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#1
第004回国会 法務委員会 第9号
昭和二十三年十二月十六日(木曜日)
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  本日の会議に付した事件
○檢察及び裁判の運営等に関する調査
 の件(浦和充子事件に関する件)
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   午前十時四十二分開会
#2
○委員長(伊藤修君) それでは只今より法務委員会を開会いたします。本日は檢察及び裁判の運営等に関する調査会を開きます。調査事件のうち、浦和充子に関する事件について、証人の方の御証言を求めることにいたします。御証言をお願いする前に一言申上げておきます。本日は証人の方にお忙しいところ御出頭を願いました次第は、当委員会におきまして、目下調査いたしておるところの浦和充子の殺人事件についての皆様の御意見をお伺いしたいと、かように存じて御出頭願つた次第であります。お手許に差上げておきましたプリントによりまして、大体事案は御了承のことと存じますが、浦和充子は夫語助と結婚いたしまして、ささやかな印刷工場を営んでおりましたのですが、その後夫は二回に亘つて出征しておつた次第であります。出征の留守中に罹災に遭いまして、郷里に帰りまして、実家の附近に住つておつたのでありますが、その後復員して参りまして、その実家の附近において一戸を構えまして、即ちその家は夫の残しておつた金で以て買取つて住つたのでありますが、そうして生活を営んでおるうちに、夫は酒と博打にその日を暮しておつたのです。そのうちにその家も賣つてしまつて、そうして三月十四日に夫の兄の誠作という家に妻と子供を同居せしめて、夫は千葉縣の野田町に赴いて、そこにおいて博打場に出入りしておつて、妻を顧みなかつた。從つて充子といたしましては、生活に対するところの將來の希望を失い、生活苦に堪えかねて、八才と四才、二才の三人の子供を絞殺して、最初は猫いらずを飲まして、そうしてそれが効かなかつたものですから、絞殺して遂に死に至らしめた。こういう事案で、裁判の結果は、これに対しまして生活苦であつたというような事実認定の下に、三年の懲役且つ執行猶予の判決を與えられて、檢事は翌日上訴権を拠棄して、本件は確定した次第であります。併しながら裁判所が、判決において認定した基本的の事実は生活苦であつたと、こう認定しておりますが、その生活苦であつたかどうかという点に対しまして、警察、檢事並びに裁判所においても何らの証拠を調べていない。ただ浦和充子の供述、いわゆる本人の供述に基いて生活苦であると断定して判決をしたのであります。この点に対しましては、当委員会におきましても、果して生活苦があつたかどうかという点につきまして、埼玉縣地方のいわゆる保護施設即ち託兒所とか、兒童相談所とか、補導所とか、養護院とか、そういう施設があつたかどうかということも十分調査いたしまして、又浦和充子の実家の方において、これが相談に與つたかどうか、或いは語助においてこれを扶養しなかつたかどうかということを、各方面について調査いたしました。併しながらその結果は、浦和充子においてそういう施設を頼つたならば、十分生活苦を切り抜けることができたということは認められるのであります。又親戚なり兄弟なりに相談したならば、又何らかの打開の道はあり得たということは認められるのです。又夫の語助にいたしましても三月十一日に家を賣り拂つて、五万五千円の金を入手いたしまして、それから四月六日に至るまでの間に、八千円の金を充子に渡しておるのでありまして、それによつては生活苦であるという事実は認め難い。充子自体の当委員会における供述によりましても、尚一ケ月の生活は保ち得るということを、本人自身も言うておる。從つてこの事実からいたしますれば、生活苦ということは考えられないと存じますが、併しながらこれは不幸にして裁判所なり檢事局なり、警察官が、この点に対するところの取調べをしなかつた手落は十分認められるのです。併しながら当委員会におきまして考えたいと言うのは、こうした参判に対する手落云々ということは、第二義的といたしまして、一体子供の生命に対しまするところの考え方、いわゆる從來日本の道徳或いは社会事情から考えましても、子供を犠牲にするということは、君のために犠牲にする、或いは親のために犠牲にする、仕事のために犠牲にするということは、多くこれが美化されて劇とか小説とかその他美談的に書き現されまして、それに対して國民感情としては涙をしぼるという実情にあつたのであります。こうした考え方は果して新憲法下において許されるかどうか、いわゆる子供の基本的人権というものが、我我大人の基本的人権と差異を認めていいのかどうか、旧來の日本國民の考え方は、そのまま日本の道徳として存続せしめていいかどうか、こういう点に対しまして、主としてこの事案の調査の目的が加えられておる次第でありまして、当委員会におきましても、その点に対しまして十分調査して参つたのでありますが、廣く有識の皆さま方の御意見を飼いまして、國民の声をこの事案の決定に対しまして反映いたしたいと存ずる次第でありまして、その意味合からいたしまして、皆さまの御出席を求めた次第であります。從つて皆さまの御意見は、こういう裁判の是非とか、いわゆる審理の手続きの可否という点でなくして、その点に重点を置いて御意見を伺えますれば結構な次第であります。日本は皆さまお忙がしいところ、誠に恐縮に存じますが、どうぞ皆さまの御蘊蓄を傾けて頂いて、我我の参考に供して頂きたいと存ずる次第であります。一言御挨拶を申上げます。それでは大河内一男さんから一つ御意見をお伺いいたしたいと思います。
#3
○証人(大河内一男君) 私は突然のお呼出しを受けまして、別に準備もできておりません。その上私は別に法律学者でもありませんので、この事件に関して法律上の解釈論を申上げる資格もありません。ただこれを一つの戰後の社会問題として見まして、私の感想を申上げる程度に止めることにいたします。さよう御承知を願います。参議院の方から頂きました材料と、二三の新聞の報道だけが私の目の前にあるものでございますが、それによつて私の大体の感想は次の通りでございます。
 私は先ずこの問題の充子という婦人の夫の浦和語助さんという人の立場を考えて、そこから問題を拾つて行くのがいいのではないかとこう思つておるのであります。これは戰争後に一般的に日本で見られます共通の現象でございますが、この浦和語助という人も亦その一人で、つまり二回に亘る應召で、それによつて應召前に浦和語助氏が持つておりましたいろいろな経済上の地位というものが大打撃を受けて、召集解除後においては経済的には非常に氣の毒な立場に落込んでしまつた。つまりこれは戰争で損をした一つのケースです。同時にこれは又日本に共通の事例でございますけれども、浦和語助氏の應召中、語助氏自身の供述によりますと、この問題の奧さんの充子氏が、語助氏の三弟と肉体上の関係を生じて、それについて相当な確信を語助氏が持つておつた。又充子自身がそれをみずから承認したということが、浦和語助氏の供述に述べられておりますけれども、これは應召中の留守宅のつまり貞操問題といいますか、そういうことで、これ又廣く日本に全般的に見られた現象で、この点からも、語助氏が戰爭によつて非常に打撃を受けたということが分ります。要するに浦和語助という夫は、経済的にも戰爭で大きな打撃を受け、精神的にも戰爭で大きな打撃を受け、この両面で、つまり戰爭終了後は極度に生活が経済的にも肉体的にも精神的にも頽廃してしまつたと考えられますので、これが特殊な事例でなしに、一般的にこういうことは戰爭後の日本人については廣く見られたところであります。博徒の中へ入つて、その使い走りをして漸くその日を送つておつたというような状態。一方浦和語助さんの兄さんの誠作という人、これは農地法で農地を買取つて、一町歩以上の自作農、あまり大きいとは申せませんでしようが、從來に比べれば相当な土地を手に入れて、比較的裕福な地位に上つておる。それから姦通問題が云々されております三弟の彰氏の場合も、留守中の浦和語助氏の材料その他を賣り拂つて相当な財を蓄えて、これ又経済的に安定しておる。つまり終戰後は自分の周囲がすべて得をして、自分だけ精神的にも経済的にも損をしたということが、この浦和語助という人の置かれた氣持の上での、或いは経済の上での地位だと思います。こういうことが結局みずから博徒の中に落ち込んで、妻子の面倒を見ないというような氣持に段々落ち込んだ大きな背景だと思うのです。
 これに対して、問題の浦和充子氏自身の立場から、今度はこの問題をどう考えるかということであります。これも供述から拾つて見ますと、浦和充子自見は、最初から精神的な意味でなしに、ただ経済的な意味で浦和語助氏との結婚生活に入つた。ところが浦和語助氏が應召して、その留守の生活のことで、語助氏の三弟の彰氏との経済上の依存関係、又肉体的関係もあつたと語助氏は言つておるわけでありますが、これが第二のつまり生活の依存状態、それから更に終戰後においては語助氏の実兄の浦和誠作氏方へ居候生活している。ここで又経済的な依存隷属と言いましようか、そういう関係が始まつた。つまり最初から最後まで経済的には他人に対する絶対的な依存生活というものが継続されて、その間自分自身の判継に基いた独立自営の考え方というものが少しも見られないというふうに感ぜられるわけです。他面三人の子供を儲けているわけですが、同時に私の想像では、最初からの職業が喫茶ででありますか、カフエーでありますかの女給をしていたということから、大体男性並びに第三者、他人に対して信用をしない一種のミサンツロープとでも申しましようか、人を憎むと申しましようか、人間嫌い的な性格が勝氣の氣性の中に強く出て來るというようなことで、それがおのずから夫に対する反感、憎惡というものを更に煽り立てたように感ぜられるわけです。こういつたような背景からこの問題を考えますと、この浦和充子氏自身が、しばしば記録に見えておりますように、他人から見ても勝氣な女性であり、みずからもそういうように御本人が述べている。それにも拘らずその勝氣が三人の幼ない者の生命を支えるというところに少しも活かされておらない、つまり勝氣という氣性が税極的に社人的に、或いは生活の上でも活かされていないということが、非常に矛盾のように私には記憶からは読みとれるわけであります。勿論終戰後のいろいろな疎開とか、或いはその他の関係から罹災者の生活というような点におきましては、親類緑者の間でのいろいろな精神的な摩擦というものが予想外に酷いし、日本の家族制度というものは、こういうところで殆んど役に立つておらないということが不幸にして一般的に見られたわけでありますが、こういうことから考えて、実兄方に身を寄せておつた生活が非常に不愉快なものであつたろうということは、これ又一般的に言えますし、恐らくその場合もそうでないかと思われるのでありますが、その点から言えば、十分同情に値する環境とも言えるのでありますけれども、而も尚勝氣が最後まで少しも活かされないで、唐突な感じを人に與えるように形で三人の幼い者の命を突如として奪つてしまつた。