞岡です。私は樺太の話をしておりますから……眞岡の收容所は非常な坂道がありまして、そこの坂道を登るために、ぬかるみで荷物を持つてはとても登れない。自動車は大きな荷物は持ちますけれども、手に持てる物は手に一ぱい持つて自分で歩いて行かなければならないので、大抵荷物を捨ててしまうし、中には倒れて凍傷を起してしまう者がある。非常に悲惨な報道が傳つて來た。ソ連の方では自動車で運ばしておるという話ですが、日本人からの手紙では、そうではない。自動車で行くのは非常な重病人だ。何千人という人が皆歩いて行かなければならない、そのために倒れる人もあるし、品物は抛つてしまう、とてもやり切れないということが、私のいた豊原、私の約一年半いた栄浜にいろいろな報道が入りました。そんなのなら、死ぬくらいなら、引揚げるなら少しぐらい遅れてもよい、死ぬことは嫌だという声が皆盛んになつて來ました。それで、去年、私「新生命」におりましたときに、新聞社の者で鎌田という人がおりましたが、十一月過ぎたら、自分はどんなことをしても、帰れと言つても帰らない、翌年に廻すと言つておりましたが、丁度十月の二十幾日でしたか、社長に頼んで、自分は十一月以内でなければ帰らないと頼みました。それで十月の二十幾日かに帰つたそうですが、そういうふうにして、今新聞社に残つておる人が約三十人ぐらいおり、家族をこちらへ帰して一人でいるのが約十七、八人おります。それでそういう人でさえもできるだけ品物を買つたから、それで無事に帰りたい、身体を丈夫にして帰りたい。私たちが今度帰るときも、編集では私一人、工場の方は約四人、家族を入れて約十人で帰つて來ましたが、やはり残つた人が私たちが帰るときに皆な新聞社の者に言う。ところが書いたものは途中で取られますから、私は住所を皆聞ました。こういう所に手紙をやつて呉れ、やつて呉れと皆手紙を持たした。それは眞岡の收容所でポケツトを調べて取られてしまいました。私忘れましたが、何かの方法でそれを発表したいと思つて、それであのようなことを新聞にでも言えば幾らか分るかと思つて、それで今月一日の新聞に発表したわけです。十二月、一月、二月の寒いときには、自分たちは帰らない。無事でいることだけ知らして呉れ。恐らく心配するのは、早く帰つて呉れということを心配するのではなくて……樺太にいる人間は苦しくてどうにもならない、そうではなくて、生活も非常に樂にしている。非常にというと語弊がありますけれども、どうやら食つて、着る物も着て、寒さも凌げる生活になつたから急がなくてもいいから、少しぐらい帰るのが遅くなつても必ず帰るから待つていて呉れということを言われました。それで私はそれを新聞に発表しました。私の動機はそれだけです。細かいことはお聞きになればいろいろありますけれども、私も細かいことは、具体的に聞かれましたら一々説明申上げます。自分の新聞に発表した動機はそれであります。
#14
○委員長(草葉隆圓君) ちよつと全体について二、三の点を伺つてお答えを願いたいと思います。大体のお話で凡その見当はつきましたが、向うでおやりになつた職業、それから向うでお住みになつていた住所、それからお家族の状態、それから引揚げられて内地に帰つて來られるまでの状態、そういう点について……。
#15
○証人(埴原一丞君) 先程申上げましたように、一九四五年の七月五日に私は樺太の東海岸の栄浜という所が私の妻の里で、そこに私と今年三十八になる妻と今年六つになる子供と三人で妻の里へ行きました。一ケ月後に終戰になりまして、私は直ぐ引揚げようと思いましたところ、赤軍の身許調査がありまして、何のために樺太の渡つて來たのだと尋問されました。私は私の職業は東京で小説を書いていて作家である。妻の里がこちらにあるので、妻の里の父や母といつ会えるか分らないから会いに來た。そこで赤軍の新聞社の方で私が小説家ということが分りましたものですから、新聞社に來て働かないかと社長から電報で呼出がありました。私は今旅の身で東京には母も一人残つておりますから、約二ケ月の予定で旅に來たのですから、直ぐ帰らなければなりませんと言つたら、あなたは順序としてやはり帰る順番があるから、恐らく今年一九四六年は帰れないでしようから、約二年新聞社で働いて貰いたい、そうすれば帰れる。私はそんなことはない筈だと思つて栄浜の民生所に行つて頼みましたら、やはり順番があるから順番があり次第帰す。ところがその順番があり、栄浜の引揚が始まりましたが、私の番がなかなか來ない。そのうちに生活にも困つて來ますし、それに新聞社から電報が來まして再三新聞社に勤めないかと言われましたので、それで一九四六年の十二月十五日に栄浜から豊原に移りまして、豊原の新生命社に入りました。そこで文藝部を持ちまして、文藝部及び邦人からの一般投書を私が整理し、それから又暇のときには、ロシア人と一緒に飜訳する。私一人でできませんから、或る程度飜訳のできるロシア人、日本語のできるロシア人、それを私が幾らか援助しながら二人で飜訳をする、そういふ仕事をやつておりました。その間にいろいろ投書もあり、これは大体引揚に対する投書ばかりです。早く帰りたい。それから順序の決定は、どういうことによつて順序を決定されるか、それが一番多いことでしたね。誰が一体早く帰る順序を決めるのか、その決定は、その勤めておる所の一番上の人、新聞社であれば新聞社の社長、漁業会社であれば漁業会社の社長、そういう人が一番先に決定して、この人間は要らなくなつたという人間から順々に帰すということを新聞に発表して、邦人に分るようにしました。私の職業はそれだけですね。小説を書くことと、邦人からの訴えを聞くこと、それだけです。それから私が引揚げて來ました。それからもう一つ何ですか。
#16
○委員長(草葉隆圓君) 御家族の状態、大体分りましたが……。
#17
○証人(埴原一丞君) 家族の生活は、子供も割に丈夫でそれ程病氣も……。女房は非然に弱いので病氣しましたけれども、病氣してもその点は非常に有難いと思つたのは、國家経営で皆只です。直ぐ電話掛けると自動車で來ます。又新聞社にいたという関係もあつたかも知れませんが、病氣で電話掛けますと直ぐに自動車で來て、注射が必要なら注射する。入院が必要なら入院する。私の場合も入院したらどうかと言われたが、私としてはそれ程惡くないので、女房もいなくなる、子供もいなくなると寂しくなるというので断りました。それで医者に來て貰いました。そういうふうに皆只でやつて貰いました。非常に有難いと思いました。それで無事に帰つて來たわけです。
#18
○委員長(草葉隆圓君) 只今の証人のいろいろのお話に対して御質問がありましたら御質問を願います。
#19
○天田勝正君 私はこのあなたの投書を見まして、誠に奇異の感じに打たれたのであります。それは自由を奪われた経驗のない方が言うならばいざ知らず、一遍でも自由を奪われた経驗を持つた人では、恐らくこういう考えを持つたのがどうしても理解ができないのです。私が小菅の刑務所に入つておりましたときに、丁度今死ぬ肺病の病人がありまして、それが勿論小菅の刑務所でありますから、当時無期囚であります。その無期囚がいよいよ余命幾ばくもないということになりまして、家族に打電して、仮釈放するからということになつた。ところがそれが迎えに参りません。家族の人たちから不断はもう家に帰つて來なくてもよろしいというような待遇を受けておる人でも、いざ親身の者が出されるということになれば、普通の家庭ならば必ず迎えに來るのが常識だそうであります。それが迎えに來ない。それは迎えに來ないということは、如何に出ても、その人が病人らしい待遇どころか、人らしい待遇を受けないということを意味しておるわけであります。それに引換えて刑務所当局では朝に晩に三人ずつの医者が附添つて、医藥至れり盡せりということであります。普通の食事にいたてましても、一般の病人でも卵、牛乳等、普通その当時の不景氣の世間では普通の家庭では得られないくらいの待遇を受けるのです。然るにも拘わらず出たい出たいと言い暮してその人は死んだ。丁度私の担当看守がこのように出ても更にいい待遇を受けられないで、ここにいる方が遥かにいいと我々は考えるんだが、一体どうしてあのようなことを叫んで死ぬのであろうか、こういう不思議な質問がありましたので、私は、君たちは自由を欲するのに対して食い物と医者を與えた。向うが自由を欲しておる。自由を與えないで何で当人が満足するだろう、こういうように申して、それで分りましたという話があつたのでありますが、前文句が長くなつて恐縮ですが、そうした一遍でも自由を奪われる者から言いますと、どういう立場に立とうとも、その自由を求めようとするのが人間の当然な欲求でなければならないのに、いつであるから嫌だとかという考え方、そういう考えに何故なるか、こういうふうに考えるわけであります。そこでこの中に織込まれておりますこの眞冬の引揚だけはどうしても嫌なんだ、こういうことを書かれて、これ自体は帰還したくないという意味でなくして、この眞冬の引揚の場合に、一向それに相應するところの設備、相應するところの待遇が與えられておらないということを意味するのではないかと私は思うのであります。これを若し引揚に当つて、眞冬なら眞冬らしい待遇を與えられる処置を講じて呉れるならば、やはり幾ら冬でも、例えば一時間でも早く引揚げたい、この念願であるのが当然ではないかとこう考えるのでありますが、そのような、設備不十分なるが故に引揚げたくないのか、いずれにしても引揚げたくないのか、その点を十分はつきりお話を願いたいのであります。
 もう一つは、過日樺太引揚の家族の方たちがここに参られまして、実は切切と訴えられ、そのとき居並ぶ委員は全部涙したのでありますが、そうして一方においては一日も早く冬とかということに一切構わずして、一日も早く引揚させるような努力を願いたいということを切々述べておられるのに、あなたのおつしやるのは、それは却つて当人たちのためにならないかのごとき御投書があつたのでありますが、そうした大多数の人が、そうして今申上げたような氣持でいるのに、あなただけがこういう感じを持たれ、而もその感じがあなただけでなくして、直接当人たちに聞いたのだということになりますると、ここに非常な矛盾が感じられるのでありますが、その点に対してどうしてもあなたの投書の方が正しいという根拠が何かおありになつたらお話を願いたい。
#20