つまり三人の幼い者の命を奪いますに至りますまでの過程が、十分私共を納得させるような経過をとつていないという感じが私にはいたします。戰後のいろいろな疎開者その他の同じような状況に置かれました者の生活というものは、この浦和充子氏の場合と同じような例は日本に数限りないと思うのでありますが、にも拘らずこの場合に特に三人の幼い者の命を絶たなければならなかつたというその必然の経路が私には十分納得いたしかねるように思われます。これは幼い者の人権という観点に立ちましても問題は同じでありますけれども、極く一般の常識論、感情論といたしましても、今言いましたような割切れないものが私には残るわけであります。同時にもう一つここで関連があることで氣付きますのは、先程も委員長からちよつとお話が出ましたように、例えば地方の相談すべき適当な権限を持つた機関、例えば生活保護法関係の機関とか、或いは兒童福祉法関係の機関とか、まあその他いろいろな機関がございましようが、それらのものが果してどの程度この場合に役立ち得るような形で一体活動しており、又途が開けておつたかということを、私は細かい事情は存じませんけれども、大いに問題としてよろしい点だと思います。これは恐らく裁判所の記録にもあつたかと思いますが、浦和充子が甚だ無智で、その無智の結果として適当な機関に相談することなく、思い余つて三兒を殺したというように記録されておつたように思いますが、無智だということは彼女自身を責める一つの用語にもなりますけれども、かような無智な女性が多いといこうことも亦日本で嚴たる事実であつて、そうして又この無智な女性が無智であるがためにみずから進んで適当な権ある機関に相談をかけなかつたということを責めることもできますけれども、これは制度自身の方に罪もある問題で、例えば民生委員なら民生委員というものができておりましても、それが決して積極的に活動しないという場合が極めて多いので、そういう場合に進んで民生委員に話をかけることは、なかなか事情に通じた者ではい限りはできない、特に女給のような生活をしておつたというよう女性がそういうことを第一思いつこう道理もありませんし、又地方のことでありますれば、いよいよ以てそうで、又概して例えば生活保護法その他のような社会事業的な慈善救済的な色彩を持つた立法体系というものにおきましては、かような場合に見られますように生活の問題まで積極的に手が差し延べられない状態に恐らくあるだろうと私は想像しておりますし、又そういう担当者が地方ではまだまだ十分ボスの、ボスと申しましようか、の手に握られておるわけで、決して実際の生活に触れたところまで進んで生活の改善や相談に乘るように担当者の方で仕向けて行くというところまでは、決して行つていないように私には思われるわけであります。そういう意味で、例えば生活保護法その他類以の機関が甚だ現在の日本の生活問題を処理するには、甚だと申しますより、遥かに及ばないということは私は感じておりますので、この事件につきましても、若しそういうようなものがもつと地方の生活の末端まで滲透して民主的な形で活動しておりますれば、或いはこういうことが起らずに済んだかも知れないということも考えられるわけで、こういう機会にこの生活保護の地方組織という問題がやはり檢討されて然るべきだろうと私は考えております。先程委員長から最後にお話が出ましたように、結局問題は人権ということに帰着するわけでありますが、これは勿論新らしい憲法の建前から行けば、人間の一人の独立した存在として尊重するという精神において、その精神から見ますならば、この事件が先程御紹介のありましたような形で処理されたということについては、決してこれを私はそのまま妥当な処置だとは思えない感じが非常に強いのであります。まして單に法律論でなしに、新憲法に人権尊重という建前を今後の國民に対する教育運動或いは教育的な効果という点から考えますと、つまり大人、子供を問わず、一人の人間としてその存在を尊重する。これはたとえ親権者と雖もそれを侵し得ない存在というそこに一つの新らしい日本人として、從來欠けておりました人間に対する考え方を啓蒙することがやはり新憲法の建前であるという点に重きを置きます限りは、やはりこういう問題はもつとその見地から嚴正に批判される必要があるのではないかと思いますし、そういう点からやはり今回取られましたような措置は、少しくやはり從來の古い日本の親権者と言いませうか、の立場というものにこだわり過ぎた嫌いがありはしないか。或いは又單に生活苦というような形で問題が幾分とも感傷的にと言いませうか、センチメンタルに処理されてしまつた嫌いがありはしないだろうかということが、私に少くともこの記録から感ぜられるわけでございます。
 大体私の感想を申上げればその程度でございまして、要するにこれは戰爭が生み出した非常に不幸な結果の一つでありまして、その限りにおいては十分に同情に値いする件であります。この浦和充子氏に対しても、その夫に対しても、十分同情に値する事件であります。こり両名は戰爭で損をした側、実兄その他は戰爭で得をした側に廻つておるわけでありますが、戰爭で損をして、仮に端的に申せば、そういう人人が生活苦に置かれて頽廃した氣持になるというのは、即ち同情に値するものでありますけれども、にも拘らずその新憲法の人権尊重の建立から行けば、大体同情に値するということにかまけて軽々に扱つてはならないと私は感じておる次第であります。これはどうも証言になりませんで、私の感想に終つてしまいますが、專門家でございませんのでお許しを願いたいと思います。
#4
○委員長(伊藤修君) 朝日新聞社社会部長進藤次郎君に……。
#5
○証人(進藤次郎君) 進藤であります。昨日私の所へ大阪の或る一人の人から至急の特別の速達で手紙が参りまして、これは二人子供を持つておつた親でありますが、戰災で下の子供を亡くして、あと長男一人、それを今年の夏近所の人に水泳に連れて行つて貰つて、その近所の人の過失で溺れ死んだ、ところがその際に警察なり或いは役場の人なりの扱いというものが全く冷淡極わまるものであつた。問題は小さな子供のことだからというので、殆んど犬猫の死んだのとちつとも変らんような扱いをされた。実に何とも残念で仕方がなかつた。たまたま今度の問題が参議院で取上げられて、子供の人権ということが問題にされたということを知つて、自分は実に感銘に打たれた。あなたがその委員会において証言をされるということを知つたので、是非この私の言葉を委員会に傳えて貰いたい、こういう趣旨の投書が私の所に参りまして、私も実はこの問題が同業の毎日新聞で逸早く取上げられて報道された。それに対して全く同感を感じておつたのですが、更に今度参議院から呼出されて、まあこれを新聞の仕事の問題でなしに、人間としてもう一度考えて見なければならんということになつて、この問題をいろいろ考えておつた際に、この投書を見まして、非常に感銘を得たのでありますが、先程委員長なり、或いは大河内先生なりからもお話があつたのでありますが、私のやはり最も重点的に感じるのは、新憲法が施行されてもう一年以上になるのに、やはり子供というものを以前とちつとも変らん親の私有物というような考え方が今以て殆んど常識的に考えられ、且つ行われておる。これはひとり今度の裁判の問題だけでなしに、社会的に言つてどこにも見られることじやないかというふうに考えられます。判決に対する批判はこれはもう別としまして、こういう問題をこういう機会に、こういう場所において取上げられて、そうして世間一般に問題の所在をはつきり示して、そうしてこれが空しく死んで行つた三人の子供の犠牲において、將來の社会政策なり或いは立法なりに取上げられる一つの機会になるということを衷心から望んで止まないわけであります。ただこの頂きました資料、それから裁判の記録、それを通じて見ますと、一つ私に分らない明らかにされておらない点は、その当時の夫人の浦和充子さんの精神的或いは肉体的な健康状態というものが一向にはつきりされておらない。そういう状態で、この問題をはつきりと断定的に論ずる。或いは又裁判してしまつた。或いはこれは裁判の過程においては、そういうことも明らかにされておつたのかも知れませんが、私のこの資料なり、或いは新聞紙上なりで知つたところではそういう点が一向はつきりされておらない。この点この問題を考えます際に一つの大きな欠点があるのじやないか。これは案外我々の日常生活、特に夫婦生活においては非常に大きな何といいますか、いろいろなトラブルの非常に大きな原因になるものである。そういう点が一向にはつきりされておらないということでは、決定的な結論というものも見出せないのではないか。こういうことを実は感じまして、いろいろ外に感想もありますが、先ず重点的に申上げますれば、先程からのお話がありましたような、この子供の人権という点と、それから子供を殺さなければならなかつたような婦人の状態をもう少し親切に解明して置かなかつたという点に、問題を集約的に私は考えて來たのであります。非常に簡單でありますが、私の所見を終ります。
#6
○委員長(伊藤修君) ちよつと申上げて置きますが、只今御指摘になりましたような婦人の当時の精神状態、健康状態につきましては、裁判所においては取調べておりません。当委員会におきましては、その点に思い及びまして調査いたしました。当時の婦人の生理状態は普通であります。又精神状態は何ら差支えない、常人と異ならない状態であるというふうに考えた次第であります。曾て夫人の母は精神に狂いもあつた。そういう時代もあつたそうでありますが、これは充子の母の若かりし当時のことであります。充子自体においては事件当時には何ら異常はなかつたと思います。
 次に毎日新聞社会部長黒崎貞治郎君にお願いいたします。
#7
○証人(黒崎貞治郎君) 私黒崎であります。私の勤めておりますところの毎日新聞社におきまして、この問題を取上げました立場から私の所感を申述べたいと思うのであります。
 只今まで大河内先生、朝日新聞の進藤社会部長並びに委員長が縷々申されましたことによりまして、私が申述べようとする大体の趣意は殆んど述べ盡された感がありますが、先に申しましたごとく私共の社でこれを取上げましたにつきましては、私共としても責任がございますから、その立場から非常に抽象的であり、且つ又皆様方と重複するところがあるかも知れませんが、簡單に私の所感を申述べてたいと思うのであります。私はこの事件の公告を受けましたときに、原稿を見ましてこれから受けましたところは、今までの皆様方の申された以外に私はこういう二つの点を先ず考えたのであります。