○証人(埴原一丞君) よく分りました。確かに大事な問題です。それは、冬だけは帰りたくないという問題は條件の問題です。それが非常に收容所もよく、それから旅程も、豊眞線の一番危險な所をそれ程危險でない方法、そういつたものをソ連でやつて呉れたら帰りたい。何が問題かというと一番帰りたいのが問題だけれども、丈夫な身体で帰りたいというのが最も大きな問題だ。内地の困つておる。若しも旅行で疲れて、向うで病氣になつたら又家族が困るだろうから、先ず丈夫な身体で帰りたい。その旅程が、最も自分たちに安全な方法と安全な時期を選び、若しかロシヤで引揚げる場合、豊眞線を通らないで、眞岡を止めて大泊から行く方法とか、收容所をもつとあれ程殺人的なものでなく、暖かくして呉れるならば勿論帰りたくてたまらない。それをやつて呉れないから仕方がない。この冬で死ぬような、或いは健康を害するようなことがあるならば一つ延ばして貰いたい、そういうこの文の裏には、ソ連のすべての措置が余りよくない、もつとよくやつて呉れたら帰りたい。それが問題です。私はただ無雜作に、冬だけは嫌だというのは、あんな設備ならば嫌やだといふ意味、それからもう一つ……。
#21
○委員長(草葉隆圓君) 留守家族が懇望しておるのにおなたがこういうことを投書された、その比較が如何にも混雜がひどいじやないかという意味の御質問だつたと思います。それに対してあなたの……。
#22
○証人(埴原一丞君) いろいろ確かに早く帰りたいといつております。確かに帰りたい、だけれども私たちの知つている範囲ではこの設備は、これは不思議ですね、今言われて見て分つたのだけれども、何故設備をよくして呉れないか、何故冬の間はいい設備をして呉れないかと言い出した邦人が多い、冬は寒いもの、バラツクの建物もしようがない、私自身も今まで諦めていました。今この方に言われて、設備がよければ一日も早く帰りたい。それが頭の中で、設備はしようがない、あの寒さはどうしてもしようがないという氣持を持つてしまつたものだから、冬の間は嫌だ、今残つてる人も早く帰りたいというのは同じだが、去年あたりから非常に生活が樂になつた。去年の十一月から十二月になつて生活が樂になり、物も豊富になつたので、もう少しいれば何か買えるとか、物を持てるといつた感じで、今一日も早く帰らしあ貰いたいというのと時間的の距離があるのじやないかと思います。恐らく私が帰つて來る頃の人でしたならば、できるだけ多くの物を持つて帰りたい、できるだけ早く帰りたい、が併し丈夫な身体で帰りたい、多くの品物を持つて帰りたい、一日も早く帰りたいというよりも、できるだけ多く品物を持つて健康で帰りたいというのが、私の周囲には非常に多かつた。それでそこに食い違いがある。
#23
○淺岡信夫君 私は埴原さんにちよつとお尋ねしたいのですが、この日本の北は北海道から、南は九州の端までの留守家族の人たちが、身内の人たちが一刻も早く帰らして貰いたいということで、昨年のごときは、ここに数百万通の血のにじむような嘆願書が出ておる。或いは又、各地におきましても引揚促進の大会が開催されまして、そうして一刻も早く帰して頂きたいと、昨年は十二月六日から本年の五月まで引揚げが中断されたので、そうした点につきましては、もう各所各地におきまして血のにじむような叫びが挙げられておる。こうした状況を勿論樺太においては御存じなかつたかとも思いまするが、その一点をお聞きしたいことが一つと、それからもう一つは、あなたはこちらにお母さんがおいでになるが、そのお母さんが、やはり一刻も早く帰つて欲しいということを祈願されておられたかどうかということが一つと、それから最後には、こうした投書を新聞にあなたがお出しになつた、このよつて起るところのその波紋が非常に大きな問題を釀すというような点についてお氣付きになつてこれをなされたかどうかということ、この三点をお尋ねいたしまして、更に質問をいたしたいと思います。
#24
○証人(埴原一丞君) 最初の母の問題で言います。一番最初私の母は、私が帰つて來ましたところが、よかつた、非常に待つておつたけれども……私は引揚げて來る人に、できるだけことづけを頼んで、こういう所に無事でおるから、樺太のこういう所におるということだけ知らして呉れというので、引揚の最初の人たちに、誰でも構わず頼みました。帰つて見たら、母のところに二通來ておりまして、埴原はこういう所に無事でおるから安心しろという手紙を受取つたそうです。あ、死んだのでなしに無事にやつてるのだということを聞きまして、無事にやつてるならば、母に聞きますと、母は山梨ですが、終戰の一九四六年は非常に米も困つた、食うに大変だつた、こういう大変なところよりも、無事で向うにおるのなら、どこにおるのも同じだから、(「それは違う」と呼ぶ者あり)こういうように食うに困つておるのだから、無事に帰つて來たことは有難いが、なにしてもお前が帰つて來たから家でも食えなくなつたと母は言いました。今年も帰らないと思つたが、九月になつたから來年帰つて來るかと思つたが、割合に早く帰つて來たねということでありました。それは母の言葉ですから母に聞いて頂けば分ります。
#25
○委員長(草葉隆圓君) 第一は、去年は冬期間輸送船が十二月から四月まで中止になりましたが、その場合に、こちらの留守家族は血のにじむような帰還促進の声を挙げた、その点についてどう考えるか。
#26
○証人(埴原一丞君) その点ですね。確かに促進運動はやつておるということを聞きましたけれども、何故こちらで、私たちは現実の向うの生活を見て、僕たちは軍隊ではないのですが、普通一般住民ですが、それ程虐待されておるとは思わないから、それ程ひどく待つておると思わなかつた、そんな虐待をうんとされておるなら早く帰りたいが、それ程虐待されておらないから、それなに早く帰らなくても、それは会いたいのは会いたいですが、戰爭というものによつて或る程度犠牲を皆持つておるのだから、そんなにまで、早く帰りたいけれども、帰還したいということは、私たちそれ程はつきりしなかつたです。非常に、早く帰つて貰いたい、早く帰つて貰いたいと言つて、事実私自身の感情としては、私の友達も、父親からも手紙が來た人もあつた、一日も早く帰つて來い、で親父もどうやらやつておるのだから、こつちもこれでいいというような人もありまして、それ程運動をやつて呉れた切実さが、向うにぴんと來ていないことは確かです。
#27
○委員長(草葉隆圓君) 第三は、このお出しになつた新聞が一般に大きい影響を來たすという点……。
#28
○証人(埴原一丞君) それは私は確かに向うの人は、現在私が引揚げて來る約半年位の問の人は、こちらがわいわい騒いでいる程、こちらは困つているのでないから、こういうふうに無事にいるから、だから冬の寒い時にそんなに急ぐ必要はない。そういうことを傳えて貰いたいということを頼まれましたから、私はそのまま率直に、これ程急いでおるという、反響の大きさも弁えず、ただ向うから聞いて來た、頼まれたことだけをそのまま載せました。それ程深い意味も感じもしなかつたのです。
#29
○星野芳樹君 幾つも伺いたいことがあるのですが、向うの生活が最近よくなつて來たことも、私は方々の報告を聞いて、大体比較的によくなつていることはよく分つておるのですが、それにも拘わらず、樺太から帰られる方の荷物を見ますと相当持つておるけれども、私は上海から引揚げたのですが、上海から比べると荷物の質が惡い。そういうところで、もう少し生活がよくなつたということを具体的に伺いたい。つまり一月何ルーブル位どの位働けば貰えるか、そのルーブルでどの位のものが買えるか。それを具体的に伺いたい。それから引揚のことについては、私は天田委員や淺岡委員とちよつと考えが違うのですが、私は引揚の促進の発頭のような男ですが、問題が妻子を國に置いて單身で、徴兵で行つておる人と、家族ごと行つておる人と大分違うと思います。で私らの見解としては、樺太の方で自分で帰りたいという意思を持つておられた。これは喜んで迎えるべく、その引揚促進がなされるように努めなければならん。併し私自身上海について、定着する運動をした男です。これはいろいろな苦難があつても、定着する方が本当じやないかと思つたのです。併しその苦難も絶対的に苦難が續くという見通しでもないのですが、そこのところ、あなたが今内地の引揚促進を非常に、血の叫びを挙げておるのは、この家族と離れて單身行つておる人々、これが主流であつて、この区別をごつたにされて、この人たちまで帰りたくない、帰る必要がないということにされると甚だこちらの方も迷惑である。現在の引揚促進の要望しておる主流がその点であつて、あなた方が帰つて欲しくもないのに余計なことを言つて呉れた。あなた方一部はそう考えたかも知れないが、問題は対象が違うということをはつきり認識されたかどうか。
 それからもう一つ、あなたの報告を聞かれても、向うの收容施設をもう少し改善すれば冬でも帰れる。それについて要望するということもしなかつた。今氣が付いたと言われますが、あなた方新聞社に勤められて、ソヴィエト同盟で相当有効な立場にいられたわけですが、それであるからこそその交渉を本当になすべきであつたと思いますが、それについてあなたのみならず、新聞社の方々がそういう努力をされたかどうか。又されないとすれば、そういうことがやはりいいことだつたか、惡いことだつたか、そういうことを伺いたい。それから冬季引揚ということについては、私は冬季引揚されると、樺太の方は、殊に子供や奥さん連れだと、犠牲の出る虞れもあるし、シベリアの方は男の兵隊さんが多いのですから、これは犠牲が少いと思いますが、それでも全然ないとも言えないかも知れない。ですから來年の四月に再開されて、それが数が非常に殖えて、來年の夏までに帰えれる見込みさえあれば、私共無暗にそう強制的に冬季引揚ということも叫ばないでも済むが、今までの事情が何分にも毎月五万だけ帰らないですね。そうして相当の数が残つてしまつておる。それで又冬季を休むと、又來年中にも終らないのじやないか。そうなると段々と延びて行つて、これは冬の間でも帰して貰いたいという叫びがある。而もその中心がシベリアに兵隊さんで行つておられる留守家族から出ておられる。こういうことをはつきり認識されたかどうか、この点を伺い、
#30
○証人(埴原一丞君) 第一の問題ですね。生活状態は、貨幣改革が去年十二月十五日からありましたから、約四割から五割くらい物價が皆下りました。それですべて自由販賣になりました。先ずパンを申上げますと、どこの店には自由販賣で、自由になりまして、二キロのパンですが、二キロというと、私たちの家族では一本ありますと一日あります。それが七ルーブルで済むのです。それで、お砂糖も自由に買えまして、やはり一キロ十五ルーブルです。それでバターはやはり一キロ十七ルーブルです。これは何故覚えておるかというと、この間進駐軍に呼ばれまして、そのとき聽かれまして言つたことが取つてありますから、先ずパンが二キロ、二キロだと私たち三人の家で一日十分ありまして、約一ケ月に十七八本あれば、私たちはそれで間に合うのです。それでお米は一番よいのが、一キロ一九・二〇ルーブルと一六・二〇ルーブルと二つあります。それから牛乳が一リットル四ルーブルです。まあ大体そんなもので、煙草を見ましても、煙草は二十五本入りですと、一番安いのは一ルーブルぐらいから、高いのは八ルーブルぐらいであります。お酒は、これは日本のお酒です。合成酒ですが、一リットル二十五ルーブルです。そのようにして、私の給料は一ケ月千ルーブルでした。その以外に記事を書きますと、原稿料として月に三百ルーブルぐらい入りまして、平均しますと千三百ルーブル、それから普通の街の労働者、労働者は平均六百ルーブルぐらいで、それでも炭鉱の人は多くて、千ルーブル以上の人があります。平均しまして七八百ルーブルは皆取つておると思います。七、八百ルーブルの中で主食がこれだけということは、美味しい物はそれ程数は少いですが、林檎、野菜は少いですが、先ず肉とバターと黒パンと砂糖、そういつた物だけで生活しておれば、自分の物を、いわゆる筍生活して行かなくてもやつて行かれる。衣類は、先ず靴です。これは私は買つて來ましたが、これが六十九ルーブル。それからズボン、木綿のズボンですが、作業用のズボンが約七十ルーブルで買つて來ました。それから仕事用の背廣ですが、これが私たち自由販賣で九十六ルーブルで買つて來ました、それから百二十ルーブルと二つであります。それから石鹸です。顔を洗う石鹸です。そういつた石鹸も少し大きいものですけれど、こんなものですけれど四ルーブルです。それからシヤツです。私が着ている木綿のシヤツですけれど、これが四十九ルーブル。衣類は大体そうですね。
#31
○星野芳樹君 農民の收入は。
#32
○証人(埴原一丞君) 農民はもつと多いです。なぜかというと、農民はやはり闇で賣るんで、農民は一番よいです。金を貯めない者は殆んどない。農民は僕ら以上に生活は一番いいと皆言つております。農民の人は比較にならない程いいと思います。私たちが賣つたのは農民に賣つて、農民がいい着物を皆買占めてしまつた。農民は皆いい。
#33
○星野芳樹君 余りいいもの……。
#34
○証人(埴原一丞君) いいものですか。いいものはありません。靴もこの位の程度です。これが四足私買つて來ました。皆どんな穢ないものを着ていても、皆靴は買つて來ました。漁師の殆んどですが、皆靴は持つております。
#35
○委員長(草葉隆圓君) 埴原君にお願いいたします。御質問の要旨を簡單明瞭に要を得て……。
#36
○星野芳樹君 引揚要望が重要な点でありますからそれをはつきり……。
#37
○証人(埴原一丞君) 私が今東京新聞に投書したのが、「嚴冬の引揚」としてでありましたが、これは間違いで、私はですね南樺太住民の声として私は東京新聞へ投書したのです。南樺太在留邦人の声ということが、ああいうふうになつていたために、間違いが起つたのであります。私のはですね、南樺太にいる在留邦人の一つの声として発表したんです。そこにちよつと食い違いがあるんじやないかと思います。それから帰る必要のない人は恐らくないのです。恐らく皆ここでそれつきりになつてしまうというのは、パーセンテージですれば殆んど現われない。皆帰りたい。帰りたいけれども急ぐ必要はないし、ソ連の方に日本の大使館、公使館ができているならば、それならいいけれども、このままずるずるいるとロシア人になつてしまうから帰りたい。ロシア人になつてもいいから帰らないという人は殆んどない。私の聞いたうちであるんですが……。それから收容所の設備、勿論直せば直せるけれども、それに氣が付かなかつたことと、豊眞線は豊原、眞岡に行く線ですが、あれは日本でも一番危險と言われた線で、又雪が一番深い。頭から樺太の人はもうあそこは冬は通りないものだと決めてしまつたのではないが、私自身も冬はもうあそこを通つたら危いと思いました。併し合こちらの人から聞いたように、あれは何かの方法で除雪車を用いたら、收容所を二重窓にして、然もペーチカをうんと焚いて呉れたらよかつたのではならないか。私はそこまで氣が付かなくて、豊眞線を通つたら危いのだと言うので、皆冬の間は止めてしまつた。
#38
○矢野酉雄君 簡單明瞭で結構です。あなた只今政党の立場において、どういう政党に御所属なさいますか。それから思想的にいろいろなものがありますが、特に何か思想に特別に、この命を賭けてその思想のために殉ずるというような、思想で何か特別の主張をお持ちでいらつしやいますか。それから第三のお尋ねは、マンドリン式機関銃とかピストルなどによつて生命の危險に曝されたようなことはなかつたですか。どうですか。それから第四の、あの当初は一種のあなたのセンスに響いたもの、その響きをそのままに多分これが在留南樺太邦人の熱、こうした要望があるというふうに断ぜられての投書でありまするか。或いはいろいろな会議を通つて御依託を受けられて、その会議等の結果を投書の形に現わされましたかどうか。その四点についてお尋ねいたします。
#39
○証人(埴原一丞君) 私は政党には関係はありません。どちらにも属しておりません。思想としてはやはり民主主義思想ですね。在留民は皆民主主義的思想です。それからそのいわゆる危險というものは、私は恐らくそのピストルを撃たれるようなことはありませんでした。ただ女房が一度ロシア人に攫われて行くようなふうが見えたときに、非常に恐怖を感じた。これが私は一番恐ろしかつたのです。それからセンスですね。それは新聞社の工場にいて奥さんや子供をこちらによこした人、それが約十二人ばかりおりました。それが私に頼んで、若しか何かそういうことを通信することができたならば、自分たちは危險なとき、まあ今年の十一月までに帰りたい。できなかつたら翌年に廻すかう、そういうふうに言つて貰いたいということ、それは新聞社の人から頼まれました。それだけです。
#40
○岡元義人君 簡單でいいのですからお答えを願いたい。あなたが向うで段段内地の生活状態が分つて來た。その分つたというのはどういうことが分つたかというその点、それからもう一つ、あなたにもう一回これは念を押して聞くような形になりますが、眞岡は今凍つておりますか、凍つていませんか。今の状態、それからもう一つ、今の收容所の中の生活費というものは、どこから捻所しておられるか。それだけです。
#41
○証人(埴原一丞君) 内地の生活状態は大抵ラジオを通じて聽くより外ないのです。そうしますと闇で非常に物が高くなつている。ラジオで聽くと大体分ります。それで闇の女も殖えたということも私たち初めて聞いた。強盗が殖えた。泥棒が殖えた。そういう三面記事的のものがラジオでやはり発表がありまして、そんなになつてしまつたか、そうか。それで内地の状態が惡い。それから物價の状態が向うに比べて非常に高いのですが、物が惡い。それから眞岡は不凍港で絶対に凍ることはありません。それから收容所の生活経費はどこから出ておるのですか、ともかく我々は一文も拂いません。ですから日本で出ているのか、ソ連で出ているのか、私たちには分らない。けれども私たちが拂わないことは明瞭です。
#42
○細川嘉六君 私は先程から大分質問しようとしておりましたが、皆さんの質問で、それから又埴原君の答えそのものが十分に状態をはつきりさせておると思うのでありますが、一つこれはもう聞く程のこともなくなつたようですが、天田君が小菅の囚人とそれからソ連の君たちの生活とを比較して、不可解だということを言われたが、その点一つ如何に自由を奪われて來たのか、奪われないのか。どの程度にまで奪われて來たか。まあ大体それだけでいいのですが、それから更にあなたの投書は相当のショックというか、引揚運動をやつておる人には相当のショックが起つたということを証明しておると思います。なぜショックを與えたか。そのショックは今までソ連にいる者は樺太であろうが、シベリアであろうが、皆寒さに凍えて食う物も食えない状態である。死に瀕しておるというところまで極端なことを言つて宣傳されておるのである。それでその宣傳が利いて皆が怯えておる昨日も横浜から引揚促進のデマ・ポスターを破いて呉れと言うて來た。(笑声)皆が陰氣になつて困る。こういうような状態で、事実に反するから破いて呉れと言つて來た。それでありますから、あなたの投書は非常に素直で、民主主義者として素直な氣持でやつておられることを我が國のために喜びます。であなたに私がお聞きしたいのは、こういうようなひどいデマ宣傳に蔽われた國民の間に立つて、あなたはこういう素直な事実の発表をなされたので、それは現地の沢山の人の意向を体して、そしてあなたは單に個人的の生活でなしに、もつと廣い場面に生活されたのだから相当沢山の人の意向を傳えておると思うのですが、そこで日本に帰つて來て、殊に今日のような委員会に遇つてどうお考になりますか、その感じをお聞きしたい。この二点であります。
#43
○証人(埴原一丞君) 先ずソ連の自由ですが、それはいわゆる俘虜、軍の方は私殆んど知らないのです。でも一般住民は私は接してよく知つております。自由ということの限界から定義されればむずかしいですが、恐らく私は帰りたい、帰ることを以外に抜かしたらすべて自由でした。それ以外の不自由はなかつた。私は今日帰りたいと愬えたところが今日帰つてはいけないと止められるのは不自由ですけれども、それ以外に不自由は感じなかつたです。それ以外に物を買うとか、仕事がいやならしなくてもいい、ただ收入がないから食えないだけで、働きたければ働く、それが本当の自由で、こつちに來てお前はここに入れというようなことはなかつた。あなたは新聞記者だから帰れない、順番制で帰れということが一番不自由です。引揚の対して夏帰りたいとか、今日帰りたいと言つてもお前は駄目だ、もう少し待てと言われる、これ以外の不自由を私は感じなかつた。ですから私ばかりでなく樺太で生活しておる人も、ここで皆が言つておる程の不自由を私共は感じなかつたです。
#44
○細川嘉六君 先程からの説明で十分盡しておる。
#45