 これは日本人の親の子に対するところの考え方と、それからもう一つかかる不孝な人々を救済する社会政策的施設が不備である、この二つの問題が含んでおると感じまして、これを考えて見たのでありますが、先ず第一の日本人の親子権でありますが、これは御承知のごとく古くからの日本の家族制度に育まれましたもので、即ち子供を親の私有物視するという考え方が強く支配されておるものでありまして、或る外人の記者の著者を見ますというと、「日本の家族制度はそれ自体やくざの組織である」というようなことを書いておりますが、これは子が親にいろいろの犠牲、或いは奉仕をし、又親の独裁を指摘したものだろうと、こう考えておるのであります。先程も芝居の話が出ましたが、そうした子役が歌舞伎芝居などで現われます場面、そういうときに頑是ない子供が親自身や又親の立場から子に犠牲を強いた場合に、多く客は涙をしぼるものでありまして、こういう歌舞伎芝居の例は多々あろうと思いますが、こういうようなことが不合理であり、間違つておるということは分つておりましても、そういう芝居に涙を流し、或いは又現実の事実の問題としましては、東北地方などでは親のために娘が身賣りする、そういうようなことでもそういた娘に同情し、又その親を責めるよりもそういう境遇に同情するというようなことが我々の今までの感情であつたように思うのであります。これはそうしたことが先に申しましたごとく間違つておつて、不合理であるということは分つておりましても、我々にこびりついておつたところの感情であると思うのであります。そこに今回の問題が非常に示唆するところのものがあると思うのでありますが、そういつた不合理な親子観というものは我々の身体のすみずみにまで滲込んでいるのでありまして、併しながらこの新憲法が制定されまして、個人の尊重ということが謳われまして、我々はそうした憲法の下において生活して参りますならば、かかる親子観というものは一掃しなければならないということを痛感し、又考えるものでありますが故に、今回の事件を私はそうした考え方を拂拭したいという点から、特にこの委員会が取上げられましてから注目して参つたのでありまして、その立場から新聞にも扱つたような次第であります。そこでいろいろのこういう事件を生みました原因、動機につきましては、先程大河内先生から非常に懇切にお話がありまして、私はその点に触れないでおきますが、いずれにしてもこの事件は日本人のいわゆる先に申しました親子観というものが、氷山の頭のように表面に現われたのでありまして、これ以外にも多くのこういう問題を包藏しておると考えるのであります。そうした意味から新憲法を我々が日常のものとして行こうという意味から言いまして、非常に日本人のそうした感情を拂拭する実物の教育として、絶好のケースであり、又チヤンスであると思いまして、これを取上げられました法務委員会に敬意を表するものでありますが、実際の裁判がどういうふうに運営されたか私はそのことを知りません。併しながら刑の軽重はともかくとしまして、求刑や判決を見ますというと、判、檢事さんとも一般の親に対して、新憲法では親と雖も基本人権を蹂躙することは許されないのだという点を声を大にして警告さけていないように窺われるのでありまして、これはこの事件ばかりでなく、先だつて大阪の或る左官屋さんがその夫人に逃げられ、絶望の末、三人の子供を毒饅頭で殺し、みずからもその毒饅頭を食つたのでありますけれども、生き返つた事件がありました。この父親に檢事は八ケ月の求刑をしております。又例の子供の行李詰事件の犯人である母親がやはり執行猶予になつております。かように一般に我が子殺しというようなものは、非常に軽視されて、そうして子供の基本的人権というものが軽んぜられておるのではないかという疑問を持つのでありますが、意地惡い考え方をいたしますならば、そうした関係されたところの判事、檢事の諸公すらも今尚古い親子観に支配されて積極的に新憲法を実践しようとする努力が欠けておるのではないかと思われます。若しさようでありますならば、これは誠に重大な問題であると思うのであります。先に申しましたように、我々の生活の中に新憲法を滲み込ませて行くことが我々の將來の職業と申しますか、生活であるとするならば、その母親がたとえ無智であり、新憲法の何たるかを知らないとしましても、そうして古い親子観そのままの考えで子を殺し、而もその境遇及び四囲の環境が我が子殺しを行わしめたとしましても、その故に新憲法を無視するごとき裁判の結果は大いに不可と思うのであります。この古い人情的なものの考え方は新らしい日本の建設を阻むものであり、基本的人権の所在を曖昧に導くものであると考えるのであります。法が万人によつて護持されるまでは非常に不人情であるでありましようけれども、一つの例外、一つの除外例、そういうものがあつてはならないと私は考えるのでありまして、それらは飽くまで排撃すべきものと考えるのであります。
 次に第二に問題でありますけれども、この母親が無智で、託兒所とか、生活相談所とか、或いは民生委員などといつた社会施設を利用しなかつたということでありますけれども、これは先程も申されたように思いますが、母親ばかりの責任ではなくて、これは國家の責任であると言いたいのであります。かかる人たちを救済する手が実際積極的でなく、何かこう申しわけ的であるということ、並びにこれらのことに携られる人たちがとかく不親切で、そうしてそういう人たちを乞食扱いにするというような極端な例でありまして、これは我々新聞をやつております場合いろいろの事件を取扱いまして、その感を深くするのでありまして、この母親の場合にしましても、もう少し民生委員の方々が目を本当の生活の上に注いでいられましたならば、この母親の窮迫状態を発見し、そうして生活補助の手続を取り、職業の斡旋や託兒所の世話などをしてやれば、彼女は夫に絶望しても子供を殺さずに済んだのではないかと考えるのであります。私はこれを考えますにつきまして、今やこの原因はおのおの違つておりましても、子供を抱えた多くの戰爭によりますところの未亡人、又還つて参りませんところの夫を待つ妻は日一日と生活難に追い詰められておる実情を我々は知つて置かなければならんと思うのでありますが、誰がこういう実情におきまして、第二、第三の浦和充子事件が生れないと保証ができましようか。國家は基本的人権の権護に峻巖であると共に、かかることによつて弱き人たちが基本的人権を侵さないように、早急に社会政策的施設の拡充と内容の改善とを図られんことを希望いたしまして、私の所感を終りたいと思います。
#8
○委員長(伊藤修君) 次は読賣新聞社会部長竹内四郎君。
#9
○証人(竹内四郎君) 私、竹内であります。この種の事件は、今朝丁度私が社に寄りましたときにも、世田谷で昨晩老婆が今年一才になる孫を殺して自殺したというニユースがありました。過去から現在に亘つてこういつた親子心中といつたような事件は我々の職業から見ると非常に沢山ありまして、報道ニユースのエディターの立場からするならば、非常に珍らしくない普通のあり來りの事件として取扱われていたのであります。これが今回当法務委員会において、基本的人権という角度から取上げましたことは非常に興味のあることでもあり、又非常に大切なことであつたと思つて、委員会の処置に同感と敬意を表するものであります。私は委員会から頂きました資料によつてこの事件を見たのでありますが、裁判所の判事及び檢事が、これまで委員長始め大河内教授その他同業の証人の証言に述べられたような新憲法の精神というものを、司法官自体がはつきりと把握していないのではないかということも強く感じたのであります。檢事の供述の中に、懲役刑三年を求刑したが判事がこれを執行猶予にした、それに対して檢事が直ちに上訴権を拠棄したということになつておりますが、そういう点から見ましても、この檢事は本当に実刑を科するという信念から求刑をしたのではなく、裁判所が執行猶予をするということを頭に描いて求刑したものというふうに私には思われるのであります。そういう点から子供の基本的人権を軽んじた母親に対して、判事並びに檢事の処置は確かに軽きに失していたということは見られるのであります。併し一面若しこの判事がこの氣の毒な母親に実刑を科した場合に、その母親は一体どこで救済されるかという問題になりますと、非常に困難な事柄があるのではないかと思います。私が先程この事件は非常にあり來りの事柄であるということを言いましたが、この種の事件が新聞紙上に報道された場合、世の一般の人々は決してこの母親を憎むということは、今日までのところではあり得なかつたのであります。その立場から言つて、新聞自体もこういう母親に対して非難するというようなことは余りしなかつたのでありますが、この点からしましても、判事が実刑を科した場合に、却つていろいろな議論を起したのではないかとも思われるのであります。確かにこの司法官自体が新憲法の精神をはつきりと身につけてはいなかつたと思えるのですが、この判事が基本的人権を尊重して実刑を科する勇氣ある判決をするには、一般的な社会の受ける感じも改められる必要があり、又この母親が救われる社会施設、司法保護施設といつたようなものがもつと必要であろうということを痛切に感じられるのであります。女囚保護とか、そういつた施設がもつと強力にあつて、そうして社会一般の基本人権に対する認識も進んでいたならば、恐らく裁判所も單に執行猶予の判決ではなく、もつとこの母親に罪の深きを思わせる刑を科したのではないかと思います。私のこの事件そのものに対する判断はこの程度のものでありますが、こういう意味からいたしましても、当委員会が基本的人権という立場から声を大きくしてこの事件を特に取上げて、あらゆる角度からこれを檢討されるということは非常に意味のあることであり、今後この種の事件が続発することを防止する上に相当役立つものではないかということを思い、又それを期待しておるのであります。
 それから一言附加えて置きたいのは、先程大河内教授が申されたことでありますが、この夫の語助という人の立場でありますが、委員会から戴いた資料により、各証人の言葉によりますと、夫が非常に惡い、夫こそこの事件を起した責任者であるというようになつておりますが、夫の立場というものは全く戰爭犠牲者であり、彼が二度も應召してその間に妻に姦通事件があつたといつたような点から見ましても、彼が博徒の使い走りに成り下つてしまつたということもあながち無理ではないのでありまして、今日戰爭中二度、或いは三度、永年に亘つて應召した多くの夫、多くの男が、終戰後家庭生活に入つた場合に非常に不幸な例を招いている事実が多々あるのでありまして、結婚生活が破れた、或いは親との立場が非常に惡くなつた、戰爭の荒廃した空氣の中に何年かを送つた男たちが、家へ帰つても家庭生活に馴染めない、平和な家庭を営めないということは誠に同情さるべきであつて、こういつた氣の毒な夫も亦、充子さんのような氣の毒な母親と共に何とかして救わなければならん、社会施設政治的な手段が必要だということを強く感じております。
 それから尚資料によりますと、充子さんとこの夫の語助さんは愛情もなくして目下引取人の家に同居しているということでありますが、当委員会では、この事件に生きた解決を與えるためにも何らかの機関に指令して、この氣の毒な母親、氣の毒な夫を救うために適当な社会施設なりを生かして、何とかして二人を更生させることがこの事件を更に深く世の中に感銘を與えるためにも必要じやないかと思います。