○証人(埴原一丞君) もう一つショックですが、それはやはり引揚問題について俘虜の方は分らないけれども、一般住民に対しては少し大騒ぎし過ぎておると思う。一生懸命やつておる皆さんに叱られるかも知れないが……。
#46
○細川嘉六君 叱りはしないよ。
#47
○証人(埴原一丞君) 日本に帰つて來き大きく余り騒ぎ過ぎておるそう感じました。待つておれば帰れるので、帰つていけないということは言わない。船が順番制になつておるので皆納得しております。それをこちらでなんだかんだと余り騒いでおるのには私は驚いた。
#48
○天田勝正君 さつきのことと関連があるのですが、それはこちらが、騒ぎ過ぎておるという話がありました。又細川さんから自由の限界という質問があつたのですが、私もあなたの感じられたことはよく分りました。併しこうしてはいけないということが不自由なんで、煙草を買えれば自由なんで、買えなければ不自由ということを感ずるわけです。だからさつき例を挙げた監獄の特一級あたりになると、あの中では極めて自由であるかも知れないが、出られないということによつて出たいという欲望が出るのです。それは別ですが、そこでこつちが大騒岐し過ぎておるということは実に意外なんで、私共もこれはデマでなしい、作られた私でなしに、向うから帰つて來た人から直接に聞いておる話では、あなたと裏腹です。そこで今度は逆に向うにおるものが帰つても帰らなくてもいいていう氣用を起す根拠は一体、向うの宣傳というか、事実か知りませんが、内地の生活の状態というものが現実以上に惡いと、こういうふうに同留邦人の中で考えられておる点がありやしないか。さつきの話で何かそういうものがあつたように私はお聞きしたのですが、そういうつまりこつちで騒ぎ過ぎておるかも知れないけれども、向うでは今内地へ帰れば早速死ぬんだ、こういうような宣傳が相当あつたということを私はこれはシベリア地区でありますが、ちよつと聞いておるのですか、そういう面はありませんか。それからもう一つですね、技術者であるとか、或いは新聞記者、いわゆる文化人というような人たちは一般の人よりも遥かにいい待遇を受けておる。そういう待遇を受けた人たちからこの間ちよつとお医者さんなんかから聞いておるのでありますが、そういう非常にこういうものを重視するというように今あなたから洩らされたお話を聞きますると、大切にされたそういう文化人の奥さんがさらわれた。こういうようなことを聞いたので、これは外の話よりももつと私はショックを受けた。この間、中共地区の人がここへ帰られてのお話では、中共と言つて見たところで、これはもう共産主義も何もあつたものじやない。実際はこの間までは苦力なんですから、ここで話をするのはむごいくらいだということも聞いておる。尚樺太でも今言つたあなたの大切にされておる方の奥さんでもさらわれるという現実があつたとすれば、その他にそういうようなことがあつたのを直接見るということは余程でなければならんですが、そういう話を聞かれたかどうか。
#49
○証人(埴原一丞君) 第一の問題ですね。これは私ばかりでなく、私は向うで内地の樣子を日頃考えておりまして、それからこちらの樺太の生活と比べて非常に内地は惡くなつておるじやないかと思つて、帰つて聞きましたら、私たちの新聞で発表した以上に東京は惡かつた、非常に生活が困難だ。それから私の妻がさらわれたということは、進駐した当時は作家であるかどうか何か知らないで、進駐した時に兵卒で來てやられたので、文化人であるかどうかはそれは知らない。進駐して約一週間、ですから、それが作家であるかどうか全然知らない。そういつた時に兵隊が來て女房をよこせと言われた。連れて行かれないけれども、持つて行かれるぐらいにした。そこで私たちは暴れて取り戻して何でもなかつたですが、作家であるかどうかということは進駐した当時ですから何にも知らなかつた。
#50
○天田勝正君 その当時は随分そういうことがあつたというわけですね。
#51
○証人(埴原一丞君) 随分ではないですが、そういう話も聞きました。強姦された話も聞きました。妻が連れて行かれた。進駐した約一ケ月くらいの間はそういう話ばかりでした。それは事実見ましたのは少いですよ。そういうふうに女房をよこせといつて銃を突きつつけられた、それは一回あつた。それは進駐してロシヤ人と会つて一ケ月以内ですね。そういうことがありました。それは兵隊が個人的にやつたので、上の者から命令されたのではない。その後は全然なかつた。ロシヤでちやんと正式に進駐してからはなかつた。それだけでした。
#52
○星野芳樹君 細川君の失言について訂正して貰いたいと思う。細川さんの言われた中に、引揚促進運動が、みんな飢えておる、凍えておるとか言つておるということを言われましたが、私も引揚促進にかこつけて必要以上に、事実以上に惨虐だとか、惡いと言うことは甚だ困ると思うのですが、その全部がそうだという判断はどこから下されたか、そうでなくて、眞面目な引揚促進運動を考えておる者が沢山あるということは何故認められないか。而もそういう失言を取消されないということは、引揚促進自体が反対だ、眞面目にこの促進運動をしようとされる意図がないか。これを伺いたいのです。今の埴原さんにも内地で騒ぎ過ぎる、私が質問したように、問題の重点は家族と離れて行つている人のこと、これがまだ解決がついていないということをどう認識されるか。
#53
○紅露みつ君 私は遅くなりましたのでお答えになつたかと思いますが、あなたがあちらへ長くいらつしやるつもりでおいでになつたのかどうか。今度はどういうおつもりでお帰りになりましたか。お帰りになりたくてお帰りになつたと思いますが、そんな不都合のない所でござしましたら……帰りたい人が沢山あると思いますが、もう少し帰りたい人が先にお帰りになつた方がよかつたんじやないかと思いますが、先程もちよつとそんなお話が出たんじやないかと思いますけれども、私共は眞劍になつて待ち焦れている人を、この目で見、この耳で聞いているのです。現実にあなたは相当の目に接していらつしやるか知れませんけれども、私はより沢山の人に接して見聞しているんですが、お帰りになつておなたが信ずることをおつしやつたんだろうと思いますけれども、責任をお感じになりませんか。そうして九月何日かにお帰りになつたということでございますが、その後における留守家族の待ち焦れているというような状態を余りお感じにならないのですか、そういうことをちよつと伺つて見たいと思います。簡單で結構でございます。
#54
○証人(埴原一丞君) 勿論私も帰りたかつた。重複しますけれども、新聞社に勤めて呉れというのですが、私も早く帰りたいので断りましたが、順番があつて、二年間ということで二年目になつて帰りました。外にも帰りたい人があるかもしれないが、私も帰りたかつた。なぜかというと、私が行つたのは、向うにお客に行つたわけです。それで妻の里にそのまま抑留されて、一ケ月の予定で行つたのが、約三年と三ケ月に長くなつたわけで、そういうふうに帰りたくと仕方がない。なぜかというと、私はこちらに母も居るし家もありますから一日も早く帰りたいのです。ですからやはり私が帰つたのは向うに残つているという意思は全然ない。早く帰つて來たかつたのであります。引揚家族がそれ程困つているということは、私自身母が熱望していたかというと、戰爭が終つて実は配給物がなくて、食べるものがなくて困つた。どうせ困るならどこでも同じだからと、母も待つていないので、私もその氣持が直ぐ参りましたので……。
#55
○岡元義人君 議事進行について動議を提供いたします。本体証人の発言によりまして、いろいろ資料を得られたと思いますので、この委員会におきまして、この資料を基に委員会の今後の行き方というものは委員会自体で決めるべきであると思うのであります。本日は証人の証言はこれで打切りにして頂きまして、そうして時間を見て一應促進問題について委員会自体だけの審議を頂くことの動議を提出いたします。尚政府当局からも見えておられますので、簡單で済むことでありますから、案件の第三件と第五を進めて頂くことの動議を提出いたします。
#56
○委員長(草葉隆圓君) 岡元委員の動議のごとく証人に対する御質問はこれにて打切りたいと思いますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」「異議あり」と呼ぶ者あり〕
#57
○星野芳樹君 証人の質問を打切つて、速記のあるうち細川委員からお願いしたいと思います。
#58
○委員長(草葉隆圓君) さつきの行きがかりの細川委員の答弁は証人に対する問題でありませんから、後で採り上げたいと思います。
#59
○淺岡信夫君 証人の一切の何は打切れということに対しましては、私は保留して置きたいと思うのでありますが、一應今の第三、第五の問題を審議した後で、或いは懇談会の形式でも何んでもよろしうございますが、勿論委員会でも結構です。この問題は相当重大な問題でありますから保留して頂いて、前に今日の案件を進めて頂きたいということを申上げます。
#60
○北條秀一君 私は議事進行について……、先程岡元委員の議事進行誠に結構でありますが、折角証人を呼んだのでありますが、我々は再びこの証人を呼ぶということは容易でないと思うのであります。この際に、今まで我々の方から質問いたしたのでありますが、証人におきましても残留同胞の引揚促進については先程來自身から希望を述べられております。從つて証人の方に本委員会に更に言い置くことはないが、といいますか、自分で何か訴えておくことはないかということを委員長の方から聽かれた上で、ここで打切つたらいいと思います。
#61
○委員長(草葉隆圓君) 只今北條委員の言われたように、委員会といたしまして、大体証人に対する各委員の御質問は以上といたしまして、証人が委員会に対して特に御希望、訴えられるという点を最後にして、この証人の問題を打切りたいと存じますが、御異議はございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#62
○委員長(草葉隆圓君) それでは埴原君に簡單で結構でございますから、我々はこの引揚促進についてこの委員会は最も眞劍に從來活動をいたしておりますが、その点について特に從來樺太へ在留しておられまして、最近引揚げられた方の一人として御希望その他がありましたれば承りましよう。
#63
○証人(埴原一丞君) 私は皆さんのお骨折を感謝いたしております。感謝いたしておりますが、帰つて來て皆樣にこれだけして頂いて非常に有難いが、少し騒が大きい氣がするのです。騒ぎが大きいというと少し語弊があるかも知れませんが、(「そんなことがあるか」と呼ぶ者あり)眞劍にみんな待つております。だけれども向うにいる人に安心させるということがいいのじやないか。できるだけ向うの樣子を知ることです。安心して生活しているのです。自由に配給になつて、自由販賣でやつて行かれる、それをこつちがわいわい騒ぐことはない。殺すとか、一生樺太に置くとか、留めて置くのじやない。船は順番でちやんと帰えすのだから、もう少し待つて呉れ、そういう氣持で向うを見てこの運動をやつて貰いたいと思います。(「異議あり」と呼ぶ者あり)
#64
○委員長(草葉隆圓君) 樺太地区引揚状況審議につきましては、証人の発言は以上を以て終ることにいたしまして暫時休憩いたします。
   午後零時十八分休憩
   ―――――・―――――
   午後四時三十分開会
#65
○委員長(草葉隆圓君) 休憩前に引續いて委員会を再会いたします。本日幸い舞鶴引揚援護局次長宇野末次郎君並びに函館引揚援護局総務部長野村琢民君の両君がお見えになつております。実は懇談の際に、舞鶴援護局管内に起りました十二月一日以後の問題について宇野次長から御答弁があつたのであります。このことにつきまして續行をいたして参りたいと存じます。矢野委員。
#66
○矢野酉雄君 引揚促進が着々とその効を現わして行くようにと祈り、又その実行のために全力を傾注しているのは、私は、各政党その党派の如何を問わず、或いは社会党にせよ、共産党にせよ、民自党にせよ、或いは民主党にせよ、國協にせよ、参議院においては一番大会派である緑風会においても、十二分に我々は努力しておるつもりである。恐らく各種の発言というものも全部、一日も帰還早かれという、それを目標として一筋に主張していらつしやると私は信ずるのであります。併しながらその問題について所見を披瀝せられることが、その内容の如何によつては國際関係に却つて帰還促進をして逆効果あらしめるようなことなきにしもあらずと思うのであつて、最前岡元委員が述べられました細川委員に対する一つの御助言のごときも故なきに非ずと思うのであつて、ソ連当局の……皆さんが当局を訪問せられて、委員の中で個人の立場でソ連当局を訪問せられて、そうして先方から受取られたところの御理由を味わつて見ると、結局日本自体に受入態勢が十分でないじやないか。又共産党の諸君は、日本が民主化されていないというようなこれらの條件によつて、この帰還促進が十分に行かないのであるというように、ソ連側の原因も挙げておられるのでありまするが、日本自体の内部におけるこの條件によつて帰還の促進が約束通り行われていないというようなふうに公言せられ、いろいろな不祥事件等が起つたことなどについてもこれを壇上から公けの場合に言つておられる。これらが果してそのままソ連当局に直通して、そうしてこれがソ連側として帰還を促進せしめるような意思を振い起させるに與つて力があるかといえば、私はそれ自身の内部においては、こうした事件さえも起るので、敢て帰還をそんなに急がんでもいいというような氣持を持たしめるようなことになるならば、これは由々しい私は問題であると思う。
 我々議員に憲法が保障している言論の自由、その委員会或いは本会議等においての発言は何人も、我々が院外においてこれを発表しない限りにおいては、一切の法の上に立つて権威ある我我は主張をすることができるのであるけれども、國際関係を及ぼすことが、殊に逆効果をもたらすような場合においては、事前に祕密会等を要求せられて、そうしてこの國際関係をうまく、むしろ引揚のためにコントロールして行くというようなふうに、我々が政党政派を超えて協調的の態度に帰一することが、私は非常によき結果を生むものであると信じます。
 それから本日の証人の喚問の一班を見て見ますると、私は同君は特殊な何か家庭的事情にあり、又特別の思想の方であると思う。母親の言のごときは、私はどうしても私の血を分けた母や兄弟たちの氣持と非常に去ることが大でありますので、(「同感」と呼ぶ者あり)私はあの人の投書しておる内容と、又本日証人として発表せられましたそれらの内容によつて、今まで國是として、又延いては我々特別委員会として、第一回國会以來一筋に、現在残つているところのすべての日本の同胞たちを、一日も、一分間も、一秒も早く帰して行きたいというその根本方針を絶対に変更することなきよう、我々はここに想を更に新たにして、ああいうようなことがあつて非常に帰還促進の運動に支障を生ずるがごとき事実が起つておる向もあると思いますので、これらの向は特別委員会が中心となつてそれらのものを拂拭いたしまして、我が特別委員会は一層團結を強くして、帰還促進のために命をかけるというような一つ申合せをして見たいという動議を私は提案して、私の所信をこれで終りたいと思います。
#67
○星野芳樹君 細川さんのお答えを要求するのですか、そうでないのですか。
#68
○矢野酉雄君 どちらでも結構です。
#69
○星野芳樹君 それじや、私同時に、矢野先生が細川さんに注意された点で、適当と思はれる点もありますが、同時に又矢野先生及びその他の議員に御注意したいと思うのですが、矢野先生が主観的に引揚促進に非常に熱心だということは確かに認めるのでありますが、矢野先生只今御自身の言葉で、引揚促進の問題に対しては國際問題であるから、その言動は甚だ注意して逆効果を夢にも起さないような考えて呉れということを言われましたが、これも誠に尤もなことで、これを矢野先生みずからももつと考えて頂きたいと思うのであります。例えばここの委員会において、引揚者に日の丸を旗を配給するというようなことを提唱された。これが引揚委員会でなければ又別ですが、対外的に最も重大なデリケートな問題であるこの引揚委員会で、特に日の丸の旗を配給するということを率先提唱されるがごときことは、これは逆効果を生むと判断しても間違ないものである。更に又先日録音があつたときに、社会党の木下議員から、なかなか含蓄のある御意見を受けたのであります。そのときは引揚促進をすると同時に、やつはり日本の民主化を進めて行なかければならん。それに対して現在の反動的な空氣、この公務員法を強行せんとする反動的空氣があつてはいかん(「そんなことはない」と呼ぶ者あり)ということを言われたのでありますが、それに対して矢野先生はこれを野次つたのであります。それから矢野先生にもう一つ申上げますが、矢野先生は、これは議政壇上ではなかつたかと思いますが、或る党派ごときは、引揚促進を好まない党派もあるというようなことを、大衆の面前でしばしば言われておることもあります。こういうことも、対外的の影響と言いますれば、甚だどうかと思われるのであります。こういうところを考えまして形式的動議ではなく、お互いに胸襟を開いてそうして考え直して行くという態度がなければ、これは駄目だと思うのです。実に引揚の問題については悲しむべき事件だと思う、という意見を述べき置きます。
#70
○委員長(草葉隆圓君) この機会に、矢野委員の動議の採沢の前に、午前中の証人埴原氏からいろいろ話がありましたが、併し幸いに引揚援護局の函館の総務部長野村琢民君が出席しておられまするから、同君に、午前中御出席になつていろいろお聞きになつたと存じまするが、その点に対する最近の引揚者の状態、殊に樺太方面からの引揚者の状態等についてお感じになつておる点がありましたら、この機会に承つて、それから……(「委員長、その前に……」「議事進行」と呼ぶ者あり)
#71
○矢野酉雄君 議事進行について申上げますが、今星野委員から矢野の言動についての意見が出ましたので、当然この有機的の関連を持つ問題である以上は、これを取上げて矢野に発言をお許し願いたいと思います。(「その前に議事進行」と呼ぶ者あり)それは第一に、日の丸の問題でありまするが、星野委員は毎日國会においでになる以上へんぽんとして総理官邸に日の丸が飜つておるのを御覧になるでしよう。(「そんなことを言つてるから……」と呼ぶ者あり)その日の丸を見ることが不愉快であることは君の主観的の断定であると思う。(「そうだ。」と呼ぶ者あり)君が矢野の主張をして主観的断定とするならば、同じ程度において星野委員の主張又主観的断定なりと言わざるを得ない(「同感」と呼ぶ者あり)それを自分の主張のみを是なりとして、そうして矢野の日の丸の主観的の判断を否定するが如きはこれ正に民主的態度ではない。(「その通り」と呼ぶ者あり)根本的に誤謬である。故に矢野は飽くまで日の丸が占領下における連合國の首脳部によつてこれが認められ、國族として全國民の大部分が認識しておるということくらい常識であるならば、これに対して第一回國会の特別委員会において日の丸を要望する人に対して……強制的配給ではない。
   〔「然り」「大きな声を出すな」と呼ぶ者あり〕
みずから求めるところのその希望を活かさんとすることは、これ正に民主的思想の私は具体的な発表であると思う。それを否定するがごとき態度が正に非民主的であると断ぜざるを得ない。飽くまで私は若しも繊維その他の必要なる資材の配給が適当に許され、國内事情がこれを許すとするならば、適当に日の丸の旗を作つて、希望者にあの四年の苦難を嘗めて懐かしの祖國に帰つて、そうして熱望するものありとするならば、それを満たしてやるような制度を作ることを、私はむしろ促進したいという熱望を持つておる。これを私は敢て満天下に表明したい。その他の細川君に対するあなたの御意見はあなたの御意見として結構である。時間もないので敢てこれに対して駁論を與えないことにいたします。
#72
○紅露みつ君 今の問題でございますけれども、各委員からもお話がありましたように、この委員会というのは超党派的にやつておりますので、もうどの委員も目指すところは、どうか早く帰還ができるようにということに重点が置かれて、その協議をしておりますので、たまたまこういうふうなことになりますのは、大変遺憾だと思います。いろいろお言葉のあやもございませうけれど、ここからこういう問題について懲罰問題というようなことが出るのは大変に面白くないと思いますので、今後の運営につきましても、これが禍いをするというようなことは、各委員とも本意ではないと存じます。熱心な余りこういうふうになるのではないかと存じますので、これは是非委員長の裁量で穏かに收めて頂きたいと存じますし、各委員の方々も是非一つ穏かにしてお考え頂きたいと思います。
#73