 私の証言は証言にはなりませんが、感じだけを述べて置きます。
#10
○委員長(伊藤修君) 日本婦人民主クラブ、松岡洋子君。
#11
○証人(松岡洋子君) 松岡でございます。こちらから頂きました資料を拜見して感じましたことは、この裁判に当つた判事の方たち、それから又この委員会でも、浦和充子さんが子供を殺した動機というものは一應是認していらつしやるようであつて、そしてここで問題になつているのはその子供を殺した基本的人権の問題を取上げていられるようでございまして、私はこれだけの資料を拜見いたしまして、その動機自身が一体是認し得るものであるか、果してどういう動機であつたかということに対して少しく疑問を持つたのでございます。それはこれが生活苦でなかつたということをこの浦和充子さん本人がそう言つているということ、そしてこれは將來に対する不安があつたというようなことを言つているわけでございます。併し先程から大河内先生も、又それからその他の方々も非常に問題になさつたように、若しもこの夫の語助さんが証言しましたことが事実であれば、その人が戰爭中に受けました経済的な打撃、それから更に大きな精神的打撃というものがここに大きく作用しているのではないかということを非常に強く感じたわけでございます。更にここで私が感じましたことは、子供を殺した、これは基本的人権を蹂躙した、親と雖も子供の人権を尊重しなければならないということが先程からずつと問題になつて來ておりますが、この愛情のない結婚をした語助さんとそれから充子さん、それから又この判決が済んでしまいましたあとから、現在同じ家にいて、そしてその同じ家にいる理由として夫が言つていることは、彼女を苦しめて、そして精神的にこれを高めようとしているというような非常にサディスティックなものをここに感じるわけでございます。これはきつと充子さんの側にもそういうことがあつたのじやないか。大河内先生が先程おつしやつたように、結婚それ自身が女の側から取つて経済的な目的のためであつたというようなことから考えても、充子さんが子供に対して大して愛情を感じていなかつたのじやないかということを私は考えるのです。その場合にこの充子さんが子供たちを果して自分のもの、つまり私有物として、その基本的人権を侵すことを自覚していたというふうには私は考えられないのであつて、むしろ夫に対する憎しみというようなものからこの子供たちを殺すことによつて何らかの復讐をしようというような、そういうような氣持がむしろ動いていたのではないかというふうな氣がするのでございます。若しもそうであつたとするならば、尚更のことこの判決が非常に軽かつたというふうに考えなければならないのではないかと思うのです。
 それから更にこの基本的人権の問題でございますが、それでは私たち、つまり親の立場に立つ者、殊に母親の立場に立つ者が、子供と一緒に心中するとか、或いは子供を殺すというような現在の場合に、果してそれが本当に自分のただ私有物と考えてするのか、それとももう少し違つたものがそこにあるのかということを私たちは考えなければならないと思うのです。私も子供を持つ母親でございますけれども、現在のような社会で、若し例えば自分で自分の命を断つということは是認されても、それでは子供の命を断つということは是認されない。然らば、自分が自分の命を断つて、そうして子供だけをそこに一人残すということが、本当に子供の將來に対して幸福に行くであろうかというようなことを一應母親は考えるであろうと思うのです。現在のような社会で、先程から盛んに社会施設の不備の点が申されておりましたけれども、たとえその社会施設というものがあることを知つておる母親でさえも、自分が死んでしまつたあとに子供一人が本当に幸福に生きて行かれるであろうか、殊に父親がそのように博徒の生活に入る、或いは非常に酒を飲むように、父親が無責任であるということを母親が知つていた場合、子供の幸福というような点から母親が子供を殺したくなるような心持が起らないだろうかというような氣持についても、一應考えて頂きたいと思います。で勿論この事件をここで問題になさつたのは、子供の基本的人権、それは今まで日本人、私たちが非常に封建的な動機から、子供を自分の私有財産のように考え、そして親の利益のために子供を犠牲にしたというようなことは、この事件に限らず今まででもいろいろな例が沢山あるはずでございます。そういうような点をこの際ここで非常に問題になさるということは、大いに賛成するわけですけれども、併しこの浦和充子さんの場合に、果してそれが一番大きな問題であつたかどうかということは、私は考えなければならないのではないかと思うのです。つまりこの場合にこの母親が子供に対して責任がなかつたということは明らかに言えることだと思います。つまり子供たちと一緒に生き拔こうという氣持にならなかつたということ、子供を生むということに対して大人の責任、それは両方父と母と両方にあると思いますが、私たちが新らしい生命を世の中に出して來るということに対して、今まで余りに無責任でなかつたかということを、この際反省して見たいと思うのでございます。そういうような場合に、自分に子供ができた、子供が事実ある場合に、たとえ母親個人がどのように、例えば自分の生命を断つて、そうして、もう生きる甲斐がないと思う場合にも、やはり子供のために生きなければならないという責任感を、私たちは感じて來るんじやないかと思います。元々この結婚に愛情がなかつたというようなことが、やはりこの際非常に大きな問題になつて來るんではないかと思います。
 それから今一つ私が分らない点は、この判決の原因としてこちらから頂きました資料に、引取人があつたということが書いてございました。若しも引取人、この引取人という人がどういう人であるかということは、この資料によつてはつきりしなかつたわけですが、この引取人がなかつた場合には、それじやどういうふうになつたのか。殊にこれを告訴した檢事が、引取人があつたからその上訴権というものを放棄したということが書いてございますが、これは私には法律が分りませんのではつきりいたしません。
 今一つは、この母親が無教育であつたということを言つております。それからその社会施設の不備ということが言われております。今までここでたびたび言われましたように、社会施設の不備、或いはその社会施設というものが非常にボス的な勢力に使われているというようなことに対しては、私たちは非常に反省しなければならないのではありますけれども、併しこの社会の責任であるということだけで、簡單にこの問題を片付けてしまうならば、まだこの外にも沢山社会の責任で罪を犯して刑を科せられた人たちが沢山いるんじやないかと思います。社会の責任であるということは勿論でありますけれども、併しただ無智であるとか或いは社会施設の不備のために、この人に刑を科さないという理由は私には認められないのでございます。でその充子さんが自分でも非常に勝氣であつたというようなことを言つており、それから又この夫婦関係というようなものから考えまして、先程皆さまが問題になさつていらつしやつたような子供に対する基本的人権というものとは、少し違つたものが私には感じられるのです。もう一度申上げるならば、自分の利益のために子供を犠牲にしたというよりも、むしろこのような夫婦関係或いはこのような精神状態の充子さんといす人が夫に対する一つの復讐の手段として、こういうようなことをかつとして取つてしまつたんではないかということが私に感じられます。
#12
○委員長(伊藤修君) 次に宮本百合子君。
#13
○証人(宮本百合子君) 宮本でございます。私も頂きました資料で以て感じたことなんですけれども、やつぱり主人公である女の人が子供を一人でなく三人も殺したという氣持が、この書かれてある範囲では分らないのです。あれを読みますと、お魚に毒を入れて煮て、それを子供に分けて食べさして、それで自分も死のうと思つて……。そうすると、小さい子と自分とが半分ずつ分けて食べようと思つていたお魚の一切を、子供の一人が食べたがつたものだからやつたというんですね。皆食べさしちやつた。何か人間の氣持、親の氣持から、自分の一緒に死のうと思つている子供に、毒を入れて煮た魚を、お母さん欲しい、お母さん欲しいと言つたから、さあお上りといつて、半分だけ余計にその子供に食べさせるということは私共には分らない氣持です。まあ普通の親でしたら、体が大きいんだし、親だし、だから子供の始末をしてやろうとしたにせよ、半分にしろ欲しがつたから食べさしちもうということは、非常に疑問です。つまりこの事件のファクター、素因のプロパーとして、特殊の事情として分らないのです。それから観察しているでしよう、こうやつて見ていたら、顏を見ていたら、だんだん黒くなつて來た。そうして足を出したと、それだから苦しますと可哀そうだから締め殺した。だけれども、顏見て涙にかき曇るというのは、通俗小説ですけれども、それは泣くんです。それを冷靜に見ている、作家か何かが冷酷な氣持でリアリスティックな氣持で見ていればその段階が分るんです。もがき始めたのではつとなつたというのは分るけれども、だんだん黒くなつたというのは、どうも余り沈着なんです。そういうことも分りません。それから私、今松岡さんのおつしやつたことで、女の人の具体的な例を非常に面白く思つたんですけれども、私にも身許引受人というのは分らないのです。あれにはただ身許引受人があつたから執行猶予にしたと、身許引受人というものと、その充子さんという人との関係が分つていないし、夫とその人との関係が分つていないし、そうすると、そういう場合にいろいろのことが考えられるわけです。そういうことも分らない。そこで判事や檢事は、つまり非常に社会問題としての面を強調していらしつて、生活苦ということを主張なさつたわけでしようけれども、併しやつぱり本人は生活苦じやないと言つているんです。そうすれば、あの殺した動機というのは、つまりやけつぱちになつた面当てという非常に率直な氣持で申しますと、そういう感情が非常に強く支配したんじやないかと思うんです。つまりお酒飲んで惡口を言うとか、惡態吐くとか、ええこん畜生と思つたことを、亭主に面当て、社会に面当て、人世に対する反抗心のすべてを、そういうものに表現してしまつたんじやないかということを、やつぱり思えるんです。ですから事件そのものといたしますれば、勿論戰爭から惹き起されたことであり、それから又読賣の方がおつしやつたように、幾らでもある事件でございましようけれども、やつぱりこれにはこの人の性格というものがあり、それから夫婦関係の、私共の拜見した記録なんかでは、とても分らないいろいろの経緯があり、そうした三人の子供を持つて、子供が首枷になつたという女の非常に憎惡の氣持、子供を憎む氣持が非常にあるということ、或る境遇には非常に負担に思つて、亭主のお蔭でこういう目に遭うと、そういう氣持というものが、やつぱりこういう事件の中では現実に計算して行かなければ公平を欠くということになるんじやないかと思つたわけです。それで、大変に私面白いと思つたのは、裁判というものにセンチメンタリズムがあるということ、それは皆さん新聞の方たちがおつしやいましたけれども、被告は私は生活苦からやつたんじやありませんと言つておる。それでいるのに、判事や檢事の人が、社会問題、生活苦だということを非常におつしやる、それで寛大にする、それはやつぱり裁判の民主化とか、いろいろな官僚的でなく裁判をしようということで、又被告の人権を重んじようとする、平沢の事件なんかで皆が非常に困つた立場になつたというようなことから、非常にへんてこりんな基本的人権の尊重の方で、ああいうもののために裁判所は非常に被告の人権を重んずることを社会問題としているが、併し子供というものの人権の問題は、さつきからときどき繰返されましたように、非常にしきたりだし、古い考え方で扱われておる。この判檢事、この方ばかりでなく、一般にまだ日本の人にございます、基本的な人権の裏返しのような現われ方というものを、私共はやはりこの際に考えて見なければいけないと思います。なぜならば、親子関係のことは非常に皆さんよく御注目になつておる。私もそれは同感なんですが、大体殺すということ、それに対して今の我々の神経はどんなになつておるかというと、これが基本的人権の一番基礎の問題として感ずるのです。私共日本人は戰いの最中ずつと死ぬということについて世界で独特の感覚を持つていました。それで今度は死ぬということについては、主体的に自分から死ぬということは違つた考え方を持つことになつたかもしれないが、非常に殺すということについては主観的に、戰いの最中に殺す傾向を皆持たせた。殺すということについて英雄心を持たせ、優越感を與えて來た。戰いというものの罪惡というものは、戰いがその戰場でやつた惡いことの外、こういう殺すということについて非常に無感覚になつた人間を非常に沢山日本の中にもたらした。これは非常に恐しいことだと思うが、基本的の人権の問題をいう場合も……。ですから新聞にいうように、十万とか十五万の武装警官を作るということ、あれは日本の軍備の再編成です。それから新聞で御覧の通り非常に今の警官はピストルが上手で殺すことがうまい。昔の警官はサーベルをがちやがちやさせてそれにびつくりしていたが、今は殺すことが実に上手である。何だかよくわからないけれども、ピストルを撃つちやつて、殺すためにピストルを練習しております。イギリスの警官のように足を掬つて自由を失つたところを逮捕すればよい。その人が警官を殺そうとして反抗をしない限り足を撃つて自由を失つたものを逮捕する、そういう訓練はしていない。それは殺すためのものである。それはみんな兵隊に教わつたものです。そういう人がみんな警官になりまして、いろいろの事件を盛んにやつております。そういう人が十万、十五万あれば殺人隊であります。治安を守る人よりも紊す人である。そういうふうなことについては私共の常識から平和とか、基本的人権とかいうことは直ぐ感ずるような、感覚が私共の中にないということ、例えばこういうような問題で基本的人権を申します場合でも、まあ判事、檢事がそれ程社会問題としてこの問題を問題になさるならば、託兒所の問題、それから又すべての生活の安定の問題、それは廣い社会問題として労働組合も、学生も、いろいろ私共婦人たちもみんなそれは社会的発言をしておりますし、する組織を持つております。例えば労働組合の婦人部の人たちがこういう事件に裏書されておりますいろいろの社会的施設の不備について、改善を要求する発言をしていろいろの行動をするのです。デモとかストライキをする。そういうことを禁ずる。そういうことで以ていろいろな行動をする者を引つ張つて、それを裁判する。若しこの裁判に当つた判事、檢事が御自身当られた場合に、その問題はこの人たちが具体的に解決しようと思つてこういうことを行動をしておるのだから、それを裁判することに自分の自己矛盾に氣がつくかどうか、やはりその人は親子関係における基本的人件は古いままで、親の方から切離して取上げて判定なさいましたような分裂が起つて來やしないか。つまりこういうような殺人事件、詐欺とか強盗、そういう社会責任を言うつもりでしよう。それならば今度のような責任を、そのものの社会的行動に対する鎭圧とか、抑圧とかいうものについてはやはり今までの考え方をお使いになるのじやないか。今日私共基本的人権を取扱います場合に非常に興味がある。それで殺すというふうなことについての感覚が鈍つておるということ、同時に社会的な責任、社会問題というものの本当に基本的人権を重んじた解決の方法にあるということ、基本的人権の擁護という問題、この問題はそれらの問題から引出されて來ると思うのです。この事件に特別に喰つ付けて申しますれば、私一人の理解が怪しい点は、個人の必然が分らないですから、どういう人か分らないですから、判檢事の基本的人権の社会問題というものに対する矛盾、そういうものが決して判檢事個人の問題でなく、今日あるすべての権力の、法律を行使する態度の中にある分裂は、私共やはり教育的に本当に人権擁護のために注目して行くべき点だというふうに考えます。以上。
#14
○委員長(伊藤修君) 自由人権協会、近藤倫二君。
#15
○証人(近藤倫二君) 私は自由人権協会というものを代表して意見を述べます。その前にちよつと申上げたいのは、私非常に伊藤委員長に日頃敬意を表しており、殊に参議院の法務委員の活躍については非常に敬意を表しておるのでありますが、私がこの間判事に会いましたら、裁判についてこういうふうにするということに非常に士氣を沮喪するというようなことを言つておつたのですが、そういう問題がまあ起きて來ても、どしどし裁判についてこういうお催しをなさることをお願いして置きます。というのは、裁判というのは最も社会の実情を表現しておるものなんで、從來日本で裁判ということに対して一般の民衆の興味が非常に少いのを私は遺憾に思つていたからです。私は先程からこの判決に対していろいろの、まあ大体非難の声が多かつたと思うのですが、私はこの裁判は、現実の現在の日本の社会意識と言いますか、集團意識、社会学のいわゆるコンシヤスネス・コレクティヴと言いますか、社会意識を反映したという意味において適当な裁判じやないかと思うのです。というのは、恐らく日本人の大多数の人の意見を聞けば、まあ知識のある人は別で、大多数の意見を聞けば、涙のある判決、弁護人がよく弁護した涙のある判決としてこの判決をやはり支持するのじやないか。即ち結局その犯罪というものは、その時代の社会意識というものが基調になつて出て來る社会現象なんで、つまり日本の今の社会意識を基礎として考えるならば、この犯罪はこのくらいの刑罰を科する、つまり軽いものだ、こう皆が考えておると私は思うのです。併し裁判というものは、私はそういう現実の社会意識だけを現わすものだけで止まつておるものじやないと思うのです。裁判というのは創造的な、クリエィティヴな、そうして指導的な分子がなくちやいけない。そうして判事の仕事というものは面白いし、まあ貴重なものになつて來ると私は考える。その時代の意識だけを現わす裁判ではいけないので、次の社会、例えばどういう社会が次に出るかそれは別問題です。併しながら進歩的な指導的な裁判をしなければいけない。そういう点において私はこの裁判は欠陷があると思う。そういうところまで檢事も、檢事は裁判官じやないが、そういう裁判をさせるように動かなかつたということは檢事も、又裁判官も少し勉強が足りない。私はそう思う。大体併しこういう制度だと、後で出る者は全部前の人が言つておるから困るのですが、私の考えますところを順繰りに、もう時間もありませんから要点だけ申します。私は勿論一等問題になるのは自由権を侵されておるということなんです。これは実に酷いので、親と子供の関係はさつきから言われておるのですが、全く別の言葉で言うと、物質関係です。身分関係じやないのです。親と子供の関係は、物を所有しておる関係なんです。皿や茶碗を壊すようなつもりで母親は子供を殺しておる。私は非常にそういうことがまだ日本には沢山あるということは、前者が言われたことと同じことです。併しこれは御承知の通りローマ法だつていわゆる生殺與奪の権というものがあつたんです。それがキリスト教が出て、クリスチヤンの影響を受けて段々変つて來た。そう言つて見ると、日本はまだローマ法時代の思想が非常に残つておる、こういうことが感じられる。
 その次は、或る人はこれは人権の被侵害者は子供だけじやない、母親だつてそうなんだ。その母親は夫から侵害を受けておる、又或いは社会から侵害を受けておる、こう言うのですけれども、併し私はこれは比較考慮の問題で、勿論母親も或る意味において人権を侵害された被害者なんです。併し子供が生きようという、生物が生きようという氣持、これはキーナン檢事が市ヶ谷の裁判でも生ける生命というものに対する貴重さを論じていたんですが、人間が生きようとする、而も自分の力で生きられない子供、こういうものの生きようとする芽を刈ろうということは、これはもう実に最大の人権侵害だと思います。自分がまだ自分の力で生きて行こうという力を持つていない、而もその生きようとするものが本能的に生物にはある、それを刈り取る、殺すというようなことは、実に非人道的なことだと思う。
 それから次に、さつきもこれも宮本さんがおつしやつたようですが、私は非常に日本人は最近、殊に戰爭になつてから、アトロシデイーといいますか、残虐性ですね。これは私は俘虜の問題なんかで知つたのですけれども、非常に殺し方が残虐なんですね。同じ殺すにしても、もう少し文化的に行きたいものだというふうに思う。銃劍で突く稽古をして心臓を突くとか、どうもそういうことは世界的に日本人が如何にも野蛮な國の人間だというふうに思われるのですね。もう少し殺す方法だつて、科学的な、文化的な方法があると思うのです。これなどは、三人並べて置いて首を締めるということは、実に野蛮だと思う。一体この残虐性、これはもう言われたことですが、嗜虐性というものを日本人から取らなくては駄目だと思うのですね。とれにはやはり裁判所も、外のエレメントを拔かしても残虐ということだけでも相当考えて罰しなければいけないのじやないかと思う。
 それからもう一つは、これはもう言われておることなんだが、結局日本で人間の價値が低いということは、人口が多いからだと思う。経済の原則で、需要空給の関係です。だから根本問題は産兒調節を何故しないか。私は違い政治家が沢山並んでおられるとけれども、何故日本の政治家は産兒調節をしないか、ソヴイエトロシアのように、公認の相談所を作らないのか、根本問題は私はこれを実に不可解に思つておる。
 それからもう一つその次に申上げたいのは、委員長のさつきおつしやつたこどですが、この問題について医者の精神鑑定をしていないことです。これは皆さんおつしやつたことであろうと思うが、ちよつとここでは委員長がなすつたそうですけれども、それでも本当の精神病の鑑定をしていないということは、この事件の檢事の弁護人の非常なる過失だと思います。さつき伊藤さんがおつしやつたんですが、母親が精神病なんです。精神病が系統的なものだということは、はつきりしておるのです。とにかく発作的に起きた事件であるとしが考えられない。これは日本人の名誉のためにそう考えたいとさえ思う。これは日本の裁判というものが非常に非科学的なんです。例えば血液の型とか、そういうものについて非常に研究が足りない。やはり勘だけで行く。こういう科学的の知識を裁判の仕方に入れない。これは弁護士も惡いのです。これは檢事ももう少し科学的なことを主張しなければいけない。私はそういうことが足りないと思う。