○細川嘉六君 先程委員長は引續きこの舞鶴、函館から來ておられる方の話を續けるかどうかということについて諮られ、そのときに矢野委員は星野君の言葉を取つて自分の一身上に関しての発言を求め、そういう許しをなさることなしに、それにお構いなしに矢野委員が堂々と述べる。これは議事についての約束を我々守つている者に対して妨害するものである。委員長はその点をはつきりさして頂きたい。今後の議事進行上非常に困つたことであります。はつきりしていない。直ぐに續けてしまう。委員長はその権威を持つてこの議事を進行して貰いたいと思います。
#74
○委員長(草葉隆圓君) 只今の点は、先には発言を許可しております。(「その通り」と呼ぶ者あり)
 次に舞鶴の援護局のリンチ事件については細川委員から先程申上げましたように、質問書或いは政府の答弁書が出ておりまして、幸いここに宇野次長が出席しておられまするから、いろいろ質疑應答がありましたが、他にこの問題について御質問がなかつたら、この問題はこれで打切りたいと存じます。如何でございましようか。御異議がございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#75
○細川嘉六君 この問題については、私がこの問題を出したので、黙つておるのもどうかと思いますが、今までの報告を受ましたが、それについて質問をするには余り簡單であります。併し事情が更に複雜であります。それで私らの方としましては全國に手配して、本当のところはどうであるか、これを調べておる最中であります。それでありまするから、今までの当局から出された報告、これはそのまま今受取つておることになつています。
#76
○委員長(草葉隆圓君) それでは舞鶴の問題はこれを以て打切ります。
 次に函館の問題に移ります。只今申上げましたように、函館援護局を中心にされまして、午前中にお聞きになつたような樺太の在留同胞の状態から、最近引揚げて参つて來られまする方々のお取扱の上で、午前中の証言をお聞きになつてお感じになつた点を承りたいと思います。
#77
○説明員(野村琢民君) 私は函館援護局の野村であります。昨日本廳の方に事務打合せに参つたのでありますが、またまた本日委員会があるから、殊に函館援護局に関係のあることであるが故に出席したらどうか、こういうことでありまして、午前中に埴原さんのお話を伺つたのであります。このことにつきまして、私共の方は、函館に本年五月以來入りました船は約八十隻であります。引揚者は十一万近くになつておるかと考えております。船の入るたびに座談会を開きまして、いろいろ向うの状況を聞き取つておるわけであります。その聞き取りました範囲内のことを占今より申上げたいと存ずるのでありますが、この話は何月何日誰から聞いたか、いろいろそう細かいことを聞かれましても、これは総括的のことを申上げるのでありまして、一々責任を通らされるというようなことは困りますから、この点は予め御了承を願いたいと考えます。
 本日の埴原さんの新聞の記事のことでありますが、これは本年の十一月過ぎの引揚は來春まで延ばしたいという者が非常に残留者の中に多いというようにお話になつておつたように聞いております。この点につきまして、座談会その他によりまして聞き及びました点を申上げまするならば、樺太より引揚げて参りまする方々のすべては、後に残つております者が非常に氣の毒でありますが故に、一日も早く引揚を促進させて貰いたい、これは殆んどの方々の要望でありまするし、又十一月過ぎのいわゆる冬季間の引揚は非常に困難であるというようなことは余り承つておりません。すべての者はただ祖國日本に帰りたがつておる。一足でも日本の土を踏んだならば、これはもう倒れても差支ないんだ、死んでも差支ないんだ、是非一日も早く日本に引揚げさせて貰いたいということは、恐らく向うの汽車が出る際、或いは又その部落を皆さんが立つて來る際に後に残りまする方のが異口同音に言つておることのように聞いております。私の出て参ります前日にも徳壽丸という最後の船が入つております。その方の方々の情報も聞き及んだのでありまするが、これらも異口同音にそのように申しております。それで十一月最後の冬季間の引揚を樺太に残つておられます方々が希望をしておらぬというようなことは、私の座談会に出席いたしました範囲内では全然聞いておりません。それに関連いたしまして申上げたいことは、先程埴原さんのお話の中に、いろいろ物が豊富になつて來た、而もそれが自由に買える、こういうことがあつたように聞き及びました。この点でありまするが、成る程向うは自由になりまして、物は出たようにも聞いておりまするが、これは買うにいたしましても金がないということであります。金がないと申しますることは、これは働きましてもなかなか賃金の支拂をして貰えんということです。而も毎月決まつた給料を貰つておりまするという人は、大体私の聞き及んだ範囲内におきましては、小学校の教員程度の者でありまして、その以外の人は殆んど貰つておりません。貰うにいたしましても、或る月は千円貰つたかと思いますると、翌月は百円になつたというようなことも往々にしてあります。殊に沢山の家族を抱えておられる方々は、僅か百円や二百円の金では絶対暮せんわけであります。少くとも一人七、八百円の金が要るのじやないか、これは私よく分りませんが、そういうことを申しております。結局食えんということであります。このようなことで、それから今の食糧事情の方に移りまするが、食糧の方は非常によくなつたのは先程埴原さんが申されておりまするが、私の聞き及んだ範囲においては大体黒パンであります。黒パンを貰う、而もその黒パンは働く者のみのこれは配給されております。家族の者には配給されていない地方が多いのであります。或る地方におきまして、家族の者に配給される所も極く少数あります。併し大半は家族に対しては配給されておりません。ただ食糧問題で非常によかつたという方面は千島の択捉であります。この地点は非常に食糧が沢山にあつた、又向うに駐屯しておりまする進駐軍ですが、この方々が非常によくやつて呉れたらしい、食糧には困らなかつた、而も引揚の際におきましては、十五日と言いますか、半月分の食糧を與えた、そうして賃金もすべて拂いまして、そうして送つて寄越したこれは樺太まで送つて寄越したのであります。その地区は非常によかつたのであります。その地区以外では余り聞いたことはありません。今申上げました通りとにかく樺太地区は大体に黒パンを全部食べておられる。いろいろバターとか肉とかいう話もあつたようでありますが、私の聞き及んだ範囲内におきましては、そうしたことはまだ聞いておりません。そこから農民諸子が非常に生活程度がよくなつておるというようなことも申されておつたようでありまするが、私共の聞き及んでおります範囲内におきましては、この農民諸子は供出が全部ありまして、殆んどが供分の方に取られてしまう、残るものは極く少量の穀物である、これで食い繋いでおる、賃金は貰えんということですから、これ又生活が困るという結果になるわけです。それから物が自由になつたということでありまするが、これも私の聞き及んでおります範囲内におきましては、或る一定のものはここへ持つて來るのだ、そうしてこれを賣出すわけです。そうするとソ連人も日本人も全部列を作つて買わなければいかん、こういう地区が非常に多いのでありまして、それがために日本人は並んでおりましても、これを引出されてしまう。それがために買えなくなつてしまうわけであります。この状態が非常に多かつたように聞いております。私の申上げておりますのは、先程申しました通り、向うの引揚の方々から聞いたことを申上げたのですから、どうぞこの点は御了承を願いたいと思います。
 それから食糧問題でいろいろ申しておられたようでありますが、惠須取地区と申しますと、北の方であります。この地区あたりに引揚げて参りました方ので六月、七月、この頃非常に雨が降つております。それがために非常に困難をいたしておりますし、惠須取地区の波止場まで出て來ます。出て來まるが、そこに宿舍は全然ございません。さうして雨に叩かれる、その間は多いのは三十日ぐらいですが、それを全部宿舍のない所でテントも貰えないというような所に置かれまして何日もおる。そこでこれは雨風に遭うことは当然でありますが、子供がそれで非常に病氣をするというようなことを沢山聞いております。さう船が來たというときには炭積船であります。その大半は炭積船でありまして、その上に置かれるわけでありまして船の中に入れて貰えない。併し船内に入れた貰つた者も一部あつたようでありますが、大半炭の上に置かれて、荷物は雨が降りましてもテントを貸して貰えなかつた。それがために私共の方に引揚げて帰りました者の中、雨期、雨い多い時は大半荷物に全部雨が通りまして、荷物を持ち切れないぐらいの重さになつております。而もそれを乾かすような時もありませんで、そのまま発つて行つたというような氣の毒な方も多かつたわけであります。
 それから樺太残留者の声であるということをここに謳つておるようでありますが、樺太は大体において交通を余り許しておらんようであります。それがために引揚げて來られた方々で、その部落のことは大半分りますが、その以外のことは絶対に分らんと、かように申しておりますので、ここに謳つておりまする大半の方々が引揚を希望しておらんというようなことは、よく分らんことではないかと、かように想像されるわけであります。
 いろいろ私共聞いておるのでありますが、この新聞記事のことにつきまして、ほんの概略を申上げまして御参考に供したいとかように考えておるわけでありまして、これはどこまでも引揚者から聞いたことでありまして、私の責任と申されましてもちよつと困りますから、この点は御了承を願います。
#78
○淺岡信夫君 ちよつとお尋ねしたいのですが、この夏、國会から派遣されまして、そうして、北海道に参りました。たまたま函館に寄りました時に、函館で以で引揚げて來られた約十二名の方と座談会をやりましたが、その結論としては、今お話になつたようなことを私共も了承したのですが、毎船毎船座談会をおやりになる。その結果今お話になつたようなふうでありますが、座談会をおやりになる人たちの名前というものは、その船の入つた時に皆お分りになるのではないのですか。
#79
○説明員(野村琢民君) 只今淺岡さんのお話の、毎船入りますと名簿があるわけであります。これは全部分つております。分つておりますけれども、座談会に出た者の名簿も作つております。それから座談会に出ました簡單な、速記的のものでありませんが、極く簡單なものだけには記憶になつております。これは全部私の方の手許にございます。