 それから最後に申上げたいのは、これも政治家に一つ一つ市民として申上げたいのだが、浪花節とか歌舞伎とか、ああいうものが、仙台萩とか、子供を殺す、ああいう悲惨な、陰惨なようなものをなぜ禁止されないか。実にあのためにどれくらい皆が人の命というものに対する人間性というものを失つて、非常にアブノーマルな一種奇怪な日本人の氣持が出ておると私は思うのです。昨夜もこの参議院の帆足さんと話したのだけれども、日本の武士道なんというものの表現だとか何とか言つておるけれども、踊りなんかは崇高なものがあるけれども、日本の歌舞伎なんかな、実に不愉快な非常に醜惡なものと美しいものとがコンバインしておるのですけれども、とにかく日本の武士道なんというものは、よいところよりも惡いところが沢山あるのだから、この際当分は歌舞伎とか浪花節は禁止されたらどうか。
 最後の締め括りとして申上げますが、犯罪というものは、結局その時代の社会構成というものによつて起きるのですから、日本は今こういうふうになつておつて、資本主義であつて、働く者が工場などで動物のように使われておるような今の社会組織では、人間の價値なんというものは、幾ら裁判を責めたつて何したつて、そう変るものではない。それよりも本当に人間の價値というものを皆に認めさせなければならないというのならば、社会を変えなければならない。人間の人格を基礎とした社会に遷り変つて行かなければならない。資本家が人間を動かすような社会をやめて、本当の人間が人間を動かす、人間と人間との本当の平等の社会、そういうものが私は共産主義の会社というのではない。それは私も分らないけれども、とにかく今のような社会で本当の人間の價値を認めさせようとしても、これは無理だと、これだけ申上げと置きます。
#16
○委員長(伊藤修君) 日本基督教女子連盟、植村環君。
#17
○証人(植村環君) 浦和充子という婦人がこの犯行に至りますまでの心境につきまして、皆さんいろいろお考えになつたことでございますが、この人には、これからの生活の希望がなくなつてしまつた。貧困、それはもう一ヶ月も支えるくらいのものはあつたでありましようし、或いは何か外に方法もあつたかも知れませんが、けれども、自分の夫を愛していない、又夫にも人格的に認められていないというようなときに、そうして自分は無教育であり、無智であるというような一種のひけめのような氣持もありまして、氣が荒んで行く、そうして精神病の系統もあるというようなときに、あのような犯行に至りますことは、ちやんと誂え向き自然にできていたのではないかというふうにさえ思われるのでございます。無論、新憲法下の基本人権の尊重の上から申しまして、あの判決に三年の執行猶予というようなことがございましたことにつきましては、私も少し軽過ぎたのではなかつたかと思いますのでございます。若しもあの今が子供を殺して親も共に死んでしまたつのでありましたならば、又皆のあの事件についての考え方も違つて來たのでございましようが、私は子供を殺すこともいけないし、又自分で自分の命を継つということもいけないことであると思つております。これは私がキリスト教信者であるから特にそう思うのでございましようけれども、自殺ということについては余りにも日本人が軽くそのことを取扱うのではないか、何か責任を逃れたいというようなときに直ぐ自殺してしまえば皆がその人に同情するということ、その人が犯しました罪などを償つて余りあることのように思う習慣が、私たちには昔からあるのでございまして、この点も亦新憲法下において私たちはもう少し考え直さなければならないのではないかと思つております。でこの人が子供三人を殺しました心境でありますが、私にはあながち復讐のためにしたというふうには思わずにあのことを読んだのでございます。というのは余程の母親でございませんならば、自分の子供を殺して夫に復讐するというような氣持にならない、余程馬鹿でございませんならば、そういうふうにならないのじやないかと思うからでございます。併しこのことの遠因といたしまして、あの夫婦の結婚そのものが、こういうような結果になるかも知れなかつたものであつたということは、余程注意して考えなければならないことであると思います。女の方は自分の経済のことを中心にして結婚を考えて、主人の方は多分本能を中心にして結婚を取扱つたのではないか、そういうような考え方から夫婦生活を営んでおりましたし、召集に二度應じまして、そしていろいろなことが思うように行かなくなりました。これは戰爭中の悲惨事で一般に共通のことでございますが、その中に妻にいわゆる不義を働かれたというようなことがございましたそうでありますが、さて夫がその妻のその行爲を咎めるだけその夫が品行方正であつたかということは誰も調べておりません。大体妻の場合にばかり夫が非常にいきり立つて、そうして妻の行動と、自分の妻に対するところの、又子供に対するところの責任を持ちませんことの言いわけとすることができると思うのでございますけれども、大概の場合その一面において夫の方にも妻の方から言えば、取り立てつ言うようなことがあつたのではないかと、私などはそういうふうに邪推を廻すのでございますが、一体日本では女の方から夫のそういつた品行のことなどを余り問題にしないように今まで取扱われて來たというようなこともやはり人権の問題において社会一般にもつとよく考えて下さらなければならないのであると思います。結婚の動機、又結婦生活において両方から責任を持ち合うということ、そして本当に私は、もつと世界中がよくなるためには一夫一婦ということが嚴守されるようにならなければならない。愛情を基としたところの一夫一婦の理念がもつと普及して、そして自然にそういうふうになつて行くような教育が行われなければならないと、私はそういうように思つております。この人が保釈になりまして、預けられた人のことにつきましては、私もあの紙上によりましては分りませんでございましたが、必ずしも保釈されたが故にあの婦人がこれからよくなるだろうかというようなことを言うことはできないと思います。で社会施設といたしまして、どうぞああいう人、その外のあれに似たところの犯罪に導かれたような人たち、犯罪を敢えてしたというような人たちに対しますところの親切な教育的な取扱をこれからもつともつと熱心に研究して作つて行かなければならないのである、そういうように私は思つております。で又あの人がたとえ自分の生活苦がこの犯行に自分をもたらしたのでないというようなことを申しておりましたとは言え、ああいつた悲惨なことを敢えてしましたその心境には必らず生活苦も入つておつたと思うのでございまして、そういうような立場にあります人が、自然にそこに走つて行かれるような社会施設がなければならない。そうしてそれが先程どなたがおつしやいましたように、それにかかる人たちは本当に穀潰しであるみたいなそういうような態度を取るような社会施設であつては絶対ならないと思います。又兒童福祉法、民生委員の御活動につきましても、本当に委員会が……私はこの間民生委員の中にボスがあるということを或る人から愬えられましたのでございますけれども、そういうことについても本当に私たちがよく調べまして、そうしてそういつた新らしい社会施設、同胞の恵みというものが、本当に無智な人の方が多いのでありますからして、助けを受けるような人たちは大体無智な人たちでございますから、そういう人たちにもよく分かるように、腑に落ちるように、そうして本当にその恵を受ける氣になるようにし向けて行くことが必要であると思うのでございます。今までですべてのことは言い盡されております。私はやはり皆様と同じように、この人権につきましての正しい標準を社会に確認させるためには、もう少し嚴しく出た方がよかつたのではないか、同時にこの婦人がこういつた犯罪を敢えてするようになりましたことは、やはりその夫、又その廻りの人、又社会全般が余程の反省をしなければならないということ、そしてこれからこういう罪を犯した人たちの教育、又こういう罪を犯すに至るであろうところの人たちの教育について、社会はこの際もつともつと熱意を持ちまして、もつと犠牲を拂つて兒童施設に対して研究を実行しなければならないのであると思つております。
#18
○委員長(伊藤修君) その他の証人方で川島氏、大山氏、石川氏、高野氏、平野氏、いずれもお差支えで御出頭は願えませんでしたから、証人の方の証言をお聞きすることはこの程度において終了いたします。これで休憩いたします。
   午後零時三十九分休憩
   ―――――・―――――
   午後二時開会
#19
○委員長(伊藤修君) それでは午前に引続きまして、法務委員会を開会いたします。先ず本件の調査事項の論点を一つ一つ捉えて、それについて御意見をお伺いしたいと存じます。尚お氣付きの点がありますればお述べになつて頂きます。
 先ず事実の方から一つ決定して行きたいと存じます。裁判所が本件に対しまして、証人として取調べたのは夫語助を一人調べただけでありまして、檢事局は勿論証人を調べておりません。警察では誠作と誠作の妻の両名を調べておるだけであります。勿論この三人に対しまして、いわゆる生活苦であるというような動機の点については何ら調査していないのであります。然るに被判所は被告の言うことのみを取上げて直ちに生活苦であるという事実認定をして、本件の基礎を固めておるのです。その点に対して果してそういうような重要事項について証拠調べをしなかつたということについて、適法であるか、不当であるかどうかという点を先ず問題に供します。
#20
○宮城タマヨ君 問題になつております浦和充子の供述によりましても、生活苦であるということは申しておりませんのでございますが、実際に普通の常識で考えられます母親の立場でございました、例えば親子心中いたしました親子の胃の中をあけて見たら、子供の胃袋の中には固型物があつたけれども、母親の胃袋は何日前食べたか分らないというようなことがよく証明されております。これが母親の情だろうと思つております。その意味から申しますと、この充子という婦人は或いは非常に勝氣でございます一方に見栄坊じやないか。貧乏ということを周囲の人にも言うことは嫌いだし、それから又そういう樣子を見せず相当の生活をしておつた、そう親子心中しなければならないという程に困窮した状況を見せもしなかつたし、又そこにも至つていなかつたために、今日あたり問題になりましたが、生活保護或いは兒童福祉法の施設に対して何らか打つ手もあつただろうが、又その方面から手を伸ばすということができていなかつたというような非難はございますけれども、そこまで私は外面的に行つていなかつたのじやないだろうか、それは又充子の性質から出ておるじやないかというように考えております。それで普通の母でございましたら、まだ実は一ヶ月も親子で生活ができるというときに、どうして子供を乞食になるよりも今殺した方がいいなんというようなことを考えたろうか、その点に私は非常に疑問を持つておるので、この動機については結局分らないということになるかも知れませんが、私はこの檢察廳なり裁判所なりの調査が非常に杜撰で、その一番大きいところは充子のその犯罪当時の身体の状況といいますか、その一番大きい粗漏の点は月経時であつたかどうかということの調査がついていないので、普通の常態におります婦人でも、特別な月経異状のございませんお方でも、精神的に幾分か異状があるのでございます。その調査がないなんということは最も粗漏な点じやないか、勿論結婚自体の出発がそもそも間違つておりますし、それからその結婚生活、夫婦生活というものがあの通りでございますから、セックスの生活というような点も、今日どなたかおつしやつた点にもございましたが、これはこの事件を調査する点については私は非常に重要な、殊にカフエーの女給を振出しに、性の生活には随分紊れておるような習慣を持つておりますこの婦人に対しては、その点をもう少し突いて行かなければ本当は分らなかつたじやないだろうか。檢事の調べのときに、未決におりますときの状態はどうだつたかと言いましたときにも、ときどき突拍子もない声を出して歌を唱つておつたということもございました。私の質問はむしろ未決におります時代の身体の方面、精神の方面、殊に月経時なんかに何か異状があるかないかというようなことをどうして調査しなかつた、調べなかつた、氣をつけなかつたものかというように考えておりますが、結局は私は調査を粗漏にして、そうしていわゆる今社会的のこの事情といたしまして、戰地に行つておりました留守宅の家族なんかには無條件に同情する。そういてその方が本当に通りがいいというような考えからなされた結論であるような氣がいたしておるのでございますが、結局私はすべての点に調査が非常に粗漏のように考えております。この原因について私自身が総合して考えますことは、先程申しましたように、性の生活の点、それから遺傳の点、それから生活苦も勿論あると思つております。その生活苦ということは見栄坊も勝氣も半分ぐらい手傳つての生活苦でございますけれども、そういうものもございますし、それから今日宮本百合子さんが言つたような「ええ、やつつけてやれ」というようなそういう氣持も幾分あつたと思いますけれども、併しながらただそれだけ自分の子供をああも見事に三人もやつつけるというようなことは思えないので、私はむしろ或いは月経時であつて、そうして殊にかつと非常にのぼせてやつたのじやないか。
 それから二番目の点は……長くなりますから、このくらで一應讓つて置きます。
#21
○委員長(伊藤修君) 他の御意見ありませんか。
#22
○大野幸一君 第一問の委員長の質問に対しては、檢察廳並びに裁判所に相当憾みがあつたろうと思います。
#23
○委員長(伊藤修君) 第二問として檢察廳が公訴権を翌日抛棄したということについては如何ですか。
#24
○大野幸一君 本日の証人の証言にありますごとく、予め檢事は公訴権を抛棄することを予期していた。執行猶予を予期していたということから抛棄したものと思います。それも甚だ遺憾であります。判決を更に愼重に考えなかつたという点は遺憾であると思います。
#25
○深川タマヱ君 自由人権協会の方の主張の中に、判決の態度が述べられていたようでありますが、それに日本の社会意識を反映した意味の判決ではない進歩的、指導的、裁判でありたいということでありましたが、これは専門家のお揃いでありまして、判決には一体どういう態度であるべきか、私はむしろ後者の方がいいのじやないかしらんと思いますけれども、それから考えますと、今委員長さんがおつしやつたように抛棄なさらないで、この場合は基本的人権を尊重するということを國民に知らしめるため、最後まで強くやつて貰いたかつたと思います。
#26
○委員長(伊藤修君) 第三点として、子供の人権を尊重するということに対する裁判所の認識が欠けておつたかどうかという点に対しましてはどうでしようか。
#27
○大野幸一君 本件は檢察廳の檢事の証言によつてもみずから述べたごとく、檢事は忙しくて今憲法を研究している余地がない、かくのごとき答弁があつたのであります。甚だ遺憾と思います。この点を檢察廳も第一線に立たせられる檢事の人に至るまで、新憲法の趣旨をよく徹底せしめるということが必要と思います。甚だ本件の場合はその最たるものと思います。
#28
○委員長(伊藤修君) そうすると御趣旨は檢察廳をも併せて、認識に欠けておつたものと結論を出して差支えないでしようか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#29
○宮城タマヨ君 檢察廳も裁判所も非常にその点についての認識を欠いていると思つております。勿論この充子それ自体も、それから全体の婦人としましても、我が子がどういうものであるか、つまり我が子なら煮て食つても焼いて食つてもいいのだという感じの域を、すべての面にすべての人がその域を脱しておりませんので、勿論裁判所も檢事局もそこまで行つておりませんと思つております。
#30
○委員長(伊藤修君) そうすると大体主要な点はこの三点ですが、すると原因についてはどうでしようか。
#31
○深川タマヱ君 もう一つあるのでございますが、先の公述人の方の言葉の中に一つこの委員会の識見を疑われたような発言がありましたので、どうしてもこれに対して何とかこの委員会で意思表示を行わなければならないのじやないかと思いますことは、この裁判官もここの委員の方々もこの犯行の動機を是認しているけれども、自分は違う。これは怨恨による殺人じやないか、それならば、もつともつと重い罪にしなければいけないということをおつしやつておりましたけれども、これは私この前の時に発言いたしましたように、飽くまでこれは怨恨ではなくむしろ厭世自殺じやないかと解釈するのですが、その分岐点についてここで皆さんとお話してみたいと思いますが、怨恨でありますならば、最後に夫に会つたときに泣きはしなかつたろうと思います。人をうんと恨んだときにさめざめと泣くかしらと思います。それとさつき植村女史もおつしやつておりましたように、余程の馬鹿でない限りは、三人の子供を殺してしまつて夫に対する恨みを晴らすというようなことはちよつとありそうもないと思いますけれども、ただあの方の言つたことを裏書きするような一つのことはありますけれども、それは魚を三切れ買つたというところにいまだに一つの疑惑があると思います。なぜ四切れ買わなかつたかと思います。充子さんは途中で自分が後に残るように意思を飜したと言いますが、むしろ魚の三切の配給の仕方が、初め一番上の子供と二番目の子供に一切れずつ付けたら、後に子供一人と大人一人が残るわけで、一切れでは間に合わない。ですから四切れ買うか、さもなければ配給の仕方を変えなければいけないと思います。ですから充子さんは途中で意思を飜したのではなく、最初から先に殺してしまうという考えだつたと思います。怨恨だとは私考えられない。こういうふうに思いますけれども、この点について皆さんの御意見を伺いたいと思います。
#32
○委員長(伊藤修君) 松岡洋子さんのおつしやつたことは、委員会が今日まで調査したことについて御存じないものだからああいうような御発言があつたのですが、あの人に御注意申上げる程のことでないと思つて御注意申上げなかつたのであります。御承知の通り、各調査の結果及び当委員会において喚問いたしました証人の言葉から考えましても、充子が盡すべき手を盡さなかつたということは窮われると思います。例えば誠作の許にその事情を訴える。或いは実家の親なり兄なり、にその事情を訴える。或いは野田町の叔母にその事情を訴える。秩父の親戚に訴えて、そうして、その結果すべてが徒労に帰して、他に選ぶべき手段がなかつたという事情に立至つてからでも、又その考慮をなすに遅くはないだろうと考えられますし、又如何に無智といえども育兒院なり、或いは託兒所なり、兒童相談所、これは新らしいものだから分らんといたしましても、さような設備のあるくらいのことは、我が國の普通教育、尋常小学の教育を受けておれば知り得るのではないかということも考えられる。そういうことを何ら考慮せず、手を盡さずに、直ちに子供の生命を奪うという手段に飛躍して行つたということは、ちよつと割切れないものがあるのではないかと思うのです。御承知のように、生活苦であると言つても、生活には相当の余裕を持つておつたということは、八千円を先に、僅か半月の間に取得しておりますし、尚一ケ月先の生活の余裕は十分自分としても考えておつたとか、こういう供述からいたしましても、生活苦であるという断定は下し得ないと思うのであります。又本人の供述から言つても、いわゆる執行猶予になるとは思わなかつたという自分自身の責任感から言つてもそういうふうに考えておつたのであります。只今深川さんの御指摘のような点もどうも動機が奈辺にあつたかということも疑われるし、いわゆる四人が死ぬのに三切れの魚を買求めて、それを死の第一の手段に供しようとしたことが、果して母子心中するという意思があつたかどうか。足手まといとの子供を殺してしまつて自己の思うままの生活をするというような最初から考えがあつたというように惡くも解釈されるのです。少なくも生活苦ではないということは考えられると思うのです。それから本人の供述を見ましても、警察における第一回の、自首した当時の供述と、その後の供述とは変つておりますし、初めての供述が一番正しいのではないかとも思われるし……。
#33
○松井道夫君 初めての供述はどういうふうになつておりますか。
#34
○委員長(伊藤修君) この前充子を調べたときにちよつと申上げたのですが、要するに夫を困らせてやろうという考えだつたというような趣旨のことを言うておるのです。
#35
○大野幸一君 その動機についての、貧困であつたということは到底うなずかれない事実であると思います。が充子の証言による一ケ月の先の生活費があるということ、そうするとサラリーマンは一ケ月一ケ月に計画を立てて行く。我々と雖も一ヶ月支えるだけの生活費がない場合が幾らでもある。そういうことについての裁判が調査をしなかつたことについては私は粗漏であつたと思う。同情する余りそういう被告人との供述のみに信を置いたという点は遺憾である。それから松岡洋子さんの供述中に、夫に対する面当て、困らせようというような氣持もあり得るということからして私は感じましたのですが、後に植村環さんが、そういうことはないというように思われますと言われましたが、併しこれは植村さん並びに宮城先生は、女として人格の高い、教養の高い人ですから、到底そういうことは認められないと御想像せられるのは御尢もと思うのであります。併し世の中には非常に嫉妬が強くて教養の低い女ではそういうこともあり得ると思うのであります。現に被告の浦和充子は、最初の第一回の供述においてそういう趣旨の供述をしておるということは、この間委員長が証人を調べるときに朗読せられた調書によつて分る。そういう意味におきまして、少なくとも貧困のためではなかつたということが分る。そうして他にはこういう疑いもある。こういう疑い即ち夫に対する見せしめのような気持もなきにしも非ず、こういう程度までに私は言及して差支ないものと思います。