#80
○紅露みつ君 私もそれを伺いたかつたのでございますが、船の入る度に座談会を催していらつしやるのでございましようか。そうして又どのくらいの人が集まつて、大凡決まりもございませんでしようけれども、凡そどのくらいの程度のお集りまでございましようか。それから回数のことも大凡のことを伺いたいと存じます。今日当委員会の証人の証言を伺いまして、実は大変戸惑つてしまつたようなわけでございまして、私共はもうとても家族が待つていて、そして私共一日も早くみんな帰られるようにというこれをまつしぐらにその問題にぶつかつておりましたので、今日の証人の証言は全く意外でございまして、どうにも御挨拶のしようがないような感じがいたしたのでございますが、今座談会の模樣を伺いましてさもあろうと思うのであります。私は女のことでございまして、妻としての経驗もございますし、母としての経驗もございますので、今日の証人のお母んがそれに程に熱望して帰りを待つておられなかつたということを伺いまして、まあ中にはそういう方もおありなのかと非常に意外に思つたのでございまして、今のお話でさもあろうというような感じがしたのでございますが、座談会のその樣子をもう少し伺いたいと存じます。
#81
○説明員(野村琢民君) この座談会の方は毎船ごとに開催いたしております。出席を願いまする方々は各代表の方々が多いようです。その人数におきましては大体十五名ぐらいでありまして、中に女の人も三、四人交えております。そうして大体私の方から次長以下の者が主になりまして、交代でこの会に出席しておるわけでありまして、その記事は私共の渉外係が取つておるわけであります。その記録も全部できておりまするし、それでいろいろなことがお知りになりたいならば、その記録を差上げてもよかろうかと存じます。
#82
○岡元義人君 これは動議を矢野委員から出されておるのでありますが、その採択の参考として今のところ伺つておつたわけです。議事の進行をその方に向けて頂くように結論を……
#83
○天田勝正君 ちよつとその前に一点聞きたいと思います。
 部長にお伺いするのですが、先程あなたもあの証言を聞いておられたのですが、ところが今申されたようなことは、今まで引揚げて來られた方たちから私共同じように聞いておるわけであります。ところが午前中の証言で、余り騒ぎ過ぎる、こういうようなことになりますると、この騒ぎ過ぎるのを止めるには具体的にはこの委員会を止める、こういうことに答えが自然になつて來ると思います。そこが私共は重要なのです。それでお伺いするのですが、帰つて來られた方が異口同音に後に残つておる人は非常にお氣の毒であるから、早く一つ引揚げの措置を取つて貰いたいものだという希望を述べられておると、こういうことをあなたはおつしやつておる。そこで後に残つておる人が氣の毒だというのは、比較によつてどつちがいいか惡いかということになるのでございまして、直ぐ來た瞬間に、つまり内地のあなた方が扱つておられます收容所における待遇が非常によくて、それを見て向うが氣の毒だというお感じを持つてそう申されたのか、或いは幾日か日が経つて、座談会を開催するのに間があつて、そのうちに街や何かの状態を一應見て、その結果座談会を聞いて、どうも内地が聞くよりもそうひどくない。これではこれと比較して向うに残つておる人は非常に氣の毒だ、こういうふうになつて來たのか、どちらか一つお伺いしたい。
 それからもう一つ、これは論より証拠であります。先の埴原さんは私自身も靴を四足貰つて來た、こういうことを言われた。これは簡單なことですが、実に重要なことです。ああいうふうに普通配給の靴でありましても、立派な靴を四足もどなたも持つて來られておるかどうか、これは物のことでありますから論より証拠であります。その点お伺いいたせば、向うにおけるところの全般の待遇の如何が窺い知れると思うので、その点一つはつきりお願いしたいと思います。
#84
○説明員(野村琢民君) 樺太に残つておられます方々が氣の毒であるということは異口同音に申しておりまする。その理由といたしましては、樺太におきまする事情は、先程の食糧事情でありますが、これは大体において黒パンを配給いたしておる。その配給も一部の部落では家族全部に配給しておるが、一部の部落ではこれは殆んど働く者だけにしか配給しない、こういうことであります。働く人のみに配給されますことは、今度家族の者はどうなるか、これはまあ配給のことにつきましても、先程自由賣りと配給の点で見解が違いましたが、配給等にも働く者のみに配給されたという時代があつたのじやないか。それから今は自由賣りになつておるわけでありますから、自由賣りになりましては、働く者のみの配給するということになつて來ますと家族の者は、これはとにかく……。自由になつて來ますと全部が立つて買うわけです。立つて買う関係で、先程申しました通りソ連人も日本人も立たなければならん。立たなければいかんことになりますとソ連の方々がどうしても先に買うということになつて來るわけですから、日本人には渡らん。而もここに例えば五百人の人が住つておる。その人に渡るだけの自由賣りをしておるかというと、そうでないらしい。それが例えば三百人に富るものであつても、それが無くなればそれで打切つてしまう。後の二百人は何も買えなくなつてしまう、これが実情です。それがために後に残つた方が非常に氣の毒である。一面日本会が沢山おりまして、日本人の百姓の方々も沢山おつたので、これは配給自体も或る程度融通が利いた。ところが日本の百姓の方々が引揚げて参りますことによりまして、今度は自由がきかなくなつてしまうわけです。それで非常に困るのじやないかということを申しておりますし、それから特に極端な例でありまするが、或る炭鉱地帶であります。これは海まで一里くらいの所だそうですが、その地帶では非常に食糧事情が惡い。それで働く人のみでそれ以外には絶対に食物が渡らん。それがために海に参つて「こんぶ」を拾つて食い續けて來たというような事例もあつたそうであります。要はソ連の食糧事情は必ずしも良くないということであろうと考えております。これは私の推察であります。それから日本に上陸されましてからの待週であります。これは皆さんの非常なお骨折りによりまして、今回食糧も六百グラムになつたのでありまして、これは感謝感激何も言うところはない。もうこれ程の支給品と、これ程の食糧を頂いて、これ以上何も言うことはないと申しております。これは大半がこう申しております。特に食糧事情その他について最近になりまして不平を聞くことはありません。但し前の五百グラムのときには、少し食糧が不足だという声は、ほんの少数ありましたが、これも大半の人は申し分なしと申しております。
#85
○天田勝正君 靴なんか四足も持つて來れるというの……。
#86
○説明員(野村琢民君) 靴の関係でありますが、これは私の聞き及ぶところでは相当出ておる。出ておるが、賃金が十分渡つていないということから、金がないわけです。金がない関係で買えん、品物があつても買えんというのが事実らしいのです。
#87
○淺岡信夫君 さつき部長が言われましたが、いろいろ座談会等の話を聞かれて、それを今ここで詳細に説明されておるのですが、どうもその結論に至りますと、私の想像でありますということをおつしやるのですが、想像では困る。座談会がいつ幾日、誰々だということは、これは記録を見なければ分りませんけれども、その座談会の結果はこうであるということであつて欲しいと思うのです。その点をはつきりして頂きたいということと、それからもう一つは、座談会をなす場合において各代表者を選んだということでありますが、その代表者の選び方はどういうふうな処置によつて選ばれたか、この二点をお伺いしたい。
#88
○証人(埴原一丞君) 想像であると申上げたことは、食糧事情に点であります。これはいろいろ引揚者の方から聞きまして私が想像して申上げたということです。或いは沢山あるかも知れませんが、それは分りません。
 それから代表者は、これは私の方の係の者が出まして、その中で班長とか、或いは教員、或いはお医者さんであるとかいうような方、それから又各階級から、林業の関係、漁業の関係もそれぞれ区別いたしまして、そうして各方方から來て頂きましてその座談会を行なつております。
#89
○淺岡信夫君 了解いたしました。
#90
○岡元義人君 今までの報告を聞いておりまして、今日の証人の証言は、結局頼まれたというのは、あの人が入つておりましたところの新聞社の方々なんです。この新聞社というのは、結局「新生命」のいわゆる編集部でありますから、結局これは委員会独自の判断によりまして、この新聞社等に入つておられるというような人たちは、大凡見当がつくわけであります。それで当委員会といたしましては、先程矢野委員の動議は、從來通り最も強力に頂進運動を續けて行かなければならんということをば動議として出されたのでありますが、この動議について委員長は採択して頂きたい。私は今日の証言はただ参考に考えて頂けばよい、いわゆる從來の委員会の方針は一歩も変える必要はないものだ、こういうような判断をしておる次第であります。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#91
○委員長(草葉隆圓君) お諮りいたします。先刻矢野委員の動議あり、且つ数委員からの、それぞれその動議に対しまする御賛成がありましたが、実は本日証人を喚問しまして、樺太地区引揚の状態について、埴原一丞君からいろいろ聞きましたのは、十二月一日の東京新聞に、「嚴冬の引揚」という題で投書をされたことが、私共の平素考えておりますることと聊か食違つた言葉がありましたので、それを確めるために証人として、岡元委員の動議によつて喚問することになりました次第でありまするが、併しこれは、只今岡元議員からもお話になりましたように、一つの参考であつて、この委員会とし、且つ又参議院といたしましては、十一月十六日に院議を以て議決をいたしましたあの線に絶対に進め、且つ冬季の継續は我々八千万國民が一分一秒と雖も忘れずに、その促進を念願しておるという点は、先程矢野委員の言葉通りだと存じます。從つて本委員会は、この線に副つて一層引揚各進を熱望し、継續するためにあらゆる努力をすべきだと存ずる次第であります。
   〔「異議なり」と呼ぶ者あり、拍手〕