#36
○宮城タマヨ君 急ぎますので、却つて十分なことを述べませんで残念でございましたが、一つお願いいたしたいことは、今続々、それこそ毎日のように母子心中、子供殺しというような事件が起つて來ております折柄でございますから、本当に封建的な考え方を是正する意味においても、こういう種類の裁判については、非常に嚴格な調査をし、そうして相当に私は嚴罰を以て臨まれますことを希望いたしたいと思つております。
#37
○松井道夫君 生活苦が原因でないということを認定することが相当であると思います。
#38
○委員長(伊藤修君) 次に夫の責任ですね。夫にはお聞きの通りないろいろの事情もありましたが、この夫の責任に対する評判としてはどういうお考えですか。
#39
○大野幸一君 夫は、夫婦の間において不和なことがあり、面白からざることもあるし、不満なことがあつたのでありますが、併し夫は夫であるとともに子供の親である。こういう点について認識が足りなかつた。いわゆる自分の子供を大切にする。妻とそういう場合には離婚をすることが子供のためによければ、子供への愛によつて妻を離婚し、子供を自分で育てる。こういう点の思慮が足りなかつたと思いますので、私はちよつと氣づきましたから意見を申上げます。
#40
○委員長(伊藤修君) 要するに夫の放蕩は、先程公述人の人もいろいろ申しておりましたのですが、いわゆる出征中におけるところの妻の不倫の行爲、そういうものが夫をああいう自墜落になさしめたという一つの原因に認めて差支ありませんですか。
#41
○大野幸一君 差支ないと思いますし、その以上に夫を放埓に陷らしめた妻の重大な責任が却て浦和充子にあると思います。
#42
○委員長(伊藤修君) そうすると大体そういうような、只今お伺いしましたような基本観念によつて結論を出して行きたいと存じますが、それで理由その他のあれについては、委員長にお任せ願いまして、決定いたしたいと思います。
#43
○大野幸一君 今日の婦人公述人の公述を聞きました私の一つの希望を申上げまして、皆さんの御同意を願いたいと思いのですが、被告人が女である場合には裁判官の一人に婦人の裁判官を加うることが必要であろうと思います。私は婦人を裁く意味において男性が裁くときには無意味な同情に陷り易い場合、或いは婦人というものをよく知らない、こういうものであります。諺にも、経驗せざる事実は判断するを得ず。こういうことがありますので、婦人の心理状態などをよく知るのは婦人であろうと思います。その意味は、婦人の代表として裁判官を入れるのではなく、婦人を最もよく知れる意味において、婦人の被告事件については、裁判官の一人として、婦人裁判官を置かなければならん。これも今の裁判所法ではできないかも分りませんが、將來さような方向に進むことが私はいいかと思いまして、この点もこの委員会から得た一つの果実だというように考えて頂ければ結構だと思います。
#44
○松井道夫君 この際私は当委員会に関しまする私の考え、この他本件に関連して感想を述べて見たいと思います。それをお許し願いたいと思うのであります。当委員会は、これはすでに顯著な事実でありますように、軍政部の示唆によつて進発いたしたものでございまするが、当時から今日に至るまで、裁判官の場合におきましては、これを誤解しておられる向きもあるのであります。これを司法権に対する無用の或いは不当の干渉、圧迫であるかのごとく考えておられる向きもあるのでありまするか、これは敢えて当たらないことは、すでに委員長始めよく御言及になつておる通りであります。この間田中耕太郎さんが申しておられましたが、よくそういうことを実際家乃至は学者から聞くのであるが、自分はすでに昔から、裁判に対する裁例批評というものがあるが、そういつた意味で裁判に対する批判をするのであるから、別に差支えないものと思う。こういうことを常にそういう声を聞く度に申しておられるそうであります。それも非常に適切な見方で、我々は日本國の最高機関といたしまして、司法権の行使につきまして、批判をいたしておるのであります。さような実務家乃至学者の危惧非難は敢て当らないものと存じておるのであります。爾後当委員会の各委員の非常な熱心なる御努力によりまして、非常な成果が上つておるのでありまして、これが裁判、檢察に及ぼすよき影響は、挙げて教えることができない非常に大きなものがあると私は見ておるのであります。本件を取上げましたことも又非常に適切でありまして、私共非常に教えられることが多々あつたのであります。ただ私個人のことを申上げれば、いろいろ公私に差支えまして、証人調べ、その他に常に立会うことができなかつたということを遺憾といたしておるのであります。本件も結局戰後の社会情勢が産みました一つの事件であると見ることができると思います。すべて犯罪はその犯罪の生起いたしまする社会に、その基盤を置いておるのであります。只今各委員が仰せられたのでありますが、夫の出征中に何か妻君の方に責任を負うべきものがあつたということでございまするが、出征自体、戰爭の直接の結果であることは申すまでもない。そのとき後に残りました妻が、当時何人でございますか存じませんが、子供を拘えてそうそう自分の身内、その他に御厄介をかけるわけにはいかない、心ならずも或いは從來の生活体驗から、そういつたふしだらに陷るということも、或る意味で理解できるのであります。戰爭に負けまして帰つて参りました夫が、そういう情況を直接であるか、間接であるか存じませんが、聞き知りまして、これも身を持ち崩すということに相成る。今まで戰爭が、そういつた人たちの唯一の生きる目当てであつたのが、戰爭に負けまして、あらゆる面において思想的の混乱、或いは生きる目当てを失い、虚無的の氣持になつておりまする、そういつて帰つて來た人たちが多々身を持ち崩すということは、これも理解できることなのでございます。他方自分の責任を負えべき出來事からそういうことになつたとは申しながら、とにかく夫の帰りを期待いたして、何とか打開して行こうと思つておりまする女性に取つて見ますれば、そういつた夫がふしだらになるといつたようなことは、大きな出來事であり、又その女から見れば、それが甚だ自分の心持を理解して呉れない、情けない、残念な出來事であると写つたかも知れないのであります。そういつた時期に、宮城さんが適切に指摘されましたように、婦人の精神的、身体的のいろいろの出來事が、女性の心理に異常な結果を生じまして、自分をとにかく理解して呉れない、女の方から見れば或いは裏切られたと考えたかも知れない、そういうときにたまたまそういつた精神的原因、その他が禍いして、いわゆる面当て、これは教育の十分でない、而も力の弱い女性に取りましては、唯一の復讐方法なんでありますが、その面当てを何かの形でやる、或いは自分一人で刺すのもその一つの方法であります。子供をば殺すということも一つの方法でありましよう。親親子心中するということも一つの方法であるのでありますが、そういつた機会に、何らかのぼせまして、そういう結論に達して、今回のような事件を起すということは、全然理解できないことではないと存ずるのであります。そういつた場合に、尚自分の子供を殺すということは、先程から鋭く指摘されておりますように、基本的人権、人間を尊重するというような観念が非常に欠けておる。そういう結果から、かような結論に達するということが指摘できるのであります。いういつた無智な女性は、封建的な、常に虐げておりました女として、自分の心の中の願望が達成できない、踏みにじられるという場合に、たつた一つできることは面当てに刺すということ、そういう封建的の遺風がまだ日本社会に残つておるのでありますし、又仮にそういうことが新憲法その他関係しまする諸機関の努力で或る程度なくなつておりましても、まだそういう考が、そういつた無智の女の頭の中に多分に残つておるということを我々は認識しなければならんと存ずるのであります。將來幸いにして、その女性から言えば幸にして、執行猶予の恩典にあずかつておるのでありまして、尚委員長のお話によれば、今夫と同居いたしておるということであります。三人の最愛の子供の犠牲によりまして、二人の間がお互いに反省の結果結ばれて、將來うまく行くというような結果にならんことを衷心望む者であります。この機会において私の感想を述べさして頂きました。
#45
○委員長(伊藤修君) 尚併せまして、厚生施設の利用普及について、いわゆる政府の方の徹底を欠く謗りもありますから、この点にも併せて論及して置きたいと思いますが、御異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#46
○委員長(伊藤修君) 宮城さん及び松井さんからもお話がありますから、本決定書を作るのと併行いたしまして、若しできますれば、精神鑑定というようなものを取扱つて行きたいと存じますので、これも御了承願つて置きます。若し不可能の場合は、その点御了承願つて置きます。
 大体只今の御発言のありました趣旨を体しまして、起案することに御異議ありませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#47
○委員長(伊藤修君) では起案は委員長に御一任を願うことにいたしましてよろしうございますか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#48
○委員長(伊藤修君) ではさよう決定いたします。本日はこれを以て散会いたします。
   午後二時四十二分散会
 出席者は左の通り。
   委員長     伊藤  修君
   理事
           鬼丸 義齊君
           岡部  常君
           宮城タマヨ君
   委員
           大野 幸一君
           齋  武雄君
           鈴木 安孝君
           深川タマヱ君
           來馬 琢道君
           松井 道夫君
           松村眞一郎君
           星野 芳樹君
  証人
   東京大学教授  大河内一男君
   朝日新聞社社会
   部長      進藤 次郎君
   毎日新聞社社会
   部長      黒崎貞治郎君
   読賣新聞社社会
   部長      竹内 四郎君
   日本婦人民主ク
   ラブ      松岡 洋子君
   作     家 宮本百合子君
   自由人権協会  近藤 倫二君
   日本基督教女子
   連盟      植村  環君
ソース: 国立国会図書館
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