#92
○細川嘉六君 淺岡委員から先程の官吏の方の話についての質問がありましたが、これは適当なことだと思う。どういう人たちを選んだのか、選び方はどうか、この点大分疑問があります。そういうことを聞いてかからないと話の値打というものは分らんものです。これは想像とか言つて、責任を取られても困るという言葉で言つておられるから、そう深く入つて話す材料としては足りないと思う。それで私も幾つかの点を質問したいと思いますが、これは止めましよう。例えば食糧品はどの程度にあるのか、それは去年の場合と今年の場合と比較してどうなるのか、この細かいことは聞かなければ確定しません。そこでさつきの埴原君のことは、「新生命社」という新聞社に関係しておつたから、あの話の値打は割引しなければならんとか、今日の発言をかれこれと批評なさるが、併しどこにおつたからということではなしに、言うことが実生活の上に妥当であるかどうかが我々の判断すべきことである。おつかさんとの関係において先程おつしやつたが、おつかさんとしては常識的である。それはそうじやないというところに……(「ノーノー」と呼ぶ者あり)彼は大分前に、無事でおるからという書面をおつかさんに二回も出しておる、そうするとおつかさんはもう安心してしまつておる。そういう状態で帰つて來た、而も健康で帰つて來たというのであつて、これは自然な迎え方だと思う。それをもし疑うということは先入主が非常に猛烈なものがあつての言い分だと思う。
   〔「それは違う」と呼ぶ者あり〕
私はあの証言は誠に素直であると思う。引揚者收容所の窓硝子が破れておる。何故その窓硝子を要求しないのかと言つておる。これは人間自然な正直な観方をしておるものと考えなければならん。樺太の実情についてはこれは各人いろいろ判定は違うでしよう。我々はどうしても現実に即した実体を見ての考えに立つ、それを基として引揚運動をやらなければ見当違いになるだろうと思う。その点は我々もこの際反省すべきことだと思うのであります。
 それから私についてかれこれのことを委員諸君も申され、恰かも私を爼上に上げて、今度とつちめてやろうとしておられるようだが、それは間違つておる。これは本会議、委員会において言うことは、確定の事実として言つておることじやない。こういうことが起きておるということが傳えられておるそうであるということを言つておる、それは特にそういうことを言うので、特別に祕密会を開いてということを言われておるが、却つてこういうことは祕密会でなしに、公に言い合つて、公に証明するという態度を採るべきじやないかと私は思うのであります。私の言すことは國際間にも響いて來ると言いますが、これは見当違いである。すでに我が國の民主主義改革はどの程度に行つておるか、そういうことの問題は私が言うまでもなく誰が見たつて日本の今日の改革というものは中途半端になつておる。反動に向つておる。これは明らかである。これを私が言つたからとて國際間の何が変るものではない。そんなとんまな外交官はおりません。事実に即して……それであるから私のことで何がどうということはない。
#93
○委員長(草葉隆圓君) 簡單に、時間も大分過ぎておますので……。
#94
○細川嘉六君 そういつたようなことでありますから、私は言動を今更これらの関係において愼しまなければならん、直さなければならんということは私はないと主張します。
 更にもう一言申して置きます。却つてそう言われる方々が事実に即しない宣傳をやつて、そうして引揚のための國際間の感情を刺激しておるということは、これは反省すべきであると思うのです。それを逆に私に反省せよということは、これは何ということであるか。例えば重労働ということはこれについてソ連はどうだ、アメリカにおいて、イギリスにおいてどうだ、それについては、しかじかこういうことがあつたが、いわゆる重労働というものはこんなものであるか、そういうこともはつきりしてかかつて、この運動は展開さるべきものであると思うのです。それもせずに國際間の感情を刺激するようなことを言うた人が、最もよく言うた人が私の攻撃をする。細川が國際間の感情をああいうことを言つたから刺激すると言うに至つては言語道断と言わなければならない。これで終りであります。
#95
○天田勝正君 ここの、今の論議になつておりまする問題は、今日午前中の埴原君の証言によりまして、あの言葉をそのまま私共が全部本当だと受取るならば、これはつまり結論が行き過ぎだと、騒ぎ過ぎるということを言われておるのであつて、その騒ぎ過ぎるということを止めるには具体的にこの委員会の性格を変えるとか、そういうことをしなければならないということなので、それを変えたらいいかどうするかといふ論議で、結局今の動議が採択されたわけであります。それで私共が考えますと、その母親の心情ということを今細川委員が言われて、あれは正直だと、私もその方にとつて正直だと存じます。正直だと思いまするが、その正直さが普遍性があるかどうかが問題でありまして、私は一般の母親である以上は仮にも自分の故郷から離したくないと、東京へ私共が出て來るのですらも自分の手許へ置きたい、離したくないというのが心情であろうと、これが普遍性であるとこういうふうに思うのであります。確かにあの方の心からすれば全く良心的に申されたんでありましよう。併し一般の母親は決してそういうものではありません。海を渡つて遠くにおつて、それが去年帰つて來たら、お前が帰つて來たら困るのであるから、今年になつた方がいいだろうという母親は、これは決して普遍的な母親ではないのでありまして、特殊な母親と断定せざるを得ないと私は思うのであります。であるから外の人たちの話を今まで聞いておりますと、今野村部長がおつしやつたのと殆んど同じことを皆さん言うておるのでありますから、どうしてもこの委員会はやはり今動議によつて採択されましたように、強力にやはり今までと同樣に、決して党派心に捉われることなくして、一致して一つ引揚の促進、並びにこちらへ定着されましてからのお世話までも何か見て行きたい、こういうことで一つやつて行きたいということを要望申上げます。
   〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
#96
○岡元義人君 私は先程動議の採択は終つたのでありますが、その前に細川委員に要望いたしましたので、その御返事を頂いたわけでありますが、併し細川委員が知つておられるように、最近の新聞紙上において野上參三氏や、或いはあなたがいろいろ新聞に出しておられる、結局この委員会にいつも顔を出しておられるあなたとしては……あれだけのことをこの委員会の人たちの中では私は恐らくおつしやらないだろうと思う。というのはなぜかと申しますと、如何にも共産党だけが最初から引揚に全力を盡してやつたのだ、共産党によつてやつているのだ、これは車中までもパンフレツトを配られているのを私見ましたが、併しながら私は今まで細川委員ともお附合をして参りまして、決して共産党云々というような問題は私の口から今まで出したことはないのです。併しながらあの記事を見ておりますと、私は緑風会の立場、いわゆる中立の立場から申しましても一言申上げたくなる。それは多少私は行過ぎてやしないかと思う、ああいう宣傳は……。それが事実非常な惡い結果と申しますか、却つてあなた方が心配しておられる惡い結果とは又別な意味の、私たちの考え方から見る惡い結果が起きはしないかということを懸念するのであります。もう時間もありませんから、申上げることは沢山あるのでありますが、併しながら共産党の本年に至つてからの駅頭出迎等の処置は非常に目立つて來ていることは事実です。併しながら私は共産党の方が駅に出迎えをされるという出迎えの意味と、或いは学生同盟や、或いは婦人團体の駅頭に出迎えることとは、ここに非常に間隔がある。その後者の方は三年なりの労働に対して本当に御苦労であつた、こういうようないわゆる労を謝すところの、そういう意味における出迎えなんであります。併しながら共産党の出迎えは私はそうじやない。これはもうすでにいろいろの出迎方法等については世間の批判が今まで加えられて來たのでありますが、併しながらできますならば、こうして毎日この当委員会が第一回國会以來引揚促進運動には超党派的に動いて來たわけであります。これをよく念頭に置いて頂いて、苟くもああいう問題が新聞等に出る場合にはもつと公平な立場で私は細川委員に批判して頂くようにお願いしたいと思う。
 尚……衆議院においては在外同胞に野坂氏を加えなかつたということがありますが、併し参議院におきましては我が緑風会の割当をば削りまして、特にお願いして細川委員に入つて貰つておるのであります。そういうようなことも、折角ああいう討論会において発表されるのなら、あなたが、又新聞に出されるならそこまで書いて貰いたいと思います。私は一言も未だ曾て言つたことはないのでありますが、初めて私は申上げたのであります。
#97
○委員長(草葉隆圓君) 引揚促進の問題につきましては、先程來縷々御熱心な御意見がありましたように、第三回國会におきまして、我が参議院が全会一致を以て熱涙を呑んで一日も早い引揚促進の完了を懇願いたした次第でありまするが、尚四十六万八千の同胞が嚴寒の冬を四度迎えんとしておる状態でありますので、本委員会といたしましては只今採択いたしました精神に則つて、委員各位が一層引揚促進の完了に御努力願うよう、心よりお願いを申上げまして、本日はこれを以て散会いたします。
   午後五時三十八分散会
 出席者は左の通り。
   委員長     草葉 隆圓君
   理事
           三木 治朗君
           木内キヤウ君
           岡元 義人君
           星野 芳樹君
   委員
           天田 勝正君
           淺岡 信夫君
           小畑 哲夫君
           紅露 みつ君
           北條 秀一君
           穗積眞六郎君
           矢野 酉雄君
           細川 嘉六君
           千田  正君
  証人
           埴原 一丞君
  説明員
   厚生事務官
   (函館引揚援護
   局総務部長)  野村 琢民君
ソース: 国立国会図書館
